2012年10月20日土曜日

PCゲームの制作素材再利用について

  PCゲームの制作素材再利用についての雑感 ――効果音流用を中心に――


  2012年10月17日付雑記欄で書いたことから、自分の考えを少しだけ敷衍してみたもの。正直にいえば、他人に読ませられるだけの最低限の体裁すら整えられていない。「私はこう思う」と「きっとこうだろう」の羅列でしかないので。

  I. 原則的立場
  II. 要素毎の検討
  III. 効果音のばあい
  IV. いくつかの事例と暫定的結論
  V. 追記



  複数作品間で素材を流用(あるいは共通化)することが、どのような側面について、どのような理由で、肯定されあるいは批判されるのか。少々しつこくて申し訳ないが、書きながら考えを整理してみたい。

  I. 原則的立場
  まず第一に、素材流用が絶対的全面的に不当であるとは言えないだろう。複数作品間で――あるいはメーカー間でも――流用されて構わない素材と、そうするのに相応しくない素材とが存在し、そして双方の間でどこかに線引きがなされるのが普通だろう。例えば「AVGのゲームエンジンのプログラムコードすら、毎回ゼロから再創造しなければいけない」といった極端な立場でもないかぎり誰でも、どこかにその線引きを持っているだろう。

  そして、検討されるべきは、SEなり背景画像なりBGMなり立ち絵なりの素材カテゴリーが(一般的概括的)、あるいはそれらの素材のその都度の使い方が(個別具体的)、その線引きの上側(不許容)に位置づけられるのかそれとも下側(許容)に位置づけられるのか、そしてその位置づけまたは批判の根拠はどのような点に求められるのか、ということになる。

  しかし問題は複雑で、「1. 技術的に可能/不可能」「2. 表現効果として適切/ミスマッチ」「3. コストの観点で効果的/非効率的」「4. 創作倫理的に良い/悪い」といった複数の観点がある(――「ユーザーの印象における快/不快」は、2.及び4.に還元されてよいだろう)。また、「流用の事実自体が問題視されるのか、それとも流用に由来する副次的デメリット(例えば個別ユーザーにおける無用の既視感に基づく混乱や違和感、あるいは品質向上の停滞がもたらされる危惧など)があるからなのか」といった点も、問題を慎重に吟味する際には区別されるべきだろう。

  私見では、「その都度オリジナルであることが期待されている部分(、換言すればその固有性にこそ価値が見出されている要素)」と「その都度の固有性がさほど重視されない部分(であり、同時に、流用と蓄積による品質向上が見込める部分でもある)」との間に大きな線引きが存在し、そしてキャラデザや一枚絵やテ キストは前者に属するがエンジンや効果音は後者に属すると考えている。背景画像やBGMは中間的な存在であり、人によってかなり意見が分かれるだろう。そのうえで、流用に対するユーザーからの批判は、「怠慢」といったような一種の人格的道徳的側面から提起することはできず、「作品の品質の低さ」――例えば 鈍感な(怠慢な)流用に由来する画面表現上のミスマッチとそれによる違和感のごとき――という理由以外ではあり得ないように思われ、そしてそれゆえ、概括的な怠慢批判としてではなく個別作品の具体的な失敗に即して提起されるものでなければならないと考える。言い換えれば、創作倫理上の欠落として批判するのではなく、あくまでコスト配分判断の失敗(表現効果上の均衡崩壊)の問題として咎められるべきだろうと考えている。

  もちろん、流用許容の線引きをどこに置くかは、各人のセンシビリティ(や経済感覚など)に応じて異なるだろう。だから、効果音の流用禁止を――オリジナリティ尊重という観点であれミスマッチ排除という観点であれ――概括的絶対的要請のカテゴリーとして主張することもあり得ると思う。

