ぱれっとにおける多彩な立ち絵演出は、デビュー作『はちみつ荘deほっぺにチュウ』(2002年)においてすでにはっきりと見て取れる。その顕著な特徴として、立ち絵のサイズ変化、立ち絵ポーズ変化の多用、側面立ち絵及び背面立ち絵の使用、の三点が挙げられる。(a)立ち絵のサイズ変化の最も典型的な使用法は、サイズ切り替えによる接近/離脱描写と、その都度の発言者の強調である。複数のサイズの立ち絵素材を使い分ける画面表現は、現在では一般化した技法であるが、この『はちみつ荘』は『腐り姫』(Liar-soft、2002年)と並んでその最も早い時期の試みである。(b)多彩なポーズ変化も、その表現力を強化している。(c)側面立ち絵と背面立ち絵、すなわち横向き姿と後ろ姿の立ち絵。正面立ち絵だけでなく側面立ち絵と背面立ち絵を使用するのは、ぱれっとが先鞭を付けた手法である。それらを組み合わせることによって、キャラクター間の空間的位置関係や視線方向が柔軟に表現される。例えば、正面立ち絵と背面立ち絵を重ねて表示することによって睨み合いの様子を描写し、またあるいは大きいサイズの背面立ち絵と小さいサイズの正面立ち絵を並べて表示することによって肩越しショットを表現している。
これらの手法は第二作『復讐の女神』(2003年)及び第三作『愛cute!キミに恋してる』(2004年)においても活用されている。立ち絵を背面側に切り替えて表情を隠すことによって羞じらいや独白状況を表し、あるいは――現代AVGとしてはきわめて珍しいことに――主人公立ち絵もしばしば画面内に登場させてその都度の状況をいっそうくっきりと描写していく。落胆を示す汗マーク、驚きを示す衝撃マーク、憤激を示す青筋マーク、落ち込みの斜線など、立ち絵に付加される表情マークも多彩である。とりわけ『愛cute!』に登場する小さな妖精「チョコ」には豊富なグラフィックパターンが与えられており、四枚の羽根をアニメーションさせつつ画面内を縦横無尽に飛び回り、挙げ句はメッセージウィンドウに腰掛けすらする。立ち絵以外でも、複数の画像オブジェクトを多重スクロールすることによる擬似的な奥行き表現、ピント変化表現や色調変化表現、音響出力を左右に割り振る空間表現(音響パンニング)など、様々な技巧が凝らされている。『MERI+DIA(マリア・ディアナ)』(2005年)においても、職人芸的なスクリプト演出は維持されている。擬似字幕型レイアウト上での多彩な立ち絵振り付け、アニメーションエフェクト、フォーカス移動表現(つまりピント/ボケ表現)などと並んで、音声表現における拡張――テキスト進行と異なる内容の科白音声を同時並行で進行させる複層進行表現や、通常音声とともに副音声を効果音(SE)扱いで同時出力する多重音声技法などのSE的音声表現――も導入されて、この近未来SF世界シチュエーションの複雑なドラマを形作っている(註8)。
さらに『えむぴぃ』(2007年)も、様々なポージングの立ち絵パターンを大量に投入し、それらをスクリプトレベルで自由自在に配置し変化させていくことによって、5人のメイド研修生たちの賑々しい会話空間を鮮やかに演出している。少なくとも立ち絵スクリプト演出に関して言えば、『えむぴぃ』の表現密度は現在のPCゲームの優れた達成の一つに数えられるであろう。のみならず、この作品に関しては、様々な視覚的演出が奔放に盛り込まれている点も見逃せない。行雲、降雨、雷光、海面の輝き、星の瞬きといった背景アニメーション。擬音文字等の視覚表示。章構成と次回予告演出。TV画面を模したテロップ表示。メッセージウィンドウの狙撃破壊。さらにはメッセージテキストを破砕するというギャグ演出すら敢行されている。それとともに、豊富なSE演出、音声の左右定位、多重音声表現といった各種音響表現もいっそう徹底的に使用されている。また、キャラクタープロフィールや好感度を表示するシステムサポート(つまりシステムによる演出)が設けられているのも、『はちみつ荘』以来の同社の伝統である。AVGとしての総合的な演出水準はすたじお緑茶やPurple softwareにも匹敵するだろう。
