2012年5月5日土曜日

経過報告(6)

  日々のなんとかかんとか その6(2012年5月~)。


  2012年6月30日(土) もっぱら ~つらいことどものはなし~
  新作を買ってくるとゲームプレイ意欲が大いに刺激されるが、しかしその意欲はむしろ「まずは旧作」に向かいがちだったりして、新作を放置して『星空のメモリア』を引っ張り出してきているのだが……『初恋サクラメント』の時の印象とまったく同じで、この脚本家の笑いのセンスに長時間付き合っていくのは私にはちょっとつらいかも。特定のキャラクターとの一対一会話を何百クリックも続ける鈍感さも、明らかにゲーム脚本家としては問題のある悪癖だろう。ただし、公平に言えば、全体的にみてライターとしての技量はむしろ高いと断言できる。序盤に特定キャラクターとの会話が続くのは、他のキャラクターたちを順次登場させていく手順を慎重に捉えているからこそなのだし、執拗なまでの繰り返しギャグ(天丼)も、それ自体はむしろ長丁場のテキスト進行に対してプレイヤーの興味を持続させる手法として総じて効果的であろうことも確かだ。さらに、個々のキャラクターの内面造形が素っ気なく機械的に感じられたり行動原理が過度に一貫して一本調子に見えたりするのも、機能的なコメディ展開と理知的なプロット構成の裏面としてやむを得ないところはある。
  ちなみに、『星空のメモリア』はまだCROSSNET時代(株式会社クロスネット)の作品なのだった。インストール時のデフォルト設定で「CROSSNET」フォルダを作らせていたので思い出せたが、もちろんパッケージにも明示してある。さらに余談になるが、『英雄*戦姫』もパッケージには「販売元 株式会社モノクローマ」と記されている。

  そしてつまり今日も床敷きキャラクター広告を踏まずに歩くのに苦労してきたのだが、そうした床敷き広告のことを「愛情表現」[tw: 217150847954591744 ]と呼ぶ発言を目にして以来、その趣旨が理解できずに苦しんでいる。誰からの、何による、誰(何)に対する「愛情表現」だと言っているのだろうか。どんな場面であっても(たとい床敷き広告といえど)ヒロインを「常に、最大限に」強調することこそがキャラクターに対するorユーザーサイドに対する制作サイドの愛情だと捉えているのか。それとも、製作サイドの責任の下でヒロインを供物とすることを覚悟した、ユーザーに対する「愛情」だとでもいうのだろうか。あるいは、以前どこかで目にした「トイレットペーパーへのキャラクター印刷」のような倒錯的な嗜好を含意したサービスででもあるのか。このように最大限ありうる理解の可能性を想像してもやはり納得には至らず、いずれにしても私にとっては靴跡で濁らされたそれらの絵を見つつ踏まないように歩くのが苦痛を伴う体験であることに変わりはない。
  ちなみに、『ジブリール4』でヒロインが頭部や胸部を文字通り踏みつけにされているサンプルCGを目にしたことがあり、それは何かとても不安にさせつつ同時にどこかで興奮を刺激するものでもあったので、そこになんらかの快楽の契機を見出すことははどうやら私にも理解可能であるらしい。

  来月も何本か買うつもりだが、今回もでぼの売り方がきつくてつらい。「同日発売のシリーズ前作VFBに、当の新作の特別シーン(データ)が収録されている」とか、「同日発売のサントラに、本編で使用できる追加ユニットデータが収録されている」とか……つらい。

  『ARMS WORKS~美少女ゲーム世界の兵器~』:こんな本が刊行されたようだけど、この目次のまるでアダルトゲームを始めて半年程度の初心者がようやく覚えたかのような浅薄でミーハーで偏った作品ラインアップを見ただけでもつらい。私自身は知識の深さに関してもコミットメントの強さにおいてもけっしてミリタリーマニアを自称できる水準ではないのだが、そんな程度の私ですら、作品の中でけっして少なくない比重を占めかつ特定可能なレベルの具体性を備えた銃器/兵器描写のあるタイトルをざっと20本は追加で挙げられるのだし、もちろん私の2倍も3倍も挙げられるゲーマーだってたくさんいるだろうに、よくも蛮勇を振るってこんな企画を形にしたなあ……編著者たちは恥ずかしくないのか、あるいはただ単に提灯冊子にすぎないのか、それともゲーマーたちが嘗められてるのか?

  歴史上の人物の女体化(+転生)ネタには私も食傷していたけど、「いっそ『織田信長』や『曹操』や『弁慶』も、『ツンデレ』と同じような、文字通り普通名詞化した属性表現(人口に膾炙したキャラクターモデル)の一種だと考えれば、そんなにつらくもない」と思えるようになってきた。「作り手と受け手の間にあらかじめ幅広く共有されている、人物の性格及び行動原理さらには個々のエピソードや他のキャラクター像との関係のあり方についてのイメージ」という意味において、むしろこれがまさに実情なのかもしれない。



  2012年6月25日(久々の風邪)
  いつの間にかすたじお緑茶の新作情報が公開されていたり(ついでに公式サイトもリニューアルされた模様。『夏日』以前の情報が消えているのが悲しいが)、いつの間にかSkyFishの新作情報が公開されていたり(さえき氏原画だが、Cabbitブランドではないのね。しかし「伝奇ホラー」とは、本当にいつもいつも挑戦してくれて頭が下がる)、毎度のSH-sealの新作情報が公開されていたり(今度はSTGなのだそうな。ドット絵を期待してみたいところだが)していて、おかげで発売までは――購入するまでは――生き延びていたいと思える。
  とりあえず今月末は予約券3枚を握りしめて梅田に向かう。行けるのは土曜日になりそうだが。