  結局のところ、1)私個人としては、そのような厳しい立場にはコミットできないし、2)効果音流用批判者の”隣人”としては、お互いの立場を確認できたならこれ以上は意見を調停し一致させようとすることは無用だと思う(事実の評価の問題ではなく価値観の相違に還元されるものだから)し、3)観察者として言えば、線引きに関する綱引きの現状は、大多数のメーカーにおいては、SEの固有性尊重よりも、共有化による品質向上の途に向かいつつあるように思われる。


  II. 要素毎の検討
  できるだけ実例を考えながら、各要素を検討してみよう。

  1)ゲームエンジン。現在のPCアダルトゲーム分野について言えば、ゲームエンジン及びその仕様は、流用されて構わない、あるいは継続 使用にメリットのあるパーツだろう。これまでの使用実績に基づいて安定動作が保障されたエンジンには価値があるし、経験をフィードバックしつつ漸進的に改良していくのは理に適っている。もちろん、個別事例としては当てはまらない場合もあり得るが(――様々なミニゲームのプログラミング、あるいは独自のシステムデザインを伴う新規SLG制作の場合など)。

  2)インターフェイス素材。細かな画像素材にも流用は見られる。インターフェイスまわりのボタン画像などはしばしば共通化されている (――minoriの「A」字型のオートセーブアイコンなどは典型的だろう)。これらも、レイアウトデザイン全体の中でよほどミスマッチなものになっていないかぎり、批判されはしないだろう。

  3)BGMはどうか。自社旧作の楽曲を局所的乃至広汎に再使用している例は存在する。実例としては、シリーズ内での継続使用を別として も、同社他ブランドでの流用(NEXTON)、フルプライス旧作のBGMをロープライス新作へ流用(light)、鑑賞モードなどの特殊な場面でブランド内共通化(Eushully)、大きくアレンジしての再利用(あぼぱ)、AVGパートではなくゲームパートの中でのヴォーカル曲再使用 (softhouse-seal)、再登場キャラクターの専用BGM(Leaf)、などの例が知られている。ただし、フルプライス新作のBGMが旧作BGMそのままの流用であったという例はほとんど知らない(――『潮風の消える海に』について「僕と、僕らの夏で使われていたBGMが作中でいくつか使われていました。BGMとしては作中の雰囲気とあっていたので良かったのですが、できれば新しく作るべきだと思います」という両義的な評価を下している例[ http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-10.html ]はあったが)。いずれにせよ、全体の中では比較的稀だが、上記のようにある程度配慮した形で再利用される場合には、個人的には許容される余地があると思うし、上記の例に対する批判的な言及は見たことが無い。もちろん、厳格に考えてBGM流用を批判する立場もあり得るだろうが。

  4)背景画像。いくつかの低価格作品で、背景画像流用があるとは聞き及んでいる(――例えば『さかここ』シリーズには、他作品からの BGMと背景の素材流用があるらしい。私はプレイしていて気付かなかったが)。背景画像流用はBGM流用よりもさらに稀だと思われる。評価については、上記『さかここ』の流用に言及しているいくつものwebページの中で明確な否定的立場のものは見られないが、一般的には、背景画像を線引きの上側に置く(流用を批判する)人も少なくないだろう。現今ではAVGタイトルであっても作品毎に舞台設定に趣向が凝らされるのが通例なので、効率的(効果的)に背景流用を行うこと自体が難しいだろう。青空背景のような無個性的かつ汎用性の高い画像ならば、流用される余地はあるかもしれないが。特殊な例として、『ひめしょ』と『ドラクリウス』が背景画像を共用しているが、これは両者が(暗黙裡に)共通世界設定を採用しているからである(――ブランドは異なるが同室のメーカーの作品であり、どちらも「八坂学園」を舞台にしている)。
  なお、関連する議論として、拙稿「画像素材の拡張利用について」を参照。

