2011年9月25日日曜日

演出論的覚書:Ⅲ章2節5款:背景と一枚絵のアニメーション化

  (5)部分的なアニメーションの導入 II:背景画像、イベントCG等について

  背景部分のアニメーション化は、以前からも時折試みられていたが、近年その利用頻度及び表現水準を飛躍的に高めている。すでに紹介したPurple software(cf. 1章3節)が、代表的かつ模範的な実例を提示している。ただし、背景部分のアニメーション化に関してさらに先駆的だったのはF&Cpajamas softである。前者は『Piaキャロットへようこそ!!3』においてすでに「水面」や「陽炎」といった動的演出機能を実装しており、また後者は『パンドラの夢』において降雨及びレンズフレアのアニメーションエフェクトを実行している。なお、文字通りのアニメーション化の他に、背景画像の差分連続切り替え等によって描写の動的フォローアップ(擬似アニメ)を行っている作品もある(――本格的なアニメーション化については次節で再び検討する)。

  降雨、降雪、花吹雪といったアニメーションエフェクトも、これに類する効果を挙げうる。『めぐり、ひとひら。』キャラメルBOX、2003年)は、降雪エフェクトとあわせて、キャラクター立ち絵に白い吐息エフェクトを表示させることによって、雪の田舎という舞台設定の興趣を強調している。同様に、『WHITE ALBUM』Leaf、1998年)における降誕祭の静かな粉雪アニメーション、『明日の君と逢うために』における荒々しい豪雨アニメがもたらす不安感、『仏蘭西少女』PIL、2009年)における見通しの利かない雨靄エフェクト、『えむぴぃ』の背景青空における開放感溢れる行雲スクロール、そして『桜吹雪』Silver Bullet、2009年)の各シーンで舞い散り続ける花吹雪、これらもまたその都度のシチュエーションを強く印象づける効果的な視覚演出である。

  全画面表示されるイベントCGも、様々な仕方でアニメーション加工を施される場合がある。一例として多重スクロールの方法を挙げておく。イベントCGを複数レイヤーに分割してそれぞれを別個にスクロールさせるものであり、これによって空間表現(奥行き表現)、エフェクトの動的強化、人物部分の強調、局所的なアニメーション効果などが実行できる。pajamas softぱれっとlightすたじお緑茶が意欲的に行ってきた手法である。




  【追記コメント】

『プリズム・アーク』 (c)2006 pajamas soft

  3Dで造形された緻密な背景画像。4基の風車は、すべて羽根がゆるやかに回転アニメーションしている。
※テキストボックスは一時消去してある。

『MERI+DIA』 (c)2005 ぱれっと

  少女(シータ)の周囲にホログラムディスプレイが展開されているイベントCG。ホログラム上に表示される文字列は、実際に下から上へ流れていく(つまり、動く)。画面全体がダイナミックにアニメーションしているわけではないが、その局所的な動きがアクセントとなって状況に迫真性を増している。


  リンク:ぱれっと公式サイトの『もしも明日が晴れならば』システム紹介ページ

  背景画像だけでなく、一枚絵のアニメーション化についても書き足した。LWのような作風だと、そもそも「一枚絵」という概念では捉えきれなくなってくるけど。

  一枚絵をレイヤー分割して部分的にor多重的にスクロールする見せ方は、pajamas softとぱれっとが代表的だろう。ただし比較的初期の実例――『パティシエなにゃんこ』(2003年)や『MERI+DIA』(2005年)、あるいはLWの『白詰草話』においても――では、緩慢なスクロール表示がどうしてもガタついてしまっていたが。(さしあたり2010年頃までの)エンジン動作の側で見れば、動画嵌め込みの方が、楽だし堅実なのだろうと思われる。思い起こせば、『うたわれるもの』(2002年)終盤の仮面落下シーンの処理がやたらと重かったのは、おそらくその移動表現をなめらかにさせていた(モーションブラー加工をしていた)からだったのだろう。PC上で2D素材を低速スクロールさせるとドット表示上の限界からカクついてしまうものである(cf. 以前にtwでいただいたID:nyaa_toraneko氏のコメント)が、しかし現在ではこの問題は技術的にほぼ解決されつつあると思われ、そしてすでに実際に多くのブランド(age、Littlewitch、ALcot等々)がこの成果を大いに享受していることが近年の作品からよく見て取れる。

  しかし、一枚絵に動的演出を導入するアプローチは、案外見かけない。何故だろう? 上記リンクでも例示されているぱれっととか、あるいはlight(『R.U.R.U.R』の戦闘シーンでは、無線小型攻撃機――要するにファンネルだ――が一枚絵上でふわふわ動いていた)とか……。使い勝手の良い手法だと思うのだけど、なかなか見かけないのは様式感覚上の疎遠さがあるのか、それとも技術上の困難があるのか……。非AVGをプレイしていると、ゲーム画面ではいろいろなものが動いて(アニメーションして)当たり前という認識をしてしまいがちだけど、純AVGの意識では動かさない(動かす必要が無い、あるいは過度に動かすと邪魔になる)という見方があったりするのだろうか? しかしいずれにせよ、立ち絵が動き、背景が動くようになってきたのと同じように、一枚絵もまた今後よりいっそう運動性の契機を自身の存在原理の中に受け入れていくようになるのではないかと思う。すでにSDカットインを介して、絵(イラスト)のアニメーション化に対する意識は向けられつつある。イベントCGが「動き」に対して開かれていくことがAVG分野にとって幸いであるかどうかは分からないが、それは規範的に――しかも今の時点で――どうこう論じるに相応しい問題ではあるまい。

  『ヨスガノソラ』(Sphere、2008年)では、登校中の一枚絵(CG鑑賞モードにも登録される)に動的表現が導入されていた。登場人物たちが並んで歩いているスチルで、キャラクター部分は軽く上下動し、背景の空では雲がゆっくり流れているというもの。作中でこうした動的処理を施しているのはその場面だけで、プレイしていて唐突感があったし、わざわざそんなことをして面白いかと言われると首をかしげざるを得ないものだったが。

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