  2012年6月24日(日)
  [ http://www.favo-soft.jp/soft/product/world/world.htm ](※左記アダルトゲームサイト注意
  えっ……『いろとりどりのセカイ』公式サイトを見ていて、「異世界編」なんてものがあるらしいことに、今ようやく気付いた……これはなんか凄い。やはり優先順位を上げてプレイせねば。せっかくの澤田なつ氏主演作品でもあることだし。



  2012年6月24日(日)
  そういえばtwでも、『はっぴぃ☆マーガレット!』や『SEVEN-BRIDGE』や『MERI+DIA』や『少女魔法学』や『うちの妹のばあい』のことが話題に挙がったのを見たことは結局一度も無かった……ような気がする。一般的には、特に機会がなければ旧作のことはなかなか話題にしない(あるいは話題にしにくい)ものなのだろうか。とはいえ私のTLのわずかな見聞の範囲でも『桜華』は何人かの方々が、『ウィズアニ』や『Forest』も何度か、『えむぴぃ』もちょっぴり、『Quartett!』もいくらか、そして『しにきす』も度々言及されていてその都度嬉しかったのは今でもはっきり憶えているので、これで良しとすべきなのかもしれない。もちろん他方で、残念ながら私が話題に乗ることができなかった他の無数の作品もあったのだし。……いずれにせよ、旧作のことは(旧作のことも)、もっと話題にしていきたい。(先日の覚書で思い立って『委員長は~』を再プレイしようかと思ったら箱もディスクも掘り出せなくて見つからなくて悲しい思いをしたばかりだが。)



  2012年6月24日(日)
  TG誌が好きではないのを差し引くとしても、TGFに対して今のところ良い印象は持っていないが、ちょうど先日書いた「同人を除外した、商業作品のみのPCゲームデータベース(&レヴュー投稿)サイト」になってくれるなら、(私にとっては)EGScapeとの比較のうえでTGFのアドヴァンテージになるかもしれない。商売として見るなら、DL販売に紐付けてうまく運用すればユーザーにとっても売り手にとっても得なシステムになりうるだろうし(――現状では、一部のタイトルにamznへのリンクが付いているのが確認できる程度だが)。他方で、とりわけ制作スタッフに関する情報は、業界にコミットしている一企業ではあまり深入りできないだろうから、その点ではEGScapeの側のアドヴァンテージが残るだろう。



  2012年6月24日(日)
  そういえば『○○と○○』という形のタイトルネーミングは乙女ゲーっぽいなあと思ったが、実際にはちっともそうではなかった(cf. EGScapeの属性表示「乙女ゲーム」該当作品一覧:[ http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/attlist.php?att[82]=on&submit=on#kekka ])。最初に連想したのは『メイドさんと大きな剣』だが。あと、さしあたり思い出せる範囲では『アトリの空と真鍮の月』とか『花咲く乙女と恋の魔導書』とか『すきま桜とうその都会』(未プレイ)とか。いずれにせよ、好き。



  2012年6月24日(日)
  よし、期待していたとおり、FAVORITE作品の画面造りはサムネイルでもよく分かる、あるいはもしかしたらむしろ縮小された状態の方がその特徴が見て取りやすくなっているくらいかもしれない。

  それにしても、画像引用+キャプションの連続による「説明」はズルいとも自覚しつつある。画像それ自体が持つ強力な説得力の影で、それに寄り添うような素振りをとりつつ、論証としての厳密さ(各命題のつながりの適切さ)はキャプションテキスト間の制度化された――制度化された所与としてあらかじめ同意が取り付けられているかのように見做される――間隙に紛れてほとんど不問に付されてしまうことになるから。とはいえ、ゲームプレイ体験の記憶と感触を掘り起こしつつ今そこにある画面のあらゆる細部を文字数の制約と言語の制約の中でできるかぎり掬い取ろうとするこの作業が、たいへん楽しいものであることもまた確かなのだが。



  2012年6月23日(土)
  『はっぴぃ☆マーガレット!』『Wiz Anniversary(ウィズ アニバーサリィー)』って雰囲気似てるよねーというぼんやりしたイメージを抱いた私が、どちらも同一のブランド(の同一チーム:現FAVORITE)の作品であったことに気付くのには数分間を要したが、しかしそれでも言いたかったことに変わりは無いので書き残しておく。……実はそれ以降のタイトルはまだきちんとプレイしていないのだが。

(※――以下、別項「FAVORITEブランドの美術設計について」に移した)



  2012年6月18日(休)
  「どうか、お許しと哀れみを。我々の進む先に、暗闇を置かないで下さい。罪深い歴史のその果てに、ゆるぎない、一つの星を与えておいて下さい」――何度も観ている映画だが、今日はつい引用してみたくなった。



  2012年6月17日(日)
  ここしばらくこのblggr上で何度か試みてきた、「体験基軸」の個別作品素描、わりと書きやすいかも。執筆作業それ自体も楽しいし、それを一般化可能&伝達可能なものにするための媒体として具体的事実の記述と分析的論証を取り込めるのも良い。ただし、「上手くやれれば」という留保が付くし、こればかり繰り返していると嘘臭くもなってきそうだが。



  2012年6月16日(土)
  備忘録的に「VOICE ACTRESS CONCERTO!」(「TECH GIAN」誌の企画)のメモを公開。第5弾以降も出てきてくれたらいいな。