  5)立ち絵や一枚絵。立ち絵素材流用の例は知らない。そもそも流用の効くような素材とは考えられないが、もしもあるとすれば、「モブ立 ち絵の汎用化」や「旧作キャラクター再登場」くらいだろうか。モブキャラクターの立ち絵が、縮尺や高さや服飾や画風がきちんと合っていたとして、他作品で流用されていたとしたらユーザーたちは批判するだろうか? 笑って済ませるか、適切なコスト管理だと評価するか、不快感を表明するかは、人によってかなり微妙なところだろう。ゲスト出演やクロスオーバーFDなどの機会でキャラクターが他作品に再登場する場合は、(時として別の原画家によって)新規に描き起こしされるのが通例である(例:『マブラヴ』シリーズでの旧作キャラクターたち、Eushullyブランドの「メイド天使」たち、『マジカルウィッチアカデミー』→『ダンジョンクルセイダーズ』、『果て青』→『アトリ』、『真昼に踊る犯罪者』→『Dancing Crazies』→『雪鬼屋温泉記』、『カルタグラ』→『殻ノ少女』、『ライアー大戦じゃんまげどん』、等々。『Rance』シリーズのように、シリーズものの中でも再登場キャラクターが新規描き起こしされることも、稀ではない。『BE-YOND』[2000年発売のWin版]に『恋姫』[1999年にWin版発売]のキャラクターたちがゲスト登場した時は、もしかしたら同一画像素材のままだったかもしれないが、記憶が曖昧で確言できない)。立ち絵のよ うな大きな素材の場合は、技術的制約(画像サイズ[粗さ]やファイル形式)から流用が困難になる場合も多いだろう。いずれにせよ、キャラクター画像については流用自制はかなり厳格に守られている。一枚絵については、流用の困難さは尚更である。SLG作品などで、アイテムやユニット(雑魚敵など)の画像素材を複数作品で使い回ししている例はあるだろうか。実例は思い当たらないが、例えばEushullyやソフトハウスキャラのように共通世界設定を持つSLG系ブランドがもしも雑魚敵画像を共用化したとして、否定的に見られるかどうかは疑わしいように思われる。

  6)エフェクト画像。疑いを示す「?」型エフェクトから、炎のアニメーション、エンジン側による表示制御の特殊効果、そして画面全体に広がるキラキラエフェクトに至るまで、視覚効果素材は様々である。驚きの「Σ」エフェクトなどはその都度手書きで描き込んだ方が早いだろうし、他方でエンジン制御によるエフェクトは当然ながら「流用」の範疇に属するものになるだろう。ユーザーの大多数から批判されるようなエフェクト流用は、実際にはまず現れないのではなかろうか。

  7)テキスト。テキストの流用についても、実例に接したことは無い。web検索すると『禁断の病棟』と『熟処女』がこの件で槍玉に挙げられていたらしい。私には「もしもそれが事実であるならば」という留保付きでしか語れないが、どちらも手抜き仕事だとして否定的に見られているようである。テキストについては、ユーザー側にも「その都度新規のテキストに金を出しているのだ(だから買って読む価値があるのだ)」という意識は強いと思われる。また、流用によって品質が確保されるということが期待しにくい部分でもある。

  8)音声。音声台詞も、そもそも特定性の強い素材であるため、自然な形で流用する余地がほとんど無いと思われる(――役者との間での契約上、使い回しが禁じられている可能性もあるが、実情は分からない)。技術的に可能性があるとすればシステム音声とBGVくらいだろうが、実際には現代PCゲームの水準ではそもそも流用してもメリットが無いと思われる。

 9)システムデザイン。大はゲームデザインから小はダメージ計算式までの様々なゲームシステム上の案出については、態度決定は一様ではないだろう。同じようなゲームシステムでも、シナリオ(AVGパート)が異なれば作品全体としてはまったく質の異なるものになるのだし、ダメージ計算式についても作品毎のコンセプトとの間でその都度有効性が評価されねばならない(――例えば、敵撃破を目指すSLGなのか、一定ターン防衛しきることが目的となるゲームなのか、PCのサバイバルが重要なのか、等々)。


