2011年9月24日土曜日

演出論的覚書:Ⅰ章1節:LittlewitchのFFD演出

《第1章:現代AVGの包括的演出:Littlewitch、すたじお緑茶、Purple software》


《第1節:Littlewitch:FFD表現》

  国内アダルトPCゲーム史にとって、LittlewitchFFD(Floating Frame Director system)は、まさに文字通りエポックメイキングな存在である。大槍葦人率いる同ブランドの第1作『白詰草話』(2002年)と第2作『Quartett!』(2004年)(註1)のFFD表現は、当時の読者たちに――そしておそらく制作者たちにも――大きなインパクトを与えた。しかも、その時期的先進性と技術的水準だけでなく、その演出水準の高さにおいても、2008年現在においていまだなお最も優れたAVG作品に数えられている。

註1) 本稿において各作品の制作元及び発売年の情報に関しては、とくにことわりの無いかぎり、データベースサイトErogameScapeに依拠している。メーカーサイトへのリンクに関しても同様である。さらに本稿の趣旨に対しては、POV「演出の光るゲーム」が参考になる。


  アザナシの開発したFFDは、その名のとおり、自由度の高い可動フレーム命令を可能にするシステム(ゲームエンジン)である。このFFDシステムの下で実現されている主要な技術及び技法をあらかじめ列挙すると、以下のようになるだろう。
  ・立ち絵CGや背景CGをもカットイン的に処理する(――「立ち絵-背景」構造の解体)。
  ・それら大量のカットインCGの組み合わせ(――とりわけ、それらの動的な組み合わせ)。
  ・メッセージウィンドウの可変化(によるフキダシ化)、可動化、同時多重表示を行う。
  ・メッセージテキストの(キャラクター毎の)フォント変更及びサイズ変更。
  ・様々な視覚エフェクトの投入(による演出強化。とりわけ、動的なエフェクト)。
  ・擬音語を画像上で表示すること(=漫画的演出。さらにはそれらの動的表示)。
これらの技術を包括的に組織化したものが、Littlewitchの演出である。FFD演出の基本的特徴を要約するならば、様々なサイズのカットCGと、フキダシ化されたメッセージウィンドウとを、自由自在に組み合わせ動かしていくことによって、漫画の齣組みのような視覚的構築を行う技法だと言えるだろう。

  もちろん、上記の諸技術はLittlewitchのみに特有のものではなく、個々の技術としては他社作品にも見出される。詳しくは第3章で個別的に検討していくが、例えばメッセージボックスのフキダシ型処理はすたじお緑茶Lassなどが実行している。カットインCGの投入も、現在では数多くのブランドが実践しており、十分に普及した技法となっている。しかしながら、他のブランドと比べてLittlewitchが傑出しているのは、(1)最も早い時期からそれらの技術に着手した先駆者であること(2)それらの技術を同時に(つまり複合的に)適用していること、しかも(3)明確な方向性(漫画志向の様式性)をもって包括的、組織的、徹底的に実行していること、そしてその帰結として(4)きわめて高い水準で、精緻かつ効果的な演出を実現していること、にある。

  ただし、第3作『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』(2005年)以降のLittlewitchでは、当初のような徹底的なFFD使用は形を潜めていると言われる。一面ではおそらくそう言うべきなのだろう。たしかに、この『少女魔法学』(註2)においては、高密度のFFD演出はアヴァンタイトル部分のみに留まっており、本編部分の画面構築は基本的に、標準的なAVGの仕様とほぼ同一である(――つまり「人物CG(立ち絵)+背景CG+メッセージウィンドウ」の組み合わせで表示されている)。しかし、前二作から継承された技術が様々なかたちで柔軟に活用されていることは明らかに見て取れる。例えばウィンドウのフキダシ化、複数の独自フォントの使い分け、テキスト表示方式の変更、CGのカットイン的使用、大サイズCGのスライド表示、各種エフェクト、等々。

  さらに『ピリオド』(2007年)及び『シュガーコートフリークス』(2010年)は、クラシカルな「立ち絵+背景」形式に回帰しつつも、息の長いズーミングや複数クリックに亘る緩やかなスクロールによって画面上には様々なムードが盛り込まれている。ここでは、以前のような賑々しく速度感のある漫画的FFD演出の代わりに、カメラワークを強く意識させる瑞々しい映像的演出感覚と繊細に練り上げられた時間制御が、テキスト進行と複雑に絡み合いながらゲーム進行全体を包み込んでいる。Littlewitchが到達した、AVG表現の洗練された境地である。

註2) 『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』のゲームデザイン全体に対する評価は、別掲の拙稿、とりわけその3章3節以下を参照。本稿の基礎となった問題関心を含んでおり、また『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』全体の重要性についての紹介と検討を試みたものである。




  【追記コメント】


『白詰草話』 (c)2002 Littlewitch

(図1:)全画面背景の上に、フキダシ及び画像カットイン(齣)のフレームがダイナミックに浮動(float)していくのが、本作の基本的な画面構築スタイルである。
  各フレームは、様々なサイズ及び形状をとり、出没、移動、伸縮し、そして齣内部でも画像スクロール、拡縮、アニメーション(降雨、桜吹雪、流れ星、紫煙等)などを実行する。