同社の『もしも明日が晴れならば』(2006年)では、作品内容に対応して画面演出は比較的穏健であるが、立ち絵アクション(アニメーション)と並んでいくつもの動的エフェクトを盛り込んでおり、背景スクロール、副音声表現、音声パンニング等も行われている。さらに『さくらシュトラッセ』(2008年)にも、これら旧作で試みられた各種技術がフィードバックされているのが見て取れる。ここでは立ち絵変化や各種の記号的エフェクトが、作品のムードに即しつつ煩瑣にならない程度で柔軟に使用されている。
註8) 多重音声技法を含め、音声演出の開拓に関しては、ぱれっとと並んでTerraLunarとLiar-softの試みも注目されるべきである。前者のブランドでは『しすたぁエンジェル』(2002年)と『らくえん』(2004年)が、後者についてはとりわけ『Forest』(2004年)と『SEVEN-BRIDGE』(2005年)のそれが名高い。なお、音声演出に関しては4章4節2款であらためて検討する。 |
【追記コメント】
『復讐の女神』 (c)2003 ぱれっと
(上図:)秘密を隠している女性から情報を引き出すための手立てを練る男性主人公。ぱれっと作品では、表現上の要請に応じて主人公の姿を画面内に登場させることも稀ではない。
主人公の内面に物語の焦点が当てられているため、画面奥の女性がオフフォーカスになっている――ピントが合っておらずぼやけている――点にも注目。
※テキストボックスは一時消去してある。
(下図:)ベッドに横たわる女性に視線を向けて、舌戦を挑んでいく瞬間。ここでは、立ち絵(側面立ち絵)によって表示される主人公と、イベントCG(非汎用的な全画面画像)として表示されるそれ以外の部分とが組み合わされて、この緊張感に満ちた瞬間の映像を作り上げている。
『MERI+DIA』 (c)2005 ぱれっと
画面端「見切れ」演出の一例。AVGのゲーム画面は、通常は「そのようなものが存在することになっている」ことの抽象的記号的な表示――いわば書き割り――であるが、挑戦的な演出の中で背景画像の具体的形状やウィンドウ外枠の存在がこのように活用される場合もある。
『もしも明日が晴れならば』 (c)2006 ぱれっと
(上図:)幽体キャラクターは半透明で表示されるというのが、ほぼ一般的に普及したAVGの文法的共通理解である。
(下図:)正面視界に捉えられない存在は、このようにフキダシや小窓によって表示されることがある。漫画やアニメから継受された作法だと考えられるが、現在ではAVGにおいてもごく普通のテクニックとして利用されている。
参考リンク:ブログ「udkの雑記帳」の記事「ノベルゲーにおける小さい生き物の立ち絵演出 」。小動物キャラクターの画面表示に着目して、視界外表現のいくつかの実例を紹介している。
『えむぴぃ』 (c)2007 ぱれっと
(図1:)背面立ち絵を活用して、中央の小柄な人物が前後から挟み込むようにして詰め寄られている様子が表されている。
複数人の同時発話に際して、ここではテキストボックスを複数表示することはせず、一つのテキストボックスの中に複数人の台詞を併記している。スペースと改行を利用して、それぞれの立ち絵の位置に合わせた配置で台詞を表示させるという、手作業的技巧である。
(図2:)側面立ち絵の一例。立ち絵の表示位置を調整して、それぞれの視線が画面上できちんと意味を成すように配置されている。この作品の立ち絵には、側面や背面のポーズ変化だけでなく、視線変化差分も多数含まれている。
また、この場面でも、テキストボックス内のテキスト表示位置が立ち絵の表示位置と対応するようにスクリプトが組まれている。
(図3~4:)背面立ち絵とサイズ変化(距離感表現)を組み合わせることによって、リバースショット(つまりカメラアングルを切り返して逆方向から撮り直す技法)が実現できる。ただし、もしも写実的正確性を追求するならば逆側を映した背景画像をも別途用意しなければならなくなるが、ここでは背景部分を雷光VFXのみで済ませることによってその問題を回避している。
緑色ツインテールのキャラクターが「雪音」、そして眼鏡を着用しているキャラクターが「美優」である。一つ一つの台詞がクリックによって区切られるAVG作品において、このように複数の登場人物が向き合っているシーンでは、「正面(画面のこちら側)を向いている人物が台詞を発する」というのが自然な見せ方になるようである。