  III. 効果音のばあい
  このように考えてくると、やはり全体として、作品の中でコア部分と見做される部分(=技術的にも価値的にも流用に相応しくない部分)と、汎用性が高くかつ流用のメリットの大きい部分とがあるように思われる。そして、効果音は、後者の仕方で捉えられる余地が大きい。というのは、SEはその特質及び制作工程に鑑みて、
- 1)求められる内容が多様かつ小規模であるにもかかわらず、
- 2)脚本進行や画面演出に対して従属的(付随的)に使用されることが多く、
- 3)また定型的記号的な補充表現と見做されることが多い。
これらのことから、
- i)多様性及び小規模性のゆえに、その都度求められるSEを個々のメーカーがその都度自前で新規制作するのはコストに見合わない場合が多く、むしろ細分化された素材集アーカイヴとして蓄積するのに適している。
- ii)従属性のゆえに、制作部門 として自立化することが困難であり(換言すればまとまったコストを継続的に投入するのに適していない)、また、工程上、アドホックな追加が求められがちで あるため、個別メーカーの中で時間的に先行制作することも困難である。
- iii)定型性のゆえに、汎用素材化に適している。
このように考えることができる。

  SEを細かく分類して考えてみよう。
a)システムSEの場合は、よほど作品世界の雰囲気に外れていないかぎり、他作品で耳にしたSE流用でもさほどマイナスイメージは生じないだろう。もしかしたら、それでも気にする人もいるかもしれないが。ただし、同一メーカー内での共通化ならば問題にならないとしても、 複数メーカー間で共通化されていた場合には違和感が強まる可能性がある。
b)環境効果音はどうか。雨音SEや虫の音SEは、特に明示的な齟齬が生じないかぎり、流用して構わないと思う。メーカー間で共有されても構わないだろう。
c)殴打音、転倒音、炎上音、湯呑みへの注水音、ウエストミンスターチャイムな どの無個性的と見做されるであろうSEも、使い回しが許されると思う。SEの発砲音と画像上の銃器種別が一致していないと咎めるようなユーザーもいたりするかもしれないが、銃器考証を広報アピールしているタイトルでもないかぎり問題にはならないだろう。
d)特定性の強いSEの場合には、その場面の表現に適したSEの新規制作が望ましいだろう。少数ならコスト増加による影響もあまり問題にならないだろうし。
e)BGVは、場面適合性の観点でも無理だろうし、試みたとしてもたいした効果を挙げ得ないだろう。

  このようにいろいろ考えてみると、SEは蓄積と再利用のメリットが大きい部分であり、他方で特殊な音響が要求される場面を除いては新規制作に固有のメリッ トというものがあまり存在しない。例えば、雨音SEや虫の音SEを、あるいは殴打音や雷鳴音や粘膜音を、新作の毎に新規制作する(録り直す)ことに、どんな意味があるのか。それらを録り直しをしないことは果たして怠慢なのか。新規SEによって得られる成果は、基本的には「ベースラインからの上積み」と見做してよいと考えている。もちろん、その「上積み」の意義を過小評価するつもりは無いが(――以前にもあるアニメ作品について、羊飼いの杖鐘音SEの細やかな鳴らし分けによる聴覚表現の雄弁さを、拙い言葉で称賛したものだった[2012年5月9日付雑記])。問題が生じるとしたら、それは「過去の他作品で聴いたことのある音だから」という理由からではなく、「その場面の表現として不適切なSEである(そしてその原因が安易な流用にある)」という理由から、そういう場合のみだろう。個人的には、効果音は大量に集積し共有される方が、長期的な品質向上が期待できるし、コストダウンにも寄与すると考えているくらいだ。


  IV. いくつかの事例と暫定的結論
  素材流用に対して否定的な印象を持った経験が、無いわけではない。例えば低価格シリーズものの『さかしき人にみるこころ』(第一作)と『まじのコンプレックス』(第三作)は同じBGMを使っていたが、弦楽主体のそのBGMは『さかここ』のペダントリーに満ちた脚本にあまりにも相応しいと受け止めていただけに、趣を異にするその続編『まじの』をプレイした際には少々困惑させられた(※なお、第二作『どんちゃん』は未プレイ)。

