Purple softwareは、『秋色恋華』(2005年)の頃から、演出技術の面で急速な進展を見せてきた。ここには、立ち絵演出への意識や、複数画像のクロスフェード表現の試みなどが窺われる。それに続く『プリミティブ リンク』(2007年)では、キャラクター立ち絵に対して拡大縮小、移動、フェードイン及びフェードアウトといった様々な動的操作を施しつつ、それらをWSVGA画面全体での拡大縮小及びスライド(つまりカメラとしてのズーミング及びパンニング操作)と組合わせることによって、伸びやかに広がる空間的演出を実現している。WSVGA解像度の採用は、『秋色謳華』(2005年)に続くものであり(註4)、その舞台設定と併せてきわめて清新な印象を与えた。魔法エフェクトなどの個々のヴィジュアルエフェクトの軽快な処理にも見るべきところがあり、音響演出(効果音使用)も優れている。OPムービーへの注力も耳目を驚かせた。
つづく『明日の君と逢うために』(2007年)では、CMVSエンジンの下で、立ち絵のスクリプトアクションをいっそう精緻化しつつ、さらに背景画像の大胆なアニメーション化をも推し進めて、業界に大きな衝撃を与えた。システム設定画面で「背景動画」と称しているもので、電車の窓外アニメや揺れる吊革、あるいは波打ち際や湖水面のゆらめき、地面を叩く豪雨、さらにはTV画面アニメ――前作のOPムービーが流れている――がある。そしてこれらの技法をつうじて、後述のApRicoT(cf. 3章2節2款)とは異なるアプローチから、本作はアニメ作品に近似するほどの表現密度をAVGの枠内において達成している。しかも、これらの画面演出に際して画像の拡大縮小操作は非常になめらかであるし、立ち絵のパターン差分も豊富に投入されている(――主要キャラクターの立ち絵はそれぞれポーズ×服装×表情で100パターンにも及び、さらに時刻差分[色調変化]とサイズ変更[拡大縮小]が加わる)。さらにそれ以外の本作固有の演出としては、場面転換の鮮やかさも特筆に値する。
註4) 管見のかぎりでは、今世紀の年齢制限付き国内PCゲームで初めてワイド画面(4対3よりも横長のアスペクト比のウィンドウサイズ)を採用したのは、2005年発売の『秋色謳華』(1024*614解像度)である。そしてそれに続くのが、『マブラヴ オルタネイティヴ』(2006年)以降のage各作品(XGA環境を要求するWSVGA画面)である。さらにすたじお緑茶は『片恋いの月』及びそのファンディスク『片恋いの月 えくすとら』で横長画面(WSVGAサイズ)を導入し、Purple softwareも『プリミティブ リンク』においてふたたびWSVGA相当のウィンドウサイズを採用している(――ただし、『明日の君と逢うために』以降のPurple softwareは、再び4対3比率のSVGAに回帰している)。 2008年下半期に発売された作品の中では、『ティンクル☆くるせいだーす』(リリアン。XGA環境を必須とする1024*614解像度)、『水平線まで何マイル?』(ABHAR。1024*576解像度を推奨)、『SiN 黒朱鷺色の少女』(Studio Mebius。1280*720解像度)などがワイド構成を採用した。2009年以降もワイド画面構成は、(それが支配的な型になるかどうかはともかくとしても)普及していくものと予想される。 各作品の画面表示機能の細目について検討したページとしては、ウェブサイト「エロゲについてのあれこれ」内の「ゲームソフトのワイド対応・デュアルディスプレイ対応比較」が有益である。また、上記ページで情報提供元としてクレジットされているウェブサイト「電波とどいた?」は、きわめて早い時期から、そして技術的実践的立場から、AVGの演出面への関心を促してきたサイトであり、PCゲームの主要なエンジンのリストや「スクリプト演出の話」など、システム面に関して示唆に富む多くの記事がある。 |
小括。Littlewitch、すたじお緑茶、Purple software、この三社の作品は、その緻密かつ多面的な演出実践の豊饒さによって、2008年現在のAVGの枠内での最も洗練された表現に数えられるであろう(註5)。ただし、その方向性は三者三様に異なっているが。Littlewitch作品の複雑かつ自在な画面構築は(とりわけ初期作品に関していえば)漫画の齣組みから摂取したものであろう。他方でPurple softwareの写実的な動的演出は明らかに映像作品(とりわけアニメ)を範としてその様式感覚及び表現文法に立脚している。すたじお緑茶の空間的演出については、他分野の特定の表現枠組からの影響を見出すことは困難であり、さしあたってはAVGの内発的な(換言すれば、技術的な)発展の率直な成果だと見做すのが妥当であろう。
