2013年3月15日金曜日

画像素材の拡張利用について

  画像素材の拡張利用について(事例紹介)

  Ⅰ.一枚絵の拡張利用:『ドラクリウス』における(擬似)カットイン化
  Ⅱ.背景画像の拡張利用:『桜花センゴク』における反転/拡縮/ボカシ
  Ⅲ.立ち絵画像の拡張利用
  Ⅳ.暫定的診断


  Ⅰ.一枚絵の拡張利用:拡縮と黒ベタ処理による(擬似)カットイン化

  『ドラクリウス』のイベントシーンでは、ユニークな表現スタイルが敢行されている。ここでは、用意されているイベントCGをただ全画面表示するだけでなく、一部分を切り取って(換言すれば上下や斜めに黒ベタ遮蔽をして)カットイン的なかたちでの表示もしばしば行っている。そしてそれとともに、元画像それ自体も拡大(クローズアップ)や回転(縦横変換)を施されつつ、テキスト進行に合わせて柔軟に使用されている。もちろん、画像のスクロール表示や黒ベタ部分の動的変化といった動的表現も行われている。これらは特にアダルトシーンやバトルシーンで活用されて、限られた素材の中から可能なかぎりの効果をもたらすように組み立てられている。

  このスタイルは、既成素材から(いわばリアルタイムレンダリングによって擬似的に)新たな画像を作り出す手法という点では、ぱれっと作品(特に『えむぴぃ』)と並べて語られるべき意義があり、また、動きのあるカットイン組み立てを行う手法という意味では、『SWAN SONG』Littlewitch作品(特に『白詰草話』『Quartett!』:cf. 演出論Ⅰ章1節)がもたらす印象にも接近する。古典的実例としては『さよならを教えて』が幻想的な――あるいは妄想上の――シーンの不確かさともどかしさを演出する際にも多用されていた手法であるが。

  この手法の意義は、1)素材の拡張利用による視覚表現素材の増加という点だけでなく、2)イベントCGシーンに対してカットイン相当の文法的動作の可能性を導入したという点、そして各論的には、3)黒ベタによって制限された視野が、バトルシーンではもどかしい緊張感を孕み、またアダルトシーンにおいてはウェットで婉曲的なカメラワークの魅力を醸し出すことに成功しているという点も指摘できよう。
  ただし、アダルトシーンに際しては、この演出はマイナスの作用を持つ(と見做される)可能性もある。煽情的な一枚絵の、ユーザーが注視しようとする部分が、しばしば遮蔽されて見えなくなってしまうがゆえに、「実用性」軽視の廉で非難を受けるおそれがある。ただし、本作について言えば、アダルトシーンの叙述はしばしば女性(ヒロイン)主観視点の心理描写に大きく傾斜したかたちで進行するという珍しいスタイルを採っており、そしてその心情の移ろいを写し取るテキストワークは、情趣を湛えたこの視覚表現スタイルとうまくマッチしている。

  このほか、一枚絵を表示させる際にパンニングや段階ズーミング等の処理を施してその存在感と細部を印象づける手法も、AVGではしばしば採用されている(例えば『秋色恋華』『水平線まで何マイル?』など)。


  Ⅱ.背景画像の拡張利用:反転/拡縮/ボカシ

  背景画像についても、これと同じように素材拡張利用が試みられている。例えば『桜花センゴク』は、背景画像素材を様々に加工して用いることにより、ゲーム画面の多様性を作り出している。代表的な加工手段として、「反転」「拡大」「ボカシ」がある。

  1)反転。背景画像を左右反転して使用するだけで、プレイヤーの眼前に現れる情景のヴァリエーションは飛躍的に増大する。そして、隣接するカット同士で左右反転背景を使い分けするだけで、それらが互いに別の場所であることを表すことができる。とりわけ校舎内のような人工的空間をロケーションとする場合に有効な手法であるし、画面レイアウト次第では切り返しショット(つまり、向かい側[逆アングル]からの視野)を表現することも可能になる。非常にエコノミカルに、一定の効果を挙げることができる手法である。デジタルゲームブック作品『蠅声の王』も、建物内部についてごく局所的にこの手法を用いている。
  もちろん、上下反転(例えば、投げ飛ばされたことを示せる)や色反転(例えば、心理的衝撃の表現や異世界であることの表現に使用される)なども実行できる。