  (下記話題の続き)
  以前からのソフトハウスキャラ作品のユーザーにとっては、このロウメイの衣装は単なる「旧作とのクロスオーバーの外形的証拠」にとどまるものではない。何故なら、その旧作『グリンスヴァールの森の中』は学園経営SLGであって、そこでプレイヤーは実際に自らの手で数千人、数万人の学園生たちを育て、送り出していったのだから。
  彼等学園生たちは、たしかに『グリンスヴァール』の時点では匿名的なままであったが、しかしただしそれらは単なる数字上の存在ではなく、ゲームデザインの中でそれぞれ一定の具体性を持った存在として表現されていた。例えば、1)毎ターン(毎年)の区切りには、プレイヤーが何人もの卒業生たち――それぞれ志望職種に合わせた服装のドットアニメーション画像を伴って表示される――を進路指導するシステムがあり、2)学園俯瞰モード上では、各施設上にマウスカーソルを合わせるとその施設での学園生たちの声(SE音声)が様々に湧き上がってくるようになっており、さらにAVGパートにおいても、3)毎ターン発生する無数の幕間イベントや、4) カジュアルに実行できる「学園の風景」コマンドでの学園生たちの様々な出来事をプレイヤーは目にすることができる、といったように。
  このようにして、百年乃至三百年をグリンスヴァール学園の学園長(主人公=PC)として過ごした経験のあるプレイヤーにとっては、この学園の制服を着用しているこのキャラクターを実際に作中で個人として認識したことが無くとも――実際、管見の限りでは『グリンスヴァール』のテキストに「ロウメイ」という名前のキャラクターは登場しなかったにもかかわらず――、プレイヤーは自分がPCとして経営していた学園の百年間のどこかに確かに「いた筈」のキャラクターとして、このキャラクターを受け入れることができる。
  これは、ただ単に旧作クロスオーバーを示唆すればいつでも再現できるような感興ではない。『グリンスヴァールの森の中』が、作中世界に対するプレイヤーの能動的操作(つまり参加)を要求するSLGであり、しかもそこでは登場人物たち――固有の物語を担うヒロインであれ無名のモブであれ――がシミュレーション世界(あるいは文字通りの意味でのロール・プレイング空間)らしい具体性と固有性の徴を与えられて表現されていたからこそ、プレイヤーは「ロウメイはきっと自分の教え子であった筈だ」ということを、あたかも先取りされていたかのように擬制的に認めることが可能になるのだ。まさに受け手の参加によって、そして受け手の体験の内部でこそ、意味の形成が完遂されるという、SLG+AVG作品が持つことのできる特徴的な美質の一つを、ソフトハウスキャラのシステムと物語は十二分に享受させてくれている。それを可能にしてくれているのは、この『グリンスヴァールの森の中』のゲームデザインそのものである。すなわち、俯瞰的ではあるがけっして抽象的なままには終わらず、また高度に体験的であるが同時に細部について曖昧さを残したこのSLG+AVG複合表現によるパンフォーカス的空間は、alicesoftのように目的と制約の中に整序された「(狭義の勝利追求的な)ゲーム」でもなく、またEscu:deのように厳格かつ機能的なルールシステムに規定された(それ自体としては非常に巧緻かつ卓抜な)運動性でもなく、そして状況と言葉と可能性と無数のキャラクターたちに満ちたその架空世界表現のインタラクティヴな「緩さ」の中に、想像力のための大きな余裕が湛えられていたのである。

  そういう機縁に加えて、キャラクター立ち絵の見た目とそこからたちのぼってくるイメージもとても好みなので、発売されたら本編ではできるかぎり厚遇してあげるつもり。鍔広の三角帽子にウサギ(?)のアップリケ、きれいな水色をした短めの癖毛とそれを後ろで控えめにまとめている若草色のリボン、阿りとは無縁そうな冷静な瞳、折り目正しくきちんと正面を向いた姿と、両手を体の前で合わせている思慮深げなポーズ、学園制服の象徴でもある牡丹色の上品なスカーフ、細く小柄な体躯と柔らかくなびくスカートとのコントラスト……派手なところは無いものの、佐々木氏のこれまでの大量のキャラデザの中にあって完成度の高いものであることは断言できる。



  2012年6月16日(土)
  [ http://shchara.co.jp/04develop/19mon/mon_2chara.htm#chara06 ](※アダルトゲーム注意
  おお、このロウメイさんの服装はまぎれもなくグリンスヴァール学園の制服! 懐かしさとともに、ユーザーのイマジネーションを強烈に刺激してくれる。
  それと、ルアさんのキャラクター設定を見てのとおり、「経済」の視点を手掛かりに架空世界のリアリティを描き出していくのは、内藤氏お得意のアプローチ。そして、彼女以外のキャラクターたちもそれぞれに相異なる(そして作中世界の中での当人の社会的地位と密接に絡み合った)価値観及び行動原理を持っており、そしてそれらが様々な形で複雑に関わり合っていくのも、ソフトハウスキャラのフィクション世界造形の重要な特徴であり続けてきている。この新作『門を守るお仕事』の現時点でのキャラクター紹介からも、その方向性ははっきりと見て取ることができる。



  2012年6月15日(金):感涙の日
  めっ、めがねっ眼鏡っ! みんなメガネさんに! >Zoff×けいおん!