註5) ここでageを無視したままでいることは本来許されまいが、このブランドに対する検討及び評価は後考に俟ちたい。本稿がageに関する単独の章節を設けていないのは、その重要性を低く見積もっているからではない。そうではなくて、その重要性のゆえにいっそう綿密な再検討が必要だと考えるからである。また同様に、pajamas soft、Liar-soft、minoriに対しても、本来ならばブランド全作品に亘る包括的な分析及び評価が試みられるべきであったろう。しかし筆者の能力を超えるため現時点では断念せざるを得ず、本稿ではいくつかの断片的な言及にとどまっている。 後日追記。個別作品について言えば、『タペストリー』(light、 2009年)の表現形式はとりわけ注目に値する。2009年時点で最新のこの作品においては、本稿が紹介する様々な技術が、あらためて総合的に使用されているのが見て取れるからである。具体的には、ワイド画面の活用、背景画像のズーム及びスクロール(カメラワーク的操作)、豊富な立ち絵ヴァリエーション、立ち絵の動的操作(移動及び拡大縮小)、フキダシ型テキスト表示(しかも縦書き表示である)、文字フォント操作、デフォルメ絵の使用、等々。表現の生硬さは散見されるものの、投入されている技法の豊かさに関しては少なくともLittlewitchに匹敵しうると思われるこの作品が、どのような評価を獲得するであろうかは注目に値するし、そしてどのように評価すべきかは我々プレイヤー(作品の受け手)にとっての課題でもある。 |
【追記コメント】
忌憚無く言えば、Purple softwareはこれらの中では一段落ちる、というか特定のサーカス芸的演出技巧ばかりが目についてそれが全体の中でうまく馴染んでいないことが多いのだけど、しかしそれでも『明日君』の突出した出来――これもシナリオ自体はそれほどでもない――はきちんと銘記される価値があると思うので、これはこのままの位置にしておく。今の私だったらpajamas softを挙げずにはいられないが。
PCゲーム実行環境と関連した近年の特徴的な変化としてワイドサイズ(つまり4:3よりも横に広いウィンドウ解像度)の導入が挙げられるが、しかしこれに対してはどちらかといえば否定的な反応が散見され、しかも傾向は当初(2008年頃)からずっと続いている――それは、ユーザー側から指摘される不満に対してメーカー側は十分な対応をしていないままであるということでもあるだろう。ワイド化の主要なメリットとしては、1)横幅が広がることによって同時表示できる立ち絵の数が増える(あるいは立ち絵複数表示に余裕ができる)という点、そして2)フルスクリーンでプレイする際に上下または左右に黒帯を入れずに完全なフルスクリーン表示ができるという点があるが、他方でデメリットとして挙げられている問題も数多く存在する。a)一枚絵の構図設計に際して、画面の傾きがいっそう激しくなる(――そして立ち絵シーンとの落差がいよいよ強調されてしまう)。b)画面に立ち絵一人だけを表示した場面で両脇が大きく空いてしまう。c)過渡期的な問題かもしれないが、原画家の多くがワイド構図に慣れていないこと(――昔は640*400[つまり16:10]だったりもしたようだが)。d)平面画像に対してズーミング操作をして接近表現を行った場合に違和感が大きくなる(――この問題に対してageのrUGPはエンジンレベルで技術的に一応の解決を与えているが、その見た目の印象はあまり良くない)。結局のところ、一般的なPC環境におけるディスプレイのワイド化という外在的事情に合わせた対応であるに過ぎず、それがAVG表現にとって何をもたらすのか、いかなる可能性といかなるデメリットがあるのかについての省察が、制作者サイドにおいていまだ閑却されたままであるように思われる。
上の本文で言及している意味での「ワイド」とはちょっと方向性が異なるけれど、非-全画面の背景画像部分が4:3よりも横長になる――つまり4:3画面の中で上下に(黒)帯やテキストボックスが入って、背景画像は垂直方向で見て7~8割程度のみを占める横長形状になる――という特殊な(いわば擬似的な)ワイドスタイルも存在する。具体的には、『アトラク=ナクア』、『行殺新選組』以来のLiar-soft作品、『朱』、『MERI+DIA』、『Volume7』、Eushully作品(『空帝戦騎』[2004年]や『姫狩りダンジョンマイスター』[2009年])、そしてやや特殊な事例として『誰彼』(のADNシーン)など。『かしましコミュニケーション』(AXL、2010年)のようにワイド構成と4:3構成を切り替えられるシステムの場合も、4:3タイプを選択すると背景画像部分はそういう部分ワイド表示になる。こうしたスタイルが採用される事情としては、1)SLG作品等における画面利用の機能的要請に基づくもの、2)書割的抽象性を印象づけるもの、3)映像志向と目される擬似ビスタサイズ採用、4)ワイドディスプレイへの適応模索、の4点があるように見受けられる。なお、これらの他に、回想シーン(つまり現在進行中の状況ではないこと)を意味するための文法的構成として一時的に上下黒帯付きの画面になる場合もある(※Ⅲ章1節2款の追記コメントを参照)。
……これは実は以前にtwで話題に挙がっていて、そこから示唆をいただいた話(備忘録:2010年5月18日)。
lightは、『タペストリー』、『Dies』、『Vermilion』、そして新作の『神咒~』と来て、いまや完全にTYPE-MOONの衣鉢を継いだ――というか後釜に座ったというか――観が。
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