  また、EushullyはいくつかのシステムSEと鑑賞モードBGMを統一しているようである――全作品なのかどうかは知らない――が、そのSEとBGM は私の好みから大きく外れている。「ベギュルッ」というような品の無い選択決定SEとキンキンしたオルゴールの退屈なBGMはプレイ継続意欲を削ぐほどなのだが、おそらく制作者側が「当社作品の鑑賞モードはこのBGMにする」と決めていると推測されるので、今後の改善の見込みが無いという点で、「たまたま 適当な音源を充てた」という流用よりもさらに性質が悪く、非常に苦々しい思いをさせられている。

  PCゲームの例からは逸れるが、同人漫画制作のための「擬音素材集」が販売されたというのを見た時は、ちょっと嫌な印象を持った(※参考リンク)。私の場合、既成素材で良いと考えるかNGだと考えるかの境界はこのあたりなのだろう。

  結局のところ、私の立場は以下のようなものになる。
  作品に対する正当な非難は、原則としてその品質に対する非難の場合のみであり、それゆえ素材流用に対する非難は、作品毎に個別的に、かつ具体的な表現上のミスマッチに対してのみ提起されるべきである。その妥当性の判断は個人のセンスに応じて異なるだろうが、現在行われている素材流用は、背景画像にせよ効果音にせよ、大多数は効果音流用の実例に対して実際上も倫理上も許容範囲内だと――あるいはコスト判断として妥当だと――考えるだろう。



  V. 追記
  一連の応答[ twilog.org/mp_f_pp/date-121020 ]をいただいて、もう少し考えてみる。

  V-a. 素材流用は演出の品質向上を阻害しているか
  ゲーム効果音の多くが既成素材からの借用で賄われている現状は、一見するとたしかに効果音の重要性を低く見ているように感じられるかもしれない。しかし
  1)さきにも述べたとおり、そもそもSEはBGMのような強い固有性を持つわけではないので両者の現況を単純に比較するのは適当でない。また、
  2)SE演出の巧拙は素材選択の次元の問題というよりむしろ用法選択(使い方)の問題なので、「既成素材であるか否か」をメルクマールにするのは筋違いだ。演出というのは多面的なものなので、「オリジナルSEを導入することは演出に力を入れていることを窺わせる指標になる」が真であるとしても、そこから「オリジナルSEを使っていない作品は演出を軽視している」が真であるとは限らない。要するに、「SEのオリジナリティ」と「演出意識(あるいは演出の品質)」を直結させてSE流用を批判する論法は説得的でない。そして、
  3)全てのSEが常に狭い範囲のSEアーカイヴのみから使い回しされているというわけではなく、必要に応じて適切な新規SEによって充填されているのが通例であり、極端に拙劣なSE使用はなかなか見当たらない。とりわけ「音声SE」――以前からSLG作品で豊かに使われているものだが――が一つの突破口となってSE充実を推し進めているし、AVG系ブランドでも――ageやTMを見れば分かるとおり――演出の試行錯誤の中でSEのみが取り残されるという懸念は杞憂だろう(――ちなみに、さきの文章の中で銃撃音に言及したのは『オルタ』のそれを念頭に置いている)。要するに、SE使用の長期展望は、既成素材の硬直的反復といった悲観的なものではなく、今後よりいっそうの精緻化が期待できると考えている。