2)拡大。エンジン制御で背景画像を10~20%ほど拡大すれば、あるいは背景画像の横幅を1割ほど広めに作っておけば、その場の状況に応じて左右パンニング(つまり画面を上下左右に振ること)が可能になり、そしてただそれだけでAVG表現は格段にポテンシャルを拡大する。例えば、視点移動(興味関心の変化)や人物の移動、あるいはそれに対応した心理描写など、さまざまな意味を表現することが可能になる。
  近年の画像拡縮のスムージング技術の進展によってもたらされた(あるいは低コストで簡便に実現できるようになった)新たなPCゲーム表現技巧の一つである。

  3)ボカシ(ボケ表現)。すなわち、背景画像をソフトフォーカス化する(つまりピントをボケさせたように見せる)ことによって、様々な表現効果を担わせることができる。例えば、距離感表現、衝撃エフェクト、あるいは人物立ち絵と対比させたクローズアップ効果など。ApRicoT『Maple Colors』(2003)と『AYAKASHI』(2005)の頃から、ボカシによる空間的ダイナミズム表現を得意としている(cf. 演出論Ⅲ章2節2款)。脳内彼女(例:『女装山脈』)も、イベントCGで背景部分をボカして見せるグラフィックワークを多用している(――おそらく背景作画省力のためでもあろうが、人物部分を際立たせることにも寄与している)。

  よりいっそう単純な処方もある。例えば、周知のとおり、背景画像をクエイクさせたり波打たせたりする演出も早い時期から試みられてきた(例:2001年の『君が望む永遠』)。
  時刻差分表現も、簡易に(低コストで)実現できる。背景画像を色調変化させて昼(通常)/夕(橙色)/夜(青色)の時刻差分を持てるようにすれば、背景画像を充てられる状況のヴァリエーションはさらに広がる。


  Ⅲ.立ち絵画像の拡張利用

 当然ながら、背景画像以外の画像素材も加工使用することができるし、実際になされている。例えば、立ち絵を正位置と左右反転で連続切り替え表示すれば、 左右を見渡している様子や錐揉み回転している様子を表せる。あるいは、会話シーンで立ち絵同士を向き合わせるようにアレンジすることも可能になる(――こうした立ち絵振り付けは瞬間的かつ記号的なものであるため、左右非対称のキャラデザであってもほとんど違和感は生じない。立ち絵の反転表示はタブーにはならない)。立ち絵の拡大/縮小表示によってその人物の位置(主人公からの距離)を表す手法や、立ち絵の縮尺及び配置をコントロールして背景画像の中に嵌め込む(ように見せる)手法も、90年代以来よく知られている(例:『雫』『痕』。また、ぱれっと作品について演出論Ⅲ章1節2款を参照)。立ち絵のボケ表現は稀であるが、レイヤー分割された一枚絵を多重ズーミングしたり局所的にボカシたりする例は存在する。
  立ち絵に関するスクリプト操作は、背景画像や一枚絵のそれよりも早く、00年代初頭から行われてきた(――なかんずく『結い橋』[2002]以来のういんどみる作品。cf. 演出論Ⅲ章1節1款)。その当初は、サイズの異なる立ち絵を使用する際には、縮尺の異なる画像素材それ自体を個別に用意してインストールさせていたが、スムージング技術の進展とともに、近年(おそらく2006年頃から)ではゲームエンジンを通じたスクリプト命令によって元画像の拡大/縮小を行わせるのが通例となっている。ただし、拡縮表示に堪えうるように(とりわけクローズアップ表示での美観と精度を維持するために)、データとしてインストールされる元画像それ自体が、ウィンドウサイズの数倍の倍率で用意されていることが多い。