  2012年6月15日(金)
  今なら、『委員長は承認せず!』(2006年)のタイトルは先進的だったのだと言い張ってみることもできるかもしれない。原画担当のここのか氏について見れば、コミカルでスタイリッシュな『桜華』(2005年)から柔和で懐深い『はっぴぃ☆マーガレット』(2007年)へと大きく変容していく最中の過渡期的画風が本作の着彩の浅さと相俟っていささか中途半端に感じられ、また同時に青山氏がヒロイン級で出演している共同参加という観点ではその後の秀作『月と魔法と太陽と』(2008年)もあるし、そして作品単体としてもブランド及び参加スタッフを見てのとおりいかにもイロモノ的であったため私も発売当初は敬遠してしまっていた――当時は失礼にも共産趣味的地口冗談のネタにしていた憶えがある――が、実際にプレイしてみるとそんなに悪くもなかったのだった。偶然かどうか知らないが、キャスト全体も『月と魔~』によく似ていたし。

  「(原則として主語と述語を備えた)文」の形を成しているタイトルと言えば、マリゴールド系列の台詞タイトルを脇に措くとしても、朱門優とアトリエさくらを代表例として、『松島枇杷子は改造人間である。』『処女はお姉さまに恋してる』『僕は天使じゃないよ』『彼女は高天に祈らない』なども思い出される。『Piaキャロットへようこそ!!』『残暑お見舞い申し上げます。』『同人誌即売会をやろう!』あたりも一応。
  ……(いろいろ検索中)……あ、『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』『そう、あたしたちはこんなにも理不尽な世界に生きているのだらよ』『だらしなくてエッチなお姉さんが転がり込んできた。どうする!?』『お嫁さん候補があらわれた! コマンドは?』『我家に魔女がやって来た!』『夜が来る!』『魔法が世界を救います!』『お嬢様の為に鐘は鳴る』『ぼくらはみんな、恋をする』とかも。もちろん他にももっとあるだろうし、このまま行くと『エイミーとよばないでっ』や『好きなものは好きだからしょうがない!!』にまで遡ってしまいそうだが、いずれにせよ「文」スタイルのタイトルはPCゲームにも以前からそこそこ存在したということを確認できたので良しとしよう。

  それにしてもEGScapeはそろそろ、同人作品や全年齢作品を除外した形でデータを扱いやすいようにしてほしいなあ……。個別ブランドデータもどんどん蓄積してきていてブランド一覧ページなどはもう重すぎてとても開けないし、発売日一覧もかなり見づらくなっているし。



  2012年6月13日(水) ※先日の話の続き

  (※独立の記事にした。→「クリック進行と音声表現との関係について」

  さすがに独立の記事にした方が良かったかも。演出論から取り組み方を改めた「(AVG)表現システム論」の腹案はすでにあるのだけど……。



  2012年6月13日(水)
  [ http://www.web-marmalade.com/products/koiiro/ ](※アダルトゲームサイト注意
  「結婚」「嫁」「許嫁」ネタがここ数年(2007年頃から?)の純愛系分野――Nornや脳内彼女をここには含めないとしても――で増えてきたのは、「ヒロインたちをルート単位で分断せず物語の状況全体の中で一体的に取り上げ続けようとする傾向=ハーレム志向の強調」と「アダルト要素の比重増大=序盤展開の節約」という推定的事情に鑑みれば納得は行くものの、趣向としてはあまり好みではない。しかしそれでも(SD原画のみとはいえ)ここのか氏が原画参加しているのであれば食指を動かすのに十分ではある。

  ちなみに、新作サイトを訪れた時にまず最初にそして必ずチェックするのは、否応なく目に入るタイトルとグラフィクスの2要素を別とすれば、配役とキャラクター全身画像。実際にはキャストされているのがどなたであっても購入意欲を左右することはあまり無いのだが、言い換えればキャストがどなたであっても幸せを(いわば本編を先取りして)感じられるということでもある。名前を目にするだけでいろいろな情報が想起される要素でもあることだし。キャラクター"全身"画像は、ゲーム本編ではめったに見られないものだし、キャラクターたちの等身とプロポーションと服飾コーディネイトに関するイメージを作り上げておくうえで私にとってはきわめて重要なプレイ前手続になっている(――ちなみに、そうした全身画像を見ることのできない男性脇役などのキャラクターは、私の頭の中では下半身の無いジオング状態のまま、あるいは下手をするとアグリッパ胸像状態のまま、浮遊していることが間々ある。この意味で、私にとって立ち絵は、いわば「演者」にきわめて近い存在である)。その一方で、「物語」欄は見ないまま済ませることの方が多いかもしれない。



  2012年6月12日(火)
  『恋色空模様ah/eh』のOP(主題歌)「フルスロットルHeart」がDucaとAiRIによるデュエット曲であるという事実は、解釈上においてというよりも体験上の意味合いにおいて、たいへん示唆的である。この本編/FDは、経済開発の荒波に直面した離島における住民、学生、事業者たちそれぞれの立場(生活、人間関係、利害関心)と陰謀と交渉と衝突の過程を丹念に描いた力作であり、そしてまた、ワイド画面とフキダシ型テキスト表示の併用による華やかで重層的な多人数会話を全編に亘って実現した秀作である。すなわち、ここで、物語の次元においても表現スタイルの次元においても、複数の「声」が響き合うその劇的空間の魅力をプレイヤーに対して予告的象徴的に示唆する呼び水になっているという意味で、つまりその(二重の意味での)多声性に対するプレイヤーのセンシビリティを前もって覚醒させ賦活する作用を果たしているという意味で、この個性的な二人の歌手が力強く歌い交わす主題歌はあまりにも相応しいものだった。
  少なくとも私個人としては、このように編成選択された主題歌のこの特有の響きと力感を、このような作品コンセプト理解の下で、このように感じつつプレイすることができた。しかし、VFBのインタヴューなどを読むかぎり、ブランド側スタッフから楽曲制作サイドに対してかなり細かく意見と注文が出ていたようなので、この曲をただ単に「本編との関係の希薄な、単体で鑑賞されるためのイメージ曲」と捉えるのではなく、「本編と不可分的な表現要素の一つ」としてその意味連関を一体的に捉えようとすることに、十分な理由はある。

  なお、重唱曲は、この分野としては比較的珍しい編成である。ウェブサイト「BANDiTの隠れ家」の浩瀚な調査[ http://www.alchemics.co.jp/users/bandit/vocal.html ]を見ると、例えば2009~2011年の三年間に発売されたタイトルの主題歌(OP曲)の中で、重唱曲が占める割合は5.5%である(――743曲中、デュエットが29曲、トリオ以上の編成が12曲。独唱にコーラスのみ付加される17曲を含めても7.8%)。