  V-b. ゲーム制作の構造的事情との関係で
  気になるのは、「効果音をオリジナルで用意するのはそんなに手間がかかることではないはず」という見解。遡って言うと、ゲーム制作環境全体の中での「音響担当」の実情の認識に対して、疑問がある。
  近年のフルプライス作品では、効果音は一作品あたり100~200種類も使われているのが常態となっているが、それらを必要に応じて一つ一つオリジナルで制作するとすればかなり手間が掛かる(――あるいは、そもそも一ゲームメーカーでは制作困難な場合もあり得る)。自前でその都度独自に制作するよりも、大量のストックを持つ専門の音響制作者に発注する方が、はるかに迅速かつ安価かつ確実かつ高品質な筈だ。このようにして、実際の制作現場では「独自性("オリジナル"であること)」と「適切性(必要を満たす品質を備えていること)」とは、正の相関ではなくむしろ逆相関の関係に立ち、そして両者を天秤に掛けた時、後者を重視するのはまったく正当なことだと思われる。
  しかも、現在のアダルトPCゲームには、社内メンバーとして音響スタッフ(及び十分な音響機材)を保有しているブランドは少ない。BGM制作すら多くのメーカーは外注委託で賄っているというのに、自前で効果音制作のための専業スタッフを保有することは尚更容易ではない。そして、自社制作するとすれば、「十分な意思疎通のできる、密な制作環境」になるよりもむしろ、かえって片手間作業になってしまう虞がある。実際、2005年頃までは、社内でSE制作されたタイトル――社内メンバーがクレジットされている作品――には、露骨に電子楽器めいた無機的なSEばかりが鳴らされる自然音SEやアンビエントの乏しい、貧相な音響空間のものがよく見られた。効果音制作は、そういう中途半端な部門だろう。このように、メーカー単位では音響制作全体にはなかなか手が回らない(自社制作の優先順位を高くできない)のは、現状の産業構造上の事情――端的にいえば経済規模・会社規模・制作規模の小ささ――からしてやむを得ないことであり、それゆえ演出上の無理解や怠慢といった廉での強い非難を向けるのは行き過ぎであるように思われる。もちろん、効果音表現の拡充が望ましいことであることは分かるが、現状ではその「オリジナル制作」要求は現実的でない。そして、市販の既成素材やフリー素材――有償/無償で非常に多くの音響素材が容易にアクセスできる――あるいは音響制作会社等を利用することは、SE表現の品質を確保するうえで有効な対処だ。
  また、制作工程の全体フローの中で、効果音組み込みは基本的にスクリプトの領分である。効果音(環境効果音を含む)が先行して場面場面のありようを決定するということは、通常考えられない。それゆえ、出来上がった脚本と画像を所与としてSE演出を練り込もうとする作業は、時間的に最後の――そして「後からの」――工程に属する。こうした点からも、効果音を演出上の基軸として想定することはほとんど誤りであると言える。もちろん、たとえば「密な意思疎通の可能な音響専門スタッフがおり、スクリプト演出指定のその都度の必要に応じて機敏に対応してその都度最も適切な効果音素材を即座に用意してくることによって、緻密かつ効果的な音響演出が完成する」といったようなイメージは、理想的に望ましい姿であろうが、しかしそれは、人員も時間も予算も限られているゲームメーカーたちにとっては現実的な要求とは言いがたいだろう。より良い演出は脚本と演出の間の適切な分業(もちろん「非協力」や「断絶」という意味ではない)から成るものだという観点でも、効果音制作担当者への過大な要求は、適切な要求の宛先を捉えそこなっているように思われる。

  V-c. ふたたびの結論
  もちろん、効果音表現の開拓がこれ以上進展しなくてよいと考えているわけではないし、いつも決まり切った特定の素材しか使っていない場合(Liar-softへの言及はこの見地からのものだろう)は怠慢と責められる余地がある(――同じような論法で、たとえば「作品のコンセプトを無視していつも同じ歌手ばかり起用するな」といった批判を提起できる場面もあり得るだろう)。「効果音にこだわる」というのは今後も作品の品質をアピールするうえで有効だろうし、実際に音響演出をアピールしているブランドも存在する。「店舗別特典やカウントダウンムービーを作るならその分の予算をもっとSE制作に回せ」といったような主張なら私も大賛成だ。しかし、現在行われているような音響素材の反復利用の実態は、音響演出の発展を妨げる重大な阻害要因になってはいないというのが私の診断だ。

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