2012年5月19日土曜日

(無題)

  深夜自転車徘徊の記録。


  2012年8月12日(日)
  午後7時過ぎに家を出る。今度はせっかくなのでこの赤(朱雀)の方角を選んで南へ。
  慈照寺の門前町をふらふら上っていって、山際の住宅街を安楽寺からダム女前経由で南下していくと、森と水の香りがとても良い感じで気持ち良い。南禅寺前から青蓮院門跡、そして知恩院の三門の前を横切って知恩院道を出ると、もういつもどおりの俗世の景色に。大通りから中に入って縦横に蛇行しながら下っていくと、記憶と錯覚の綯い交ぜにされた感覚が実に楽しい。以前に通ったという明確な記憶のある道、通ったことがある筈の経路、通ったかもしれない場所、通ったかどうか定かでない街角、初めてかもしれないのにまるで知っていたかのようにも錯覚される風景、等々。豊国神社近辺まで来ると、道筋の大雑把さと家並の味気なさとで、路上風景としてはあまり面白くない。
  JR線を越えて今熊野商店街から再び細い市道を下りていく。このあたりに来ても、本当になんでもないところに唐突に仰々しく建っている神社鳥居に遭遇できるのが、いかにもこの土地らしく、そしてその不思議な密度と変わらなさについ心が和む。疎水の生臭い香りにつきまとわれつつ、京阪線/近鉄奈良線に沿うようにしてさらに南下。ずっと先まで見通せる道を見ると、どこまでも辿って行けてしまいそうな開放的な気分になる。住宅街では、花火をしている家族を何組も見かけた。ムードのある伏見稲荷の門前を通過しつつ、高速道路の真下まで来てしまった。自動車免許更新の際に試験場まで自転車で行ったこともあるので、ここが到達南端というわけでもないが。西に向かうと、街の空気に浸される。味気ないが、確かに人が住んでいる、住むための街。しかしじきに、田んぼが広がり、空が大きく、そして空気もきれいになったように感じられる静かな場所になる。午後8時を過ぎて、人も車もいない道は気持ち良い。竹田駅まで辿り着いたところでさすがに飽きて折り返すことにし、水の香りの強い鴨川を渡って、バス路線すら無い無機質な自動車道を横目に十条油小路へ、そして、みなみ会館にも自転車で来ていたのを思い出しつつ、狭い道を抜けながら京都駅前へ。あとは、高瀬川沿いに北上。昔は木屋町通を下ってBAL裏あたりに自転車を止めて三条四条あたりを歩き回るのが習慣のようなものだったけど、さすがに最近はそんなことはしなくなっていた。あとは粛々と帰宅した。帰路で前輪がパンクしたので無駄に時間が掛かったが、全体で4時間程度。
  もちろんこれは〆切からの逃避。



  2012年8月5日(日)
  夕焼け空がきれいだったので、食事に出るついでに北上して、高野経由で一乗寺商店街を走って、以前住んでいたところ――どちらも今は誰も住んでいない――を巡ってみた。近所の建物などはそれなりに様変わりしていたが、当時何百回も通っていた道は、勾配の感じから視界の変化から路面のデコボコまで体が憶えていて、ちょっと面白かった。そのままさらに叡電に沿うような感じで修学院の細い道を蛇行北上して、宝ヶ池駅から花園橋は渡らず三宅八幡駅あたりまで行って、そこで(以前はこのまま大原まで自転車で行ったこともあったが)橋を渡って左に折れ、比叡山頂のぼんやりとした灯りを右手に見つつ――この光のおかげで場所と方角の見当がついた――山際沿いに三宅八幡神社の傍らまで行き、このあたりまで来ると田んぼの間に家々の建つ広々とした静かな空間にカエルの鳴き声と葉擦れの音ばかりが聞こえるようになっていて、その田舎めいた気持ち良さの中を長谷町あたりまで走っていったら小雨が降り出した。じきに止んだがそろそろ満足したので南下することにして、叡電木野駅の踏切を渡って(以前はここから京産大前まで行って上賀茂まで足を伸ばしたこともあった)、峠を越えて深泥池の西側の道を勢いよく下って北山まで降りてきた。コンサート前の時間潰しに最適な書店アミーゴには今日は入らず、そして後は普段のコンサートホール帰りと同じような経路で帰宅。出発時間は18:30過ぎで、帰宅時間は22時頃。一乗寺でかなり時間を使った(食事をしたり恵文社でデザイン関係の本を買ったりWillで休んだりした)のでずっと走り続けていたというわけではないが、信号機の少ない坂道を20kmほど走り回ったペースとしてはこんなものだろうし、学部時代と比べて体力の低下を感じさせられるほどの距離でもなかった。いずれにせよ、自分の身体をもって当時の土地勘と体感と空気感を再訪しつつ、なんだかそれらを埋葬して回ってきたような気分。これらの場所を訪れるのは今回が最後である可能性が高いし、もし今後再訪することがあるとしてもその時はおそらくもはや自転車ではなく、交通機関を使った観光客としてのアクセスになるだろうから。



  2012年7月29日(日)
  いろいろなところに行くつもりが、御手洗祭で時間を過ごしてしまった。



  2012年6月6日(水)
  はぐれホタルに誘われて哲学の道を端から端までずっと走ってきた。0時過ぎともなれば人影はほぼ皆無で、砂利道を車輪が噛む音も心地良く、山沿いに木々の空気を味わえるのも気持ち良いのだけど、途中には人家を離れて街灯も乏しい区間があるので、うら若き男ノ娘としては内心戦々恐々の思いもあった。帰路は静かな住宅街の中をうねうねと走った。廃墟趣味にやや近いのだろうが、それとまったく同じではないような気がする。むしろそれよりも、人々が寝静まりつつある時間に暗い戸外をさまよう行為が、この社会への帰属の根を不可避的に持ちつつも同時に「社会」それ自体に対して異邦人的である気分を体で感じさせてくれるからなのかもしれない。



  2012年5月19日(土)
  疎水沿いに走って南禅寺前まで行き、折り返して二条通を西進して、下御霊神社前のお祭りに巻き込まれたり一旦五条まで下ったりJR二条駅の書店で買い物したりしつつ、東西線に沿うようなルートで嵐電天神川に行き当たったところから太秦広隆寺、帷子ノ辻駅まで蛇行して進んできたら周囲が本当に暗く静かで緑に満ちた空気になって気持ち良くなってきたので、南西にまっすぐ向かって桂川沿いの穏やかな夜景を見ながら渡月橋まで辿り着いたらなんとなく気が済んで、後は丸太町通りを東に走って妙心寺などにも立ち寄りつつ帰ってきてみれば、日付が変わるにはまだ間のある時間だったので、せいぜい三時間半くらいのことでしかなかったのだけど、その間ずっととりとめもなく考え続けていたおかげで、完全に決着がついたというわけではないにしても、今後とるべき態度について自分の中で納得のいくところまで考えをまとめることができたし、相手の方についても現在考えうるかぎりの心からの敬意を持って見ることができるようになったので、ここに書くことが適切かどうかについてはあえて判断せぬまま、記念として書き留めておくことにする。

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