  Ⅳ.暫定的診断

  コスト面の制約(金銭コストとスケジュールの双方)からしてPCゲームの制作素材は無限ではあり得ず、一定の数量の範囲内でやりくりしなければならない(――例えば、背景画像が用意しきれない場合には、黒画面進行で済ませるしかない)。そうした環境要因は芸術評価に際してデリケートな要素であって、ただ単に外在的制約条件として評価から無視するべきではないが、「制約こそが新たな創作を触発する機縁なのだ」と無神経に称揚すべきものでもない。いずれにせよ少なくとも、こうしたアイデアと挑戦とイノベーションによってPCゲームが新たな上積みの可能性を手に入れていることは肯定的に捉えてよいだろう。現代AVGの画面構成は、PCゲームに慣れていない人々には相変わらず単純な「デジタル紙芝居」のように見えるかもしれず、また緻密で映像表現に慣れている人からするとずいぶん大味でぎこちない枠組のように思われるかもしれないが、その中にも無数の技術開拓がなされており、十分に豊かで複雑な表現文法が、そして豊かな表現が、展開されている。


『ドラクリウス』 (c)2007 めろめろキュ~ト

(図1:)一枚絵の全体画像。テキスト進行に対応するように、この画像が様々に加工表示されていく。例えば、女性顔面部、女性胸部、男性顔面、向き合う二人などが、クローズアップや黒ベタ遮蔽によってその都度強調表示される。

(図2:)斜め黒ベタの一例。黒ベタを入れることにより、その画像全体の中でどこに焦点が当てられているかがはっきりと表示される。
必要に応じて、元画像から何倍(例えば4×4倍)もの倍率で拡大表示される場合がある。黒ベタ表示はおそらくスクリプト制御によっているが、拡大表示はエンジン(スクリプト)制御による場合と拡大画像素材それ自体があらかじめ用意されている場合とがあるようである。


(図3:)男性主人公とヒロインとが見つめ合う空間へとクローズアップしている(拡大表示している)が、しかし同時に、女性の内面の戸惑いと恥じらいを反映するかのように、二人の顔をフレームアウトさせている。
黒ベタによる画面切り取りは、縦に横に斜めに、あるいは幅広くあるいは細く、さまざまな形で行われ、さらにこの黒ベタエリアがスクロール移動してカメラワーク相当の機能をも担う場合がある。

(図4:)全体画像は、ヒロインがうつぶせに寝そべって見上げているレイアウト。左図のように、本作のアダルトシーンはしばしばヒロイン視点の情緒的な描写によって導かれ、そのことがこの黒ベタ演出と歩調を合わせてこのユニークな官能的表現を成立させている。
本作の脚本家(藤崎竜太)は、『つくして!? Myシスターズ』(すもも、2008年)に際してもヒロイン視点のベッドシーン描写を展開し、また『ひめしょ!』(XANADU、2005年)では外部実況進行をも試みている。

『桜花センゴク』 (c)2010 ApRicoT

(図1:)図1と図2は、同一ロケーション(宿舎廊下)の背景画像を左右反転して用いている。発想としても技術的にみても非常に単純なものであるが、適切にレイアウトされればその視覚的印象は大きく異なったものになる。それは、消極的に視覚的単調さを免れるだけでなく、積極的に場所移動や視線移動(反対側への振り返り)を表現する手段としても用いられる。

(図2:)図1では、光の射し込む廊下を、見通しよく見せている。それに対して図2は、人物立ち絵の配置によって窓辺と消失点を覆い隠しており、それによって前景にユーザーの注意を集中させる。左右反転だけでもプレイヤーが受け取る視覚的印象はかなり変わるが、さらに人物立ち絵等のレイアウトを工夫することによって、その画面全体の印象とその意味づけはまるで別物のようになる。

(図3:)学園内廊下。このような人工物空間では、左右反転表示しても不自然さの印象を与える虞は無い。もっとも、自然風景の背景画像の場合であっても、――PCゲームの画面は通常、抽象的象徴的な意味作用空間として認識されるがゆえに――違和感を与えることはほとんど無いと思われる。

(図4:)同じく学園廊下。図3と同一の背景画像に対して、左右反転+一部拡大+ボカシの3種類の加工を施しているのが判る。ここでは背景ボカシは、この立ち絵人物(「信玄ちゃん」)の心理状況へと描写の焦点が向けられていることを表している。すなわち、ここでは視覚的フォーカシングが心理的フォーカシングとして機能している。


  関連する議論として、拙稿「PCゲームの制作素材再利用について」及び演出論各所を参照。

  (2013/03/15執筆及び公開。ただし一部は2013/03/01に雑記欄で公開したもの。)

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