(図5:)さらに、既成の立ち絵素材を加工してこのように擬似的な一枚絵を作り出すこともできる。おそらくスクリプト操作による組み合わせではなく、あらかじめこの画像素材が作成されているものと推測される(――喩えるならプリレンダリング的アプローチが、ピンポイントで混用されている)。こうした手法によって、素材制作コストを下げつつ視覚表現密度が高められる(cf. 4章1節1款γの註23)。
しかし、もっとまともな台詞のSSは無かったのか……。
(図6:)主人公が不謹慎な発言をしたため、画面左の女性の早撃ちによってテキストボックスが撃ち抜かれている(!)。本作は、AVGの様々な表現文法を利用しつつ同時にそれらをひたすらスラップスティックコメディのためにあらゆる仕方で奉仕させ続け、その不真面目な姿勢が――あるいは徹底的な修辞探求的姿勢が――最後まで貫かれる稀有な作品である。
(図7:)画面中央の女性が品位に欠ける発言をしたため、画面左の女性がそのテキストを肘鉄でへし折った(!)瞬間。テキスト文字列が一旦表示されたのち折り取られて落下していくまでのプロセスがアニメーションする。
『ましろ色シンフォニー』 (c)2009 ぱれっと
(図1:)立ち絵演出の一例。神出鬼没のメイドキャラクターがいきなり斜め下から飛び出してくる。この出現の仕方は、コミカルなアニメ的誇張表現をAVGの枠内で再現したものといえ、場合によっては画面上部から飛び出してくることすらある。
(図2~3:)背景部分への緻密な立ち絵嵌め込みが実行されている一シーン。机とモブの間にこのキャラクター(アンジェ)の立ち絵がきちんと入り込んでいるのが見て取れる。第1章で紹介したすたじお緑茶のそれと同じ技法である。
背面立ち絵を含む立ち絵ポージング差分のヴァリエーションの豊富さと、表示サイズ及び表示位置の慎重なスクリプトワークのおかげで、既存素材のみでもこのように十分な表現力が確保されている。
既存素材の組み合わせによる経済的な表現手法であるのみならず、このようにAVGの通常画面にロングショットを導入する手段になるという点にも、こうした画像嵌め込みアプローチのメリットがある。
(図4:)主人公の居合わせていない他者視点のシーンでは、インターフェイス(具体的にはテキストボックスの色調)が変化し、そのことによってこれが通常とは性質の異なるシーンであることをプレイヤーに知らせている。
この図4は、愛理が散歩しながら桜乃と携帯電話で喋っているシーン。愛理の表情は画面に入れず、川沿いを行く彼女の歩みだけをゆるやかなアニメーションで映している、印象的なショットである。
(図5:)こちらも、通常とは異なる特殊な場面を扱う際に、それを示すための文法的な視覚的処理が施されている。主人公の半-回想的モノローグのシークエンスでは、画面上下に黒帯が掛けられることによって、主人公の注意が外界に向けられていないことを表している。
ここでも、立ち絵の半透明表示は「非実在」を示すコードである。ただし、もちろん幽体ではなく、この場に居合わせていない想像上の像だという意味で。
リンク:ぱれっと公式サイトの『もしも明日が晴れならば』システム紹介ページ(エフェクトのサンプルを閲覧することができる)。Liar-soft公式サイトの『腐り姫』ゲーム概要紹介ページ(背景サンプルなどを閲覧することができる)。
立ち絵のサイズ変化による距離感表現は、上記のとおり遅くとも2002年には行われていたことが確認できるが、それよりさらに遡れるのかどうかは未確認。『雫』『痕』が1996年発売なので、そこから起算してみても2002年までの6年の間にすでにどこかの作品が実行していた可能性は高いが。
→2001年の『君が望む永遠』にも拡大表示による距離感表現が存在することを確認。
→さらに、wkpdの記述を信用するなら、立ち絵の拡大縮小表現や背面立ち絵使用に関しては『忘れな草』(project-μ、2000年)の方が先駆的だったらしい。今から入手&プレイできるだろうか?
