特殊なエンディングとその重みづけについて
白箱系タイトルには、通常の(複数の)ハッピーエンドの他に、
1)誰とも結ばれない途絶EDが用意されているものもあり、またその一方で、
2)選択肢をどのように選んでも必ずいずれかのハッピーエンドに到達する作品もある。
上記1)の途絶EDは、物語としては、単なる宙づり状態としてピリオドが打たれる場合もあれば、テキストから明示的な失敗が宣言される場合もある。多くの場合、それらのEDではエンドロールが流れず、鑑賞モードも開放されない(――つまり、正式なエンディングとは見做されない)。また、ゲームスパンの観点では、中盤までで(ヒロイン基軸の大きな分岐が生じていく地点まで)でゲーム終了してしまう場合もあり、あるいは全期間を生真面目に徒過させていく場合(クラシカルな恋愛SLG寄りのスタイル)もある。2)は、途絶EDや明示的バッドエンドが存在しない作品である。さらに、
3)中間的なパターンとして、主要ヒロインズのいずれのフラグも成立させなかった場合に一種の救済的なエンディングが用意されているものもある。そのようなセーフガード的なEDでは、
3-a)ひとつには途絶EDに近い形態として、特定のキャラクター(往々にしてサブキャラ[と見做されてきた存在])との関係が進展していきそうな予感のみを示唆する結末が描かれ、あるいは、
3-b)もう少し踏み込んで、その特定のヒロインとの間で(しばしばベッドシーンも経由しつつ)具体的なハッピーエンドまで描かれる場合もある。
物語の造形によっては、このセーフガード的ED(とヒロイン)がただ単におまけED(と「隠しヒロイン」)となるだけでなく、トゥルーエンド(あるいは「真ヒロイン」)のような重みを担うこともある。フラグ構成上も、ある判定タイミングで優先順位が最も低いヒロイン――つまり他のいずれのヒロインの好感度も上げなかった場合に自動的に提供されるヒロイン――は、その重みづけのありようにおいて、2)と3)の境界線上に位置している。また、1)の途絶EDの中で主要な役割を担うキャラクターは、時として3-a)のように見える場合がある。
挫折救済的EDと見做せるものは多数存在するが、適当にいくつかの例を挙げると: 『えむぴぃ』には、隠しヒロインと見做されるヒロインがいる。彼女は作中でも明示的に非攻略キャラ呼ばわりされており、グラフィック面でも主要ヒロインズとは別の原画家(サブ原画)によって描かれている。『朝凪の~』は、母親キャラ(!)との途絶EDと、サブキャラ同級生(こちらはベッドシーンあり)との救済EDの二つを含んでいる珍しい作品。『ヨスガ~』では、メイドキャラはフラグ最劣位ヒロインであり、他のどのヒロインのフラグもうまく満たさなかった場合(つまり他のヒロインたちに対して好意的な選択肢を選ばなかった場合)に、このキャラクターとのEDに向かわされる。『夏めろ』の妹EDもたしかそのような位置づけだったように記憶している。『ToHeart』の「僕たちずっと友達だよね」や『ONE』の氷上シュンは、ゲーム内でのその非正統的な位置づけにもかかわらず(あるいはその非正統性という特別な位置づけのゆえに)、当時からしばしば特別な目で見られていた。等々。
救済EDといわば正反対の発想をした実例として、中盤までで主要ヒロイン全員の好感度を十分に上げておくと、主人公たちが直面している問題の解決を放棄して彼女等全員とともに逃避行に走る選択肢が選べるようになるというひねくれた作品もある。『白詰草話』の、甘美な南の島ED。ここでは、物語が中途放棄されるのは、プレイヤーの失敗に起因したゲーム遂行の消極的な途絶ではなく、プレイヤーが理想的な仕方でヒロインたちを愛することに成功したためのゲーム目標の積極的な転換だと捉えることができる。
個人的には、1)の宙づりEDが持つ情緒も結構好きだったりする。SLG作品でいえば、大団円EDへのフラグを完全には満たさなかった場合の「ノーマルエンド(と俗に呼ばれるもの。とりわけ真のラスボスまで到達せずにシステム側から終了が宣言されるものが多い)」の雰囲気に近いだろうか。
「宙づりEDも好きです」と一言書くためにこれだけの贅言を費やす必要は無かったのではないか。
この種のエンディングの呼称について、ある攻略サイトで意見交換が行われたことがあり、そのようなgoodでもbadでもないEDのことを、人によっては「ノーマルED」という(英語のnormalの語義からはかけ離れているが日本人としては受け入れやすそうな)呼称を提案したり、あるいは目標を十分には達成していないという意味で「不完全なED」というニュアンスを求めたり、特別な結果に到達しないという意味で「デフォルトED」とするアイデアを提起したり、あるいはもっと平易で直感的な命名として「またーりED」(全テキスト読破志向の某攻略サイトが実際に用いている呼称)、「日常ED」(多くの場合に実態を表す)、「スルーED」も好ましいと述べたりしていた。当時の私は、「垂直的にgoodでもbadでもなく、また水平的にどの特定のヒロインにも傾斜しない」という意味で「ニュートラルED」という呼称を提案したが、今にして思えばずいぶん頭でっかちでぎこちないネーミングだった。「誰のルートにも入らずに日常が続く形のエンド」のことを、今ではこうして「宙づりED」と呼ぶことにしているが、これも分かりづらいかもしれない。
(2013/02/17公開。2013/05/15単独記事化)
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