(図2:)各フレームは、様々なタイミングで出入りし複雑に重なり合いつつ、状況を表現していく。図1から図2にかけて、最初に左の大齣が現れてから「ちゃんと寝る前に~」のフキダシが表示されるまで、10個以上のフレームが画面を行き来する。
  フキダシ形状は、男性の台詞はデコボコのフキダシ、主人公モノローグは四角形、女性の台詞は通常は楕円形で、さらに状況に応じて角張ったもの、ギザギザ輪郭、波形輪郭などが用いられる。

  具体的には、上記図1から図2に掛けて、画面上の状況は以下のように展開していく。
・画面左の大きなカットインが現れ、齣内部がゆっくりと左にスライド(ゆるやかな時間経過の表現)。
・画面右下に、眠たげな少女「沙友」のフレームが、にじむように現れる(意識の停滞)。
・右端から男性「津名川」のフレームがスライドして現れ(注目と接近)、続いて彼の台詞が現れる。
・沙友の返事フキダシフレームが表示される。(※クリック待ち)
・津名川のフレームが一旦消去される。沙友のフレームはそのまま画面に留まって静止している。
・左上に金髪少女「エマ」のフレームが現れる。
・エマの齣内部の画像がゆっくりと右に流れつつ(眠気の表現)、エマの台詞フキダシが表示される。
・右上に少女「透花」のフレーム(水平位置:上記エマのフレームへの応答)、続いて彼女の台詞。
・左下に津名川のフレーム、そして彼の台詞フキダシ2個が連続表示される。
この後、3人の少女は声を合わせて(1つのフキダシで)「はぁい」と返事をし、それぞれ「おやすみなさい」と言いながら自室に向かう(それぞれのフレームが、思い思いの方向に消えていく)。

(図3:)戦闘シーンの一例。直方体以外の変形カットイン画像も時折使用される。
  中央の大齣に、画面右側の振り向きカットインが挿入され、さらに続けて左から打撃カットインが現れる。この一連の画面組み立ての速度感が、「エクストラ」(軍事用人工生命体)たちの高速戦闘の様子を表している。

『Quartett!』 (c)2004 Littlewitch

(図1~3:)画面左側の縦長カットインが、状況をおおまかに示して、この場面全体の描写の基盤となる(――いわばエスタブリッシングショットの役割を果たし続ける)。 そしてその上に人物カットやフキダシ台詞が重ねられていく。

(図2:)台詞が連続する場合は、最初のフキダシに発話者を示す突起を付けて識別させ、二つ目以降は前のフキダシに近接乃至接触させることによって、そのつらなりを示す。また、画面外に出て行くキャラクターの台詞に際しては、図3のように小型の顔表示フレームをフキダシに重ねて表示する場合もある。

(図3:)文字フォントも、複数のものが使い分けられている(――何種類もの市販フォントを組み込んでいる)。また、文字列自体も拡大縮小、振動、伸び縮みなど、様々な動きを示す。




  リンク:Littlewitch公式サイトの『白詰草話』システム紹介ページ『Quartett!』システム紹介ページ『少女魔法学リトルウィッチロマネスク editio perfecta』概要紹介ページ(※注意:左記リンク先ページにはアダルト画像も掲載されている)。

  いきなり「立ち絵/背景」システムの"解体"から始めてしまってどうする、というツッコミが。非ゲーマーに対する解説としては適切でないと思う。しかしPCゲーマーとしてはやはりLWから説明を始めるのが一番良いと、最初の執筆当時は思っていたけど、いやしかし現在のゲーマーにはLW作品をプレイしたことが無かったり、あるいはそもそも知らなかったりする人もわりといそうなので、その意味でももはや適切ではないのかもしれない。