  2012年6月11日(月)
  ちなみに、類例として籐野らん氏と九条信乃氏が"共演"している『クロノベルト』という作品もある。籐野氏の出演した『あやかしびと』と、九条氏の出演した『Bullet Butlers』の合同FDという位置づけ。



  2012年6月11日(月)
  その『花咲くオトメのための嬉遊曲』ってのは、女学園に花咲く百合関係を足掛かりに後輩(スール)たちを学生運動に次々に引きずり込んでいこうとする組織のオルグ手法に疑問を抱くようになった心優しいサヨク少女の憂愁煩悶の物語なんですねきっと(それ違う、何重もの意味で。『サフィズム』と『LLE』のLiar-softならこんな企画を立てそうに思えるかもしれないが、しかし実際にはこんな泥臭いネタに近づきはしないだろう)。



  2012年6月11日(月)
  おおいし氏によって収集されている一連の成果があまりに際立っておりかつ分かりやすくかつ支配的であるおかげで――ただし「舞台探訪アーカイブ」への登録基準は、形式上はそれと同一ではないと思われるにもかかわらず[*]――ほとんど無意識にそう考えられがちのようだけど、作中の描写と一致する写真を撮ってくる行為それ自体は「舞台探訪」の十分条件でもなければ必要条件でもないよねえ。たしかにそれは、「その特定の地点が確かにそのロケ地であったことの証明」と「自分がまさにその地点を踏みしめたということの証明」という二重の意味で、現地訪問の外形的証拠として分かりやすく有効なのだが、もしも舞台探訪の興趣が一致画像探しに還元されてしまうようなものであるなら私はそんな活動に興味は持てなかっただろうし、あるいは、「舞台探訪」活動の目的乃至意義をそのように味気なく定義する人に対しては――それを誤謬だとは言わないまでも――私ははっきりと立場を異にする。
  もう少しマイルドに言おうか。自分が好きになった作品(の作者)がイメージを汲み上げてきたその場所を訪れて、その作品がまとおうとしていたと見做される雰囲気のよすが(あるいは作品に対して、遡行的に、対応していたと見做される実在の雰囲気そのもの)を感じようとすることの――いささか転倒した――楽しさは私も理解しているし、舞台探訪を実践する方々が単なる元ネタの答え合わせ探しを超える強烈な感興をその都度得ている筈だということはけっして疑っていない。ただし、その写真には――とりわけ訪問者=撮影者以外の者にとっては――たいした意味は無い、と言っているだけだ。私見では、舞台探訪写真は、当人自身のための趣味の記録であるという点において、映画マニアによる館内パンフレット購入や鉄道ファンによる走行音録音と本質的に異ならない。舞台探訪記事を読む者は、その点を取り違えるべきではない。

[*] 舞台探訪アーカイブサイトでは、「漫画/小説/アニメ/ゲーム/ライトノベル等に登場する舞台を」、「場所を[具体的に]特定」したうえで、「実際に訪問する記事」であるという3つの要件を記事登録の基準として掲げているようである。文字媒体である小説及びライトノベルも挙げられているので、画像証拠を伴わない訪問記事も登録許可され(てい)ると見做すべきであろう。いずれにせよ、上記サイトの方針それ自体に異を唱えたいわけではないが。



  2012年6月10日(日)
  ふと思い立って、「桜乃」のggl検索結果はどんなバランスになっているだろうかと心拍数を上げながら検索実行してみたら……うーん、こんなふうなのか。画像検索だと上位を『ましろ色』の彼女が圧倒していて――母集団が多い漫画作品の方が優勢だろうと思っていたのでこれはこれで意外だ――、他方でさくらのさんとかはほとんど出てこない。



  2012年6月9日(土)
  ああ、緑茶さんがtw復帰されたのか。ちょうど昨日、たまたま久しぶりに見に行ってみた時にアイコンやフォロー関係が様変わりしていたのは気付いていたけど、いったんアカウントを消して同一文字列でアカウントを再取得された模様。とはいえ、私自身としてはただ心中応援しつつ見守っていくことしかできないのだが(――ちなみに、私が以前使用していたアカウントは今月末に最終ログインから丸6ヶ月になるので、削除あるいは凍結される可能性がある。投稿文面それ自体はtwlgにログを残してあるものの、もしも削除/凍結されたらリプライの連鎖を辿れなくなってしまうという点は厄介だ)。



  2012年6月9日(土)
  SHC新作の配役は、直近数作に倣うならメイベル=桜川氏、ディー=海原氏、リーフ=星咲氏、エレナ=あおい氏、といった感じになりそうだが、どうなるだろうか。七年前であればキャストはそれぞれ青山氏、松永氏、神崎氏、大波氏になっていたに違いないが、しかし今年は2012年なのだ。
  ゲームパートは、現在公開されているゲーム画面SSを見るかぎりでは小ぶりな『First Queen』といった趣があるが、ターン区切り(言い換えれば仕切り直しと再編成のタイミング)がどのように挿入されるか、交戦中のプレイヤーの介入如何/介入形態/介入タイミングがどうなるか、勝利条件がどのように設定されるか(物語上は突破されなければ勝利になりそうだが、ゲーム上は敵全滅が勝利条件になることも考えられる)、消耗したユニットはどのように(どのようなタイミングで、どのようなコストを支払って)回復し得るか、これら次第でゲームの実際の形姿は如何様にもなり得る筈だ。やはり、そしてついに、『巣作り』型の週単位進行+オート防衛戦+戦闘結果によるイベントフラグ進行かなあ……。



