2011年9月24日土曜日

演出論的覚書:Ⅱ章:中間的展望

  《第2章:中間的展望》

  言うまでもないが、これら三社がAVGにおいて演出強化を行った最初の世代だということではない。降雨降雪アニメーション、目パチ口パク表現、背景エフェクトなどの技法は、2000年代初頭の頃にはすでに行われていた(――LeafStudio e.go!アトリエかぐやF&Cなど枚挙に暇が無い)。しかし近年のAVGにおける演出重視傾向は、おそらく新たな段階に入っている。age(アージュ)の躍進(『君が望む永遠』、2001年)と並んで、とりわけ『世界ノ全テ』たまソフト、2002年)が、演出性を前面に押し出した作品の嚆矢として、文字通り画期的であった。この作品が発売されたのは、『ONE2』BaseSon)、『うたわれるもの』Leaf)、『水月』F&C/FC01)と同日――名高い2002年4月26日――であるが、この日付は、Leaftactics/keyに よって主導されてきた前世紀末以来の大きなブームが一つの限界を迎えた瞬間だとされる。これ以降の国内アダルトPCゲームは、「学園恋愛系のクリシェ化」、「ファンディスク制作の増加」、「大作志向」、「技巧的なストーリーの追求」、「バトル要素の導入と前景化」、「アダルト嗜好の細分化」、「SLG系ブランドの少数化と専業化」といった様々なベクトルへの分散的先鋭化が進行していく(註6)ことになるが、その節目となる時期にすでに「演出重視傾向」の先触れも出現していたという符合は興味深い。



註6) ただしこの展望は、6年半を経過した2008年末時点ではすでに通用しなくなりつつある。例えば学園恋愛系は、もはやそれ単体では商業的アピールとして成り立たなくなっているように思われる。「魔法学園」「上流学園」「女学園入学」等のサブジャンルが発生してさまざまに細分化されつつあるのは、そのことを反映するものであろう。また、ファンディスク制作の猖獗は収まりつつあるし、『マブラヴ』age、2003~2007年)と『ef』minori、2006~2008年)の長大な連作も完結した(?)。他方で『真・恋姫†無双』BaseSon、2008年)や『ToHeart2 AnotherDays』Leaf、 2008年)に見られるように、むしろ従来型のFDや続編とは異なるかたちで作品世界を継続展開する新たな動きが現れてきている。技巧的なストーリーの追求は、作為的で不自然きわまりないルール設定に依存するようになり、しかもその都度の「神様」キャラクターにそのツケを回してしまうことに開き直ってすらいる。いわゆる「燃え」志向も、「泣き」志向の歴史的推移と同様に、すでに浸透と拡散を果たしたように見受けられる。アダルト要素志向に関しては、低価格帯作品及びダウンロード販売の増加が指摘されるであろう。非AVG作品については、新規メーカーの参入が時折見られるものの、依然として玉石混淆の観が強く、慢性化した自家中毒的停滞を克服するには至っていない。


  この十年来の演出志向の潮流は、成人向けPCゲーム分野に対して広汎に波及し、そして深く浸透してきている。その発展過程について、本稿は主として個別の演出技術の実験及び増強に焦点を当てていくが、それは事態の一面にすぎない。様々な演出手段の量的拡張だけでなく、個々の作品の中での様式的洗練が進展していることもまた、指摘されるべきであろう。演出諸技術の利用様態について、現在のAVGシーンには、すでにいくつかの特徴的な方向性が見て取れるまでになっている。(a)一つには、ういんどみるぱれっとすたじお緑茶等が追求してきた、スクリプトワークによる立ち絵振り付け演出を基盤とした、AVG描写精緻化の試み。(b)第二に、初期Littlewitchproject-μに見られるような、複雑な画像組み立てによるパッチワーク的画面構築の手法。(c)第三に、elfSkyFish、そしてJellyfish及びOverflowに至るまでの、アニメーション導入の様々な試み、(c')あるいはLeafStudio e.go!ソフトハウスキャラといったSLG系ブランド群が得意としてきたチップアニメ表現。(d)そして最後に、ILLUSIONTEATIMETech Arts3D等によって主導されてきた、AVG表現の包括的な3D化の流れ。

  演出技術の観点に戻れば、現今では主として「(1)スクリプト操作(主に立ち絵に対しての)」、「(2)画面効果(エフェクト)の強化」、「(3)動画(ムービー)素材の利用」による演出強化が、多くのブランドによって様々に試みられている。次章ではこの三者それぞれについて、ブランド及び作品の具体例を挙げつつ検討していく。