  もちろん、初期LWの『白詰草話』と『Quartett!』の間でも画面の作り方、FFD表現のあり方は、かなり異なっている。『白詰草話』では、アイキャッチを挟んだ30分単位の話数制進行、アニメーションOPの採用、そして音響表現(効果音表現)に対する鋭敏さからも窺われるとおり、志向しているモデルと依拠している文法はアニメ(乃至は映像)のそれであり、画面上に浮き出て流れていく個々の「カットイン」画像はそれぞれ映像作品でいう一つの「ショット」に近いかたちで構図を造形され相互に組み立てられている(――フキダシのフレームがそれらの画像上の人物表示に追従し強固に固着していくのは、どちらかといえば漫画的造形というよりもむしろ上記の映像志向的アプローチに付随した副次的な帰結に過ぎないように思われる)。そしてそうした手つきに基づいて成立したこの作品の特徴としては、それら個々のショットがその都度パンでわずかに流れつつ画面に現れては消えていく際のカメラワーク的運動性がAVGに対して特有の時間感覚と力感の効果をもたらした点と、そしてそれらの複数のショット群が時間的に前後しつつ画面に留まって相互に絡み合っていくことによる視覚表現上の複雑さ――通常の単一画面映像には存在しないもの(※もちろんアニメの中にもカットインや画面分割は存在するが)――が挙げられることになるだろう。
  他方で『Quartett!』においては、そうした映像志向的特性――すなわちカメラ的構図の採用、映像編集的なカットイン構築、そして動画映像的時間感覚の導入といった特徴によるもの――は、それ自体としてはいくぶん後退していたように思われる。品質が低下したと言いたいのではない。そうではなくてむしろ、映像表現を範とした既存の感性を乗り越えて、ここでは本当に独自の、FFD特有のカットイン構築表現が成立したように思われる。画面上を自由に賑やかに出入りしまたは画面全体を堂々と占拠しあるいはドラマティックにぶつかり合い時には軽快に一撫でしていく個々の画像素材は、顔窓的使用からVFX相当の用法、コミカルな一齣の挿入、イラスト的な自律性の高いカット、効果音代置、テキストそれ自体をも活発に踊らせる(動かす)試み、齣単位の拡張利用(齣内部差分変化の増加、降雪などの齣内部アニメーション、齣内部のカメラワーク的変化、一齣がクリック単位を超える時間の長さを含むようになったことetc.)、そしてそれらの時間的制御のよりいっそうの複雑化(多速度表示、時間文節の緻密化)に至るまで、その形成及び意味づけのありようはもはや映像の文法を脱して柔軟に形作られ使用されている。一般的な評判においてFFD表現が「動く漫画」として理解される時、その典型として人々の念頭に置かれているのはおそらく『白詰草話』ではなくこの『Quartett!』のスタイルだろう。実際、『Quartett!』におけるいくつかの特質――ユーモラスな描写の頻度、戯画的デフォルメへの傾斜、『白詰草話』よりも鮮やかに踊り回るフキダシ(もはやテキスト進行との一対一対応は無視されている)、個々のカットイン配置が写実的空間配置への忠実性に囚われることなく画面効果志向の構成感を打ち出していること、そしてとりわけ、比較的小さなカットインを数多く組み合わせていた『白詰草話』と比べて一画面上に平均的に存在するカットイン数が大きく減少しておりそれによって一つ一つのカットインが単独でその場の描写の重みを引き受ける度合いが増しておりそのことが描写全体に齣割進行的なよりいっそう明確な拍節感をもたらしていること、等々――からして、本作の表現スタイルがしばしば雑駁に「漫画的」と形容されてきたのは、故無いことではな(――もっとも、『白詰草話』からの後退が無いわけではない。制作コスト節約のためか、一つのカットインが画面に滞留する時間が増加しており、それが時として冗長さの印象を帰結していること。そして、映像表現的コンテからの離脱に伴い、その支えを失って独力で組み立てられたコンテの中に出来の悪い箇所がいくつか目立つようになっていること。そしてそれゆえ美意識の様式的洗練という観点では疑問の余地無しとしないこと。『白詰草話』では大齣の大見得がほとんど禁欲されて、比較的小さなカットインの規則的な組み立てに終始していたが、それはFFD利用の柔軟さの欠如という消極的側面だけではなく、むしろFFD表現の特長をはっきりと示しつつ同時に画面表現上の厳しい節制とゲーム進行全体のリズム感をもたらすものとなっていたという側面も、指摘されるべきであろう。 結局のところ、『Quartett!』は、『白詰草話』以上に野心的なスクリプトワークに踏み出した意義は大きいものの、そのオリジナリティと引き替えに、それ単体としての完成度で見れば一歩譲ることになったというのが、双方の比較評価になるであろう) 。
  ただし、ブランド代表 兼 総監督 兼 原画担当である大槍氏のキャリア――wkpdを見るかぎりでは、漫画家として出発した経歴を持つが専門的な映像制作に携わったことは無い――にもかかわらず、Littlewitchはそのゲーム制作の全履歴の中で全体としては常に映像的志向を持ち続けていたように思われる。そのことは、『白詰草話』だけでなく(細密なFFD初期様式から一般的なAVG様式へと「退行」したと言われる)『ピリオド』及び『シュガーコートフリークス』の中にもはっきりと見て取れる。
  なお、『白詰草話』のクレジット上では、監督:大槍葦人(※原画も兼任)、シナリオ:大槍葦人/古我望、絵コンテ:伊藤良太(8、10話)/大槍葦人(1話)/袁藤沖人(2、6話)/佐々原憂樹(4話)/塩野干支郎次(5、6、7、9話)/八樹隼一郎(3話)、スクリプト:飯田和彦(1、3、5、7、9、10話)/アザナシ(8話)/九重九十九(2、6、8話)/関野広之(4話)。『Quartett!』は、監督(director):大槍葦人(※原画も兼任)、脚本(screenplay):飯田和彦、絵コンテ(continuity):ましこひろみ、スクリプト:時祭京平/Kay/芹沢進/飯田和彦、となっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