  (日付無し)
  ちょっとややこしい話。以前も別のところで書いたことがあったかもしれないが。『姫狩りダンジョンマイスター』のエンドロールでは、大波氏は「アナスタシア」役でのみクレジットされているが、その他にも「紫色の珍獣」(※上記のナスの別人格?)、「ヘルテ」(※汎用無名ユニット。ただしアダルトシーンあり)、「玉座斬りの亡霊」(※2周目以降の特別マップのボスキャラ。アダルトシーンもあり、味方ユニットにもなる)にも配役されているように聞こえる。ただし、ややこしいのは、同時に猫井氏が主役級(「シルフィーヌ」役)でクレジットされていること。こうした場合には、
  1)端役キャストをどこまで細かく書いていくか、
  2)言及が差し控えられるべきかもしれない要素(隠しキャラなど)をいかに考慮すべきか、そして、
  3)それぞれの役者さんの出演情報としてどのように判断しどのように書けばいいのか、
という一連の問題はかなり扱いがデリケートになる。



  2012年6月7日(木)
  白衣キャラは言うまでもなく何人も存在するが、キャラクター嗜好としてはよりいっそうマニアックと思われる「作業着ヒロイン」ですら、今すぐに思い出せる範囲でも、『Rance』シリーズのマリア(発明家)を初めとして、『うえはぁす』のルーシィ(自動車改造屋)、『パトベセル』の篠原伊月(作業ロボット整備士)、『機械仕掛けのイヴ』の樹里(機械技師)、『蒼海の~』シリーズの数人(潜水艦の機関士等)と、五指に余る人数が数えられる。さらに手許のデータを参照しつつ思い出してみると、『水平線~』にも作業着シーン(アマチュアグライダー制作クラブ。立ち絵/一枚絵)があった。『DOOP (ADVANCE)』の沙耶や『英雄*戦姫』の発明家キャラも。みすみヴォイスのヒロインにも誰かいた筈……ええと、柏崎アンナさん。e.go!作品のどれかにもいたような憶えがある(――余談ながら、そういえばライダージャケット立ち絵なんてのもあった)。他方で『オルタ』は軍服のみであって作業着ではなかったと思うし、『白詰草話』のサブキャラクターたち(生体工学技術者)や『SEVEN-BRIDGE』のスラーヴァ(鉄道機関士)も作業着ではなかったと記憶している。『アルテミス~』は未プレイ(買ってもいない)ので判断できない。そしてもちろん、『ザ・ガッツ』シリーズは忘れてはならない。
  (それにしても毎度ながらこういうのを書くと、あれもプレイしてないのか、これも知らないのか、ということになってしまうが、とにかくここで大事なのは自分の記憶をその都度掘り返して再吟味しつつ新鮮な空気に晒しておくことだ。)
  後日追記:『ボクの彼女はガテン系』もあったか。残念ながら未プレイ。



  2012年6月6日(水)
  ※単独記事化した:「『神楽』シリーズについての雑感



  2012年6月4日(月)
  [ http://www.noukano.com/yomeju/img/top_bg01.jpg ]※左記アダルトゲームサイト注意。
  パッケージアートとして使われるのだろうか、実に良い絵。温和に漂う百合ムードも実によろしい。萌花ちょこ氏――どうやら「もか・ちょこ」と読むらしい(cf. [ http://konosora.jp/blog/campaign/1626/ ])――が主演されるのも、期待感を高めさせてくれる。まだ若い役者さんかと思われるが、デビュー作『BUNNYBLACK2』(松永氏に代わるメリル役)ではその清潔感のある声色と丹念な芝居ぶりにたいへん好ましい印象を受けた。戦闘シーンでの「どん!」「どどん!」も楽しげで実に良かった。注目していきたい役者さん、そして購入を決意した新作。
  ちなみに、キャラクター苗字の多くは京都市内の地名等(高辻、堀川、塩小路)から付けられているように見えるが、完全に一貫しているわけではなさそう。



  2012年6月4日(月)
  [ http://xsrv.moon-stone.jp/product/ms14/img/1160.jpg ]※左記はアダルト要素を含む画像につき注意。 ああ、一枚絵はもう90度以上回転させて天地反転してしまっても構わないのですね……。この固定された画面サイズと特定された状況の中で、何を(どこを:具体的にはヒロインの頭部全体、胸部、手元、そして下半身まで)見せておきつつ何を(とりわけ男性キャラクターの身体を)フレームアウトさせておくかという実際的問題として見れば、その限りでいえば、確かにきちんと帳尻を合わせたレイアウトであると言うことはできるし、またこれに匹敵するほどの角度の画像は以前にも他作品で見たことはあったけれど、しかし水面(つまり嵩のある液体)を映した画像でこれをやらかされると違和感は強まる。常識的に言えばこの画像から90度(あるいは180度までも)回転させた図の方がよほど素直に見られたであろうが、しかし原画家は何故このような挑戦的な構図を採用したのか、そしてテキスト及び音響と組み合わせた実際のゲーム画面としてはどのように受け取ることができるのか、むしろ興味が湧いてきてしまった。



  2012年6月4日(月)

(2012/6/2撮影)これがあの、中澤アユム氏に官能を覚えさせたというショッキングな商品名のあれか!(中目黒ラジオ第20回参照) 近所のお店でたまたま見つけたので買ってみた。

  ところでライターの坂元星日氏って最近すごい勢いでたくさんの作品に参加して脚本執筆しているようだけど、いったい何者なんだろうか。


  復帰しよう。





  きょうのくろれきし(Schwarzes vom Tage)。
  スーパー前のガードレールにつながれていた犬に「にゃー」と呼びかけたら、建物の影に人がいた。「べっ別にこんなの普通だよね普通の反応だよねこんな可愛い子を見かけたら普通は普通の大人は一声掛けたりしてみたくなるものなんだからねっっっ」といった態の素知らぬ顔を瞬時に装ってそのまま通り過ぎていったけど……。