音声とテキストの二重進行というと、Liar-softのそれが有名だろうが、時期的にはTerralunarの方が早いと思われる。2002年の『しすたぁエンジェル』の時点ですでに多重進行が様々なかたちで意識的に用いられているのを看て取る/聴き取ることができる。
とはいえ、『しすたぁエンジェル』は――べっ、べつにっ――個人的にはそれほど好きな作品ではない。冒頭のトリオ進行(台詞音声/BGV/テキストの三重進行)から始まって、次回予告ムービー、意外性のある一枚絵構図、一枚絵への動的変化の導入、テロップ型テキスト表示や漫画フキダシ風ナレーションテキスト、等々、良いところも多いのだけど。主人公がペンダントをプレゼントしたらそれ以降ずっとヒロインの立ち絵が律儀にそのペンダントを着けている差分になっているとか、細やかな――無言の――演出も心地良かったのだけど。主にテキスト面で、「頭で作った笑い」という印象が強かったせいかもしれない。
『恋神』(PULLTOP、2010年)にも、興味深い実例がある。キャラクターの内心が頭上のタグに現れて、他人がそれを読めるようになってしまうという場面があり、そこでは「通常の台詞テキスト(+音声)」と「内心のテキスト(+音声)」とが二重進行することになる。作中では「タグ事件」「オモイカネ騒動」などと呼ばれるイベントである。
MM-oxは「野良メイド」のはしり(プロトタイプ)かも。
そういえば『はるかぜどりに、とまりぎを。 2nd Story』(2010年)のあるシーンでは、特別に主人公にも音声が付与されていて、1クリックごとに主人公とヒロインが交互に台詞を発するその流れがとても良かった憶えがある。一種の多重音声表現になっていて(※これを多重音声表現として言及するのには理由がある)、しかもそれがPCゲーム特有の形式的リズムの中で流れていくその感覚が印象深かった。ああいう特別さの演出も好き。
ぱれっとについては、上記本文では側面/背面立ち絵による空間表現を強調したけど、同社の立ち絵スクリプトはそういう抽象的な位置関係表現だけにとどまらない。立ち絵どうしを具体的に絡み合わせる立ち絵操作も、初期(『愛cute!』以降)から実行している。例えば、立ち絵どうしを重ねて(一方が他方に被せるように)表示することによって「抱きつき」を描写したり、立ち絵の視線位置を正確に合わせることによって「見つめ合い」の様子を表現したりするもの。これらはかなり珍しい手法。さらに『えむぴぃ』及び『ましろ色シンフォニー』(2009年)では、立ち絵を背景画像の中に嵌め込むアプローチにも着手していた。これは、既存立ち絵素材を加工(適切なサイズに縮小)して背景画像のしかるべき――写実志向の画面構築を実現するような――位置に嵌め込むという意味で、緑茶的スクリプトワークと同種の流儀だと言える(――他方で『腐り姫』や『eden*』のように、背景画像に合わせてその都度新規の立ち絵を描き込み嵌め込んでいく方法もある。ぱれっと/緑茶型スクリプトワークの想定されるメリットは、通常進行全体の中で同一の立ち絵素材が維持されることによる一貫性、そしてそれとともにメインの立ち絵素材のグラフィック品質が維持されるという点。他方でLiar-soft/minori型描き起こしアプローチは、背景画像とのすり合わせがいっそう緻密かつ柔軟に行われうるというメリットが考えられる一方、制作コストの増大または個別素材の品質低下という負担を伴うことになる。この負担に対して、このアプローチを徹底した『腐り姫』では、背景画像構図のロングショット化[および背景自体のビスタサイズ表示:それゆえ画面上下には黒帯が掛かる]と合わせて描き込み立ち絵を小さいサイズで済ませ、かつモノクロ表示にするという奇手によって解決した。『eden*』では、新規描き起こしは『腐り姫』ほど全面的ではなく、背景マッチングは限られた場面でのみ実行されている。minoriのことだから、その気になればいくらでもコストを掛けるだろうが。その比較的初期の作品『はるのあしおと』でも、背景画像[?]の中に小さく人物を描き込んでみせる画面作りは行われていて、それゆえ「立ち絵の描き込まれた背景画像」なのか「一枚絵」なのかが判然としないショットも多々現れていた。ただし、そうした技法の最初期の実例は、それらよりさらに早く、『痕』においてすでに実行されていたものであるが。その序盤の食卓シーンでは、卓袱台背景画像と完全に位置を合わせるかたちで、この場面でしか使用されない着座立ち絵が表示された。このシーンについては別の箇所でも言及したが、これが一枚絵の差分表現ではなくここでいう立ち絵嵌め込み演出に属するものであることは、その色彩から明確に判断される。というのは、この『痕』の最初のヴァージョンでは、通常シーン[と現代の我々が呼ぶであろうところのもの]においては背景画像はモノクロであって人物立ち絵のみがカラー[とはいえ16色だが]で表示され、他方で一枚絵[全画面表示される特別な画像]のシーンはその画像全体がカラー表示であるという構成になっており、そして上記の食卓シーンでは人物画像のみがカラーであって背景部分はモノクロのままだからである。ただし、再度議論を転覆するが、この1996年時点においては現在我々が知るような「立ち絵+背景」規格が確立されていたわけではなく[より正確には、このLeaf Visual Novel seriesが確立していったと述べるべきかと思われる]、それゆえここで「立ち絵+背景」規格を所与とした評価軸から論じるのはそもそも失当であろう)。
『MERI+DIA』は好き。コンピュータAVGで三回パン演出を見られる機会はなかなか無いし、軌道エレベータのコンテナを写した一枚絵なんてのも滅多にお目にかかれない。みるヴォイスの腹黒い貴婦人さんもたいへん魅力的だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