(2)SLG作品におけるシステムと演出の関係
現在の年齢制限付き国内PCゲームにあっては、AVGパートを含まないことはほとんど考えられない。SLGに分類される作品も、SLGパートのみで構成されているわけではなく、AVGパートが少なからぬ比重を占めている。それゆえ、それらの作品を「AVGではなくてSLG」と見るのではなく、「SLGパートを含むAVG」と見て、AVGの視座からSLG作品の構造及び演出を検討することも、可能であるし、また有益でもあるだろう。私見では、この分野で AVGとSLGとを択一的に把握することはあまり意味を持たない。
SLG作品におけるSLGパートが、ゲームパートであると同時に演出機能(とりわけ視覚的精緻化の機能)をも果たしていることは、けっして否定できない。ゲームパートがそれ自体同時に演出パートでもあり得るという認識、あるいはゲームパートの機能は目的追求的挑戦のみではなくインタラクティヴなアミューズメントであってもよいのだという認識は、とりわけ家庭用ゲームにおいて培われてきた。PCゲームにおいても、実際にある種のSLG作品においては、SLGパートが「ゲームパート」というよりもむしろ「演出パート」として(のみ)機能している。例えば『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズ(F&C、1996年~)のアルバイトパートは、簡単なスケジューリング操作とチップアニメ表現によって主人公の定型的活動を表現するものであり、それはゲーム的挑戦を促すよりもむしろ視覚的演出の一手法として(あるいは進行制御の一形態として)理解されるに相応しい。pajamas soft作品のバトルパート、あるいは『Maple Colors』や『Love Letter』(美遊、2002年)に含まれるミニゲームについても同じことが言える。
もちろん、副次的なゲームパートによる演出だけでなく、自立的なゲームパートの中での演出も様々に試みられてきた。多数の例に代えて、ゲーム性と視覚的演出を高度に両立させた見本として『WoRKs DoLL』(TOPCAT、1999年)を挙げておく。また、ActGパートによる(ActGパートの内での)演出については戯画の『BALDR』シリーズが挙げられる。Liar-softのいくつかの作品も、この関連で言及されるべきであろう。1章1節で言及したLittlewitchの『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』についても同様の評価が可能である。ダイスロールパートでは、時に華やかで時に愛らしい、ヴァリエーション豊かな魔法発動エフェクトを楽しむことができる。
SLGパートとAVGパートの関係が問題となるのは、ゲームシステム全体の次元だけではない。ゲームシステムの中で扱われる個々の要素に関しても、SLGパートとAVGパートの連動は、意味を持つ(べき)ものとして解釈される。例えば、「素早さ(AGI)」ステータスが高く「開錠」スキルを持つユニットがいた場合、その事実はそのユニットのSLGパート上の性能を表現するだけでなく、そのユニットが物語上のキャラクターとして「シーフ」の個性を持つことをも自動的に表現している。あるいは、SLGパート上で撃破されてもロストしないユニットは、その不死性という特徴(=汎用ユニットが通常持ち得ない能力)によって、物語(AVGパート)の次元でも特別の運命を与えられていることをプレイヤーに報せている。このように、SLGパート上の機能表現とAVGパート上の物語表現との間には一種の文法的関連が存在し、あるいは存在することが通常期待されている。
【追記コメント】
問題のある一節。「SLGとAVGの関係」という問題意識が執筆当時強かった、というか本稿自体が元々SLG作品のシステム検討の中の一コラムから出発したものでその尻尾が残ってしまっているだけなのだが、この演出論の中に組み込むのはいささか不純だったかもしれない。実例紹介としてもぎこちなく、あまり成功していない。
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