  2012年5月11日(金)
  早めの退勤の理由として「明日は重要なシンポジウムがあるから」と大嘘をついt……いや、きっと素晴らしい饗宴(Symposion)になるに違いない(――いや、お酒は出ないが)。しかし、自分がこういうイベントに参加するのは今後二度と無いかもしれない。今回はわりと勢いで申し込んだのだが、やはり気後れしてしまうところがあって……。



  2012年5月11日(金)
  くっ……せっかくの機会なのに、でふまふ口調にするのを忘れてた! 次こそは必ずや。(そんな冗談はともかくとしても、センシティヴな話題に触れてしまったのは良くなかったかもと反省。)



  2012年5月10日(木)
  文筆家が自身の持つイメージを最良の形で表現しようとする時、ある一つの特定の言い回しが「これしかない」という理想的なものとして繰返し用いられる(用いずにはいられなくなる)というのは――規約的に使用される技術的な用語の場合を別論としても――理解できることなので、無下に一概に非難すべきものではないだろう。私のゲーマー経験の範囲内でいえば、例えば『MERI+DIA』(脚本家:「ん。」)に際してとりわけそれを強く感じた憶えがある。そのいくつかの特定のフレーズの執拗な反復ぶりは、脚本家の語彙の貧困さに起因するものではなく、そうではなくて筆者自身がそれらの言葉を、当のキャラクターの核心的イメージを理想的に形容する表現として強烈に確信して使用したのであろうと感じさせられた。もっとも、それが「青すぎる果実」だの「幼さの残る肢体」だのであった点については、いささか言葉を濁したくはあるが。



  2012年5月9日(水)
  まさかこの年になってしかも数年遅れで「羊飼い萌え」などという妙な趣味を身につけることになろうとは想像もしていなかったという話はともかくとして、土曜日のイベントの当選通知をいただいたので差し入れのために塩…軒の某「たんす」を買ってきた。
  写真のとおり箱は小ぶりなので遠路の方にもあまり邪魔にはならないと思うし、箱のつくり――その名の通り箪笥型の3段引き出しである――の華やかさも、和菓子自体の見た目の上品さと可愛らしさ、そして味わいの良さとヴァラエティ――3段それぞれに異なったお菓子が収納されている――も、それから京都らしさも十分にあって良いのではなかろうかと愚考している。
  とはいえ、これまでこの種のイベントに参加したことが無かったので、どういうマナーを想定して振舞ったらいいのか分からずいろいろと困惑もしている。個人からの差し入れでも(きちんと包装された市販商品であれば)きちんと渡してもらえるだろうとは思うが。服装はあまり構えすぎない方がいいのだろうか。
  ある手稿より。「(…)ここで『羊飼い萌え』というのは、『たまたま羊飼いである可愛いキャラクター』に対して好意が湧いたということではないのだ。金髪だからというわけではなく、貧相だからでも薄幸そうだからでもなく、苦労しているところがいいというのもそれほど大きな理由ではない。重要なのは、ここで も、音だ。主として牧羊犬に指示を出すための、杖の先に取り付けられた小さな鐘が、場面毎にそれぞれ繊細な表情づけをもって鳴らされる、その音の魅力だ。
――その杖の持ち主の謎めいた登場に半拍先立ってその登場を印象づける一鳴り、
――自身の意思を正確かつ明瞭に牧羊犬に伝達する響き、
――穏やかな歩みとともに規則的に野原を広がっていく落ち着いた音色、
――羊を見守りつつ慎重に歩みを進めるその場面の緊張感を表す不規則な鳴動、
――杖の持ち主の隠しきれぬ驚きを表すかのようにカラリと鳴る唐突さ、
――その心情の繊細な震えを反映して垂棒が鐘の内壁をかすかに撫でる様子、
――会話の背景音楽として情景の厚みを増すように小さくゆるやかに響き続ける明るい鐘音、
――台詞の直前に一揺れしてその言葉に注目させる効果音、
――決意を込めた一言とともに大きく揺らされる金色の小道具、
――躊躇いがちに中断された台詞をそっと包み込むような長くかそけき余韻、
――身じろぎとともに当人の存在を否応なく示してしまうそのぎこちなさ、
――振り返りざまに彼女自身の気持ちを代弁するかのような大きな一震え、
――強くはっきりと揺らされる警戒のベル音、
――追い立てられる駆け足とともに不安げに鳴り続ける不規則な音、
――持ち主の手を離れて地に触れた際の鈍い金属音、
――遠くからのか細くも心強い響き、そして、
――去って行く歩みとともにそれらが消えた後の寂寞。
も ちろん、これらの鐘音SEは使い回しではなく、慎重かつ適切にその都度の鳴り方を演出されている。その音響とその効果に、この行商人アニメの視聴者は最大 限の集中をもって耳をそばだて続けることになり、そしてその期待に満ちた瞑想的集中はその都度の鳴り響きとともに瞬間的にほぐされていく。その多彩な響き こそは、この羊飼いキャラクターの言葉少なな台詞以上に雄弁に語っており、そしてそのキャラクターの造形の最も輝かしい個性を浮き彫りにしている。
  視聴者の心を震わせる鐘の音。羊飼い萌えの醍醐味とはこういうものであろう」。

  ……なんだこれ。
  (その話を別としても、このLN/漫画/アニメ作品は、経済的視点による架空世界表現、ケモ耳ヒロイン、青年[成人男性]主人公、東欧的雰囲気[特にBGM]、一種のロードムービー的構成と、私の趣味に合う要素のたくさんある作品だった。)