  【追記コメント】

  例によって歴史観的記述に対する異論は出てくるだろうが。しかし、大雑把にナタで区切るなら、2001~2002年は一つの分水嶺になると思う。2001年には『君望』、『月陽炎』、『DEEP VOICE』、『パンドラの夢』、そして2002年には『腐り姫』、『結い橋』、『白詰』、『はちみつ荘』と、現在もAVG演出の最先端を走っている主立ったブランド群がこの時期にデビューしているかあるいは初期の重要な成果を挙げている。業界的に見れば、この分野の全体的なプログラム技術がこの頃に十分に回復し力をつけてきた、ということなのだろうか?
  いずれにせよ、その当時「泣き」「欝」「燃え」といった曖昧なフレーズでいろいろ旗振りしていた人々(ユーザーサイドも制作/広報サイドも)には、当時発揮していた各自の影響力に応じた分だけその不明の責があると思っているが。

  この章の後半段落は、初期のテキストには存在せず、AVG表現における「様式(の選択)」への注目を強調するために後から加筆したものだけど、整理としてあまり成功していない。しかし問題は「様式」基軸ではなく「技術」基軸で書いてしまった点にあると思われ、それゆえ(整理としては不格好だけど全体の趣旨には合致しているので)書き直そうにも書き直しにくいという状態に……。様式論についての論述は本来ならばここでは不要、あるいははっきり言えば邪魔なのだけど、しかしそれ単体では私にはひとまとまりのきちんとした記事を書ききれないという事情もある。

たまソフトの活動は、演出に向けられた意欲は当時としては新鮮味があったと思われるし、おそらくその後のこの分野の発展の呼び水にはなっていたのかもしれない。しかし今にしてみれば、それは(「RoY」版まで含めて見ても)デモムービー依存の話題先行的なものだったように見受けられるし作品自体にも空転の印象が強い。その後の同社の活動を見ても、元々それほどセンスとポテンシャルがあったようにも見えない。しかし、大きなムーヴメントの促進に寄与したという点では、歴史的に言及される意義はあるだろう。

  上のテキストでは「分散的先鋭化」と書いたけれど、むしろ「あらゆる方向性への挑戦が試みられた」と言うべきだったかもしれない。この時期に蛸壺化が進行していたというのはそれなりに確からしく思われるけれど、それも現在では再び融合と混淆が活発になってきている。

  SLG系分野の十年に対する評価は、私の中でまったく定まっていない。上のテキストではわりと消極的な述べ方をしているけど、実際にはそんなに悪いものではなかった筈だ。そもそも、AVG表現とは別系統で独自の展開をしていて、しかもその推移は2000~2010年という機械的な区切りにはマッチしていないと思われ――むしろ2005/2006年あたりに転換点があるとする見解(※)の方が説得力があるだろう――、それゆえここで適切な評価を述べることは最後まで不可能なままになるだろう。
※――2011年2月19日のtw上での意見交換: ID:kazenezumi氏のtwlgを参照。

  学園恋愛系AVGのサブジャンル分化については、統計を取って書きまとめかけていたのだけど、しばらく放置していたら完全に公開の時機を逸してしまった。おおまかにいうと、『処女はお姉さまに恋してる』(2005年)あたりから急激に「学園」設定それ自体に様々な特徴が付与されるようになってきたことが見て取れる、というもの。

  『マブラヴ』は2011年現在もまだ終わっていなかった。個別タイトルを超えた拡張という観点では、『さかここ』シリーズのような緩やかな続編化にも言及されるべきだったろうか。その他にも、『終の館』シリーズ、『りとる・ピース』シリーズ(短命だったが)、最近では『神楽』シリーズや『Tiny Dungeon』シリーズなどもある。

  本文(の註6)ではあのように書いたものの、実際にはいくつかの作品を再プレイしてみてageに対する評価はずっと下方修正が続いている。結局のところこのブランドは、その技術上の実験性とその成果(例えば音響コントロールの試み、積極的な立ち絵スクリプト導入、3D技術投入など)に関しては目を見張るべき点がいくつもある一方で、それらを適用する演出センスがいかにも垢抜けないままであるというギャップを露呈し続けている。その演出を下支えする脚本制作の側はむしろ十分に優れたものであって、自身の領分で言い表すべき事柄と音響表現や立ち絵演出にゆだねるべき範囲とを適切に切り分けつつ、その自信の領分たるテキストワークそれ自体は非常に理知的かつ明快に組み立てられており、のみならずとりわけ『マブラヴ』シリーズのSF的アイデアはその物語の駆動因として十分に刺激的なものをうち建てているのだが。ブランドが十年以上携わり続けているその『マブラヴ』シリーズの続編&メディアミックス展開の果実については論評を差し控えるが、それを足掛かりとしてその中で様々な表現技法上の試みに着手した蛮勇の姿勢とそれによって実例を示され開示されたAVG表現上の可能性こそはブランドがこの分野に対してもたらした真に重要な寄与であるように思われ、そしてそのかぎりでこの挑戦的姿勢のブランドはこの00年代半ばの一時期のAVGを先導した旗手の一人として記録され評価されるべきであろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