  2012年5月7日(月)
  陸軍もの、あるいは陸軍組織の登場するタイトルも、――近代以前の時代/技術設定のもの(『三国志』などの歴史ネタを扱っている作品)、ファンタジー戦争もの(『王賊』『うたわれるもの』など)、軍学校もの(『ひめしょ!!』『HGB』『愛しい対象~』など)を仮に除外して比較的狭く捉えるとしても――、『らいむいろ』『オルタ』『クラインハーゼ』『虜囚市場』などが、そしていくつものSLG作品(『戦場デ~』『戦略娘』から『ピンクパンツァー』『うえはぁす』に至るまで)が存在するのだが。たしか『ゲリラ狩り』もそうだった筈だし、Amolphas新作にもその気配がある。「軍の研究所で」云々といった筋立ての作品もたいていは陸軍管轄下に設定されているものだろうし、ざっと調べてみると『TACTICSBRID』『帝都のユリ』『決戦!~』にもこの要素があるらしい。おそらく、まだこの他にもあるだろう。これらを無視して、あるいは調べもせずに、陸軍もののアダルトゲームが「ない」と言い放ってしまうのが問題なのは、当人にジャンルの教養(知識)が無いからではなく、その知的誠実に欠ける怠惰さとクリエイターたちの創造性に対する(心情的敬意を措くとしても)粗漏な侮りの姿勢のためであり、そしてそれらの不公正な姿勢のままに「事実に関する誤った命題を提起している」点にある。「知らない」と述べるのと「無い」と述べるのとでは、まったく意味は異なる。



  2012年5月6日(日)
  高野の○山書店のあった立地にO垣書店(カフェ併設)が出来ていたので、開店お祝い――開店から一ヶ月遅れだが――のつもりでいろいろ買ってきた。



  2012年5月5日(土)
  『美少女万華鏡』(第一作)は何よりもまずパッケージを開封してディスクレーベル面を目にした瞬間にお気に入りの作品になっていた。レーベル面の画像それ自体はパッケージアートそのままの、少女(霧枝)が腰を下ろしてこちらを見上げているイラストなのだが、両目と十字模様のところだけがクリアカラー(クレアレッドとクリアブルー)に抜かれていて、きれいに輝いていた。いささか悪趣味でもあり、またその硬質な印象は作品の方向性に即しているというわけでもなかったのだが、何か特別なものがここから現れてくるという印象を――公式サイトのティザー開設時の衝撃の記憶とともに――与えてくれるのには十分だった。
  というわけで、第二作(以降)も買うつもり。



  2012年5月5日(土)
  特典アイテムによる予約誘引は、そのメリット及びデメリットについてDLCの議論と論点が重なるところが多く、そして全体としていえば私はけっして好意的ではないが、ユーザーに対して予約行為を習慣づけるという効用は大きいのではないかと考えている。つまり、毎月の新作をチェックするよう動機づけ、そして(店舗購入の場合は)毎月予約及び購入のために店舗に足を運ばせる理由を作り、そしてこのような定期的習慣化を通じて客をこの市場に定着させることになるという意味で。……しかし、消費者側としてはやはり面倒なものであるし、そして様々なリスクを負わされることになっているが。



  2012年5月5日(土)
  「リアルに」考えるなら、地面をのたくる触手なんて雑菌だらけだろうから、下手に粘膜接触したら後でひどいことになると思う……が、そんなひどいことになったキャラクターの姿を見たい人はそうそういないからか、現在のフィクション触手たちの表面は幸いにも衛生的に保たれていると見做してよいような描写に収まっている。



  2012年5月5日(土)
  サイン入りトレカは、もしも現地参加できていたら3万円までは、あるいは気分次第では5万円くらいまでは入札したと思うので、その分を代わりにどこか信頼できる団体を通じて寄付することにしよう。
  それにしても、チャリティオークション企画は、主催者側としては「正当な目的の下で、公平な手段によって、できるだけ多くの――というか文字通り最高額の――金を獲得する(そして寄付する)ことができる」のだが、参加者(入札者)の立場としてはいったい何を目指すべき価値として振舞ったらいいのかよく分からない。もちろんオークションでその特定の品物を入手するというのは確かに目標なのだが、「チャリティ」部分に対してどのように向き合ったらいいのだろうか。寄付をしたいならオークションを経由しなくたっていいのだし……。想像するに、その困惑は、落札者確定後に、獲得者一人を除いた他の全ての入札者が宙ぶらりんで放り出される時に――放り出されるならば――とりわけ強く浮き上がってくるのではなかろうか。会場内に、自由寄付コーナーを併設して、落札確定後に参加者たちをそちらへ誘導するような仕組みがあれば、当事者全員が満足しつつ寄付金額を最大化するようにできるかもしれない。例えば、寄付すればその場でごく安価な記念品(キャラクターイラストカードなど)がもらえる、といったような。すでにそういうことは行われているかもしれない。



  2012年5月5日(土)

  単独ヒロイン作品の特別な魅力として、男性役などのサブキャラに音声が付いていない場合には、その世界全体が完全に一人の役者の声によって演じきられているという統一性と徹底性を指摘することができる。例えば『フリフレ』(主演は藤森ゆき奈氏)や『お別れビデオレター』(クレジットが無いがおそらくキャストは金松由花氏)など。ロープライスでも単独ヒロイン作品は比較的希少で、大多数の低価格タイトルではヒロイン(女性キャラクター)は2人、3人と――あるいはSH sealあたりでは4~6人も――登場するものだったが、最近買った作品には単独ヒロイン型のものがいくつかあって、そして上記のような単独ヒロイン特有の味わいを楽しむことができた。



0 件のコメント:

コメントを投稿