(β)音声(ヴォイス)に関して。まず音声素材それ自体について、各種オーディオエフェクト付与やパンニング処理などの様々な加工が施され得る。
AVGに特有の表現技法としては、テキストと音声の二重性(文字表現と聴覚表現のマルチメディア出力)を利用するものがある。
最も典型的な使用法は、テキストの文面と異なる台詞を音声で読み上げることによって、ルビ振りに相当する多層的表現を行うものである。例えばテキストで「M1911A1」と表示される箇所を音声では「ガバメント」と読み上げし、「門前清一色」と書いて「メンチン」と読ませる。長台詞の文面を「(以下略)」と省略し、あるいは小声の台詞をテキスト上で「……」と書くのはその応用である(cf. 4章2節3款の註19)。この技法を包括的なかたちで使用した例が、『永遠のアセリア』(xuse、2003年)における他言語表現である。ここでは、音声は異世界の独自言語そのままに発声されるが、テキストは日本語で、いわば映画字幕のような意味合いでプレイヤーへ通訳して表示される。
またあるいは、主人公が注意を向けていない他人の台詞を、音声のみで出力するという形態もある。例えば、見知らぬ人物が主人公に話しかける場合がこれに当たる。『君が望む永遠』にすでにこの用法は見られ、物思いに耽る主人公の内心のテキスト出力と主人公に話しかける他の登場人物の言葉(「こーんにちはー」)の音声出力とが並行進行する。ここでは、正式な台詞はテキストボックスに表示されるものだ(あるいはテキストボックスに表示されるものこそが正式なテキストだ)という文法的共通理解が前提とされ、そのうえでテキストボックスに表示されない台詞は逸脱的な発話行為である――そして主人公にとっても予想外の言葉である――ことを意味している。
さらに、テキストと音声がそれぞれまったく別の台詞を出力していくLiar-softのポリフォニックな複層進行はこの発想を先鋭化させたものである。『SEVEN-BRIDGE』は、テキスト上ではその人物が実際に発話した内容を表示し、それと同時に音声出力ではその人物の内心の声を語らせ、双方が同時並行的に進行していく(――ここで内心の声が実際に出力され得るのは、主人公が実際に他人の心の声を聴き取る能力を持っているからである)。同様に、『Forest』ではナレーションテキストと台詞音声とが、時には繊細に響き合い時にはただ単に並行しつつ物語を進めていく。
地の文のみをテキスト表示して音声付き台詞ではテキストを表示しないといういわゆるドラマティックモードも、文字表現と音声表現の双方を複合的に使用するAVGであればこそ実行可能な形式である。
他方で音声出力そのものを機能的に複数化するアプローチとしては、SE出力による音声表現がある。代表的なのはバックグラウンド音声(BGV)であり、主にアダルトシーンにおける嬌声強化やガヤ音声などの環境音的音声表現に用いられている。これをさらに拡大すれば、作中で流れるラジオ放送――数分間におよぶ長大なトーク音声――を実際にそのまま出力する『あるぺじお』(SIESTA、2007年)のような形態を取ることもできる。これらはしばしば、テキスト進行とは異なる層で、かつテキスト進行とは異なる時間継起をもって進行していく点に特徴がある。テキストに反映しきれないキャラクターたちの脇声台詞をSE扱いで出力していくぱれっとの豊かな多重音声技法もこれに類するものである(cf. 3章1節2款)。『FESTA!!』や『満淫電車2』のように、メッセージウィンドウを複数化することによって複数人の同時発話を音声とテキストの双方で忠実に表現する手法もある(cf. 3章2節6款)。さらに、上記の技法を組み合わせて適用すれば、『しすたぁエンジェル』のようにテキスト/音声/BGVの三重(あるいはそれ以上)の同時並行進行すら実行できる。
2008年現在においても、大半の作品は主人公の台詞に音声を与えていない(――おそらくコストの問題や制作進行上の事情があるのだろう)。しかし、主人公の台詞にも音声を付与し、さらに主人公一人称視点のモノローグをも音声出力する(あるいは地の文をぎりぎりまで排除して書く)ならば、密度感と迫真性に富んだシアトリカルな表現空間を創出することができる。実例として、『ときどきパクッちゃお!』(XANADU、2004年)、『ひめしょ!』がある。
このほか、音声単体での演出としては、システムヴォイスやタイトルコールでの(しばしば遊戯的な)趣向が凝らされる場合もある(――ただし、この点に関しては、SLG作品の方がいっそう多様かつ柔軟な音声利用を行っている。例えばソフトハウスキャラ作品)。そもそもAVGの音声制作は、舞台芸術や実写映像作品の場合と比べると、音声のみのスタジオ収録であるという事情があり、またアニメ作品と比べると、基本的に個別収録であるという事情がある。さらに、制作順序としてはアフレコ的性格だけでなくプレスコ的側面をも持ち得る。そして、これらの条件を利用して、様々な音響演出を行う技術的余地が生まれている(――例えば兼ね役演技や多重発声表現が、比較的容易に実行できる)。
時として、個々の声優の属人的事実への注目を前提とする表現も存在する。典型的なのは、その声優が過去に演じた別のキャラクターの台詞を引き合いに出すパロディ台詞である。ここでは、その役者の出演歴に関する知識が要求される。
【追記コメント】
リンク:ブログ「好き好きほにゃらら超愛してる」の記事「テキストと音声による意味の二重化と、二重化による三重化(俺つばネタバレ)」。『俺たちに翼はない』(Navel、2009年)の刺激的な実例をとりあげて、テキストと音声のギャップ演出について詳しい紹介をおこなっている。
テキストと音声の関係について大きく整理してみると、「テキストと音声が一致するか否か」、「テキストand/or音声は一クリックに一つだけ出力されるかそれとも複数同時出力されうるか」、「一クリック単位の中でのみ出力されるかそれともクリック単位を超える(またぐ)か」の三つの次元があるということになる(――と考えてみたが、これはあまり上手い分類ではない)。
1. テキストと音声が一致。それぞれクリック単位内で一つまで出力。
2. テキストと音声が一致。それぞれ同時に一つまで出力され、クリックをまたぐ場合がある。
3. テキストと音声が一致。それぞれ一クリックに複数出力されるが、クリック単位は超えない。
4. テキストと音声が一致。それぞれ複数のものがクリックをまたいで自由に出力される。
5. テキストと音声が不一致。それぞれクリック単位内で一つまで出力。
6. テキストと音声が不一致。それぞれ同時に一つまで出力され、クリックをまたぐ場合がある。
7. テキストと音声が不一致。それぞれ一クリックに複数出力されるが、クリック単位は超えない。
8. テキストと音声が不一致。それぞれ複数のものがクリックをまたいで自由に出力される。
1.について。テキスト(文字表示)と音声(音響出力)との間に衝突や不一致は生じない。
1.1. どちらか一方のみが出力される。
1.1.1. テキストのみが出力される:通常の地の文。※主人公音声が付く場合も(『ひめしょ!』)。
1.1.2. 音声のみが出力される:いわゆる「ドラマティックモード」。F&C作品など。
話数制シナリオの「前回のあらすじ」部分も、しばしば音声のみによって進行する。
SLG作品のSE音声表現も、多くの場合テキスト(文字表示)を伴わない。
1.2. テキスト1つと音声1つがクリック単位で同時出力される。通常の台詞部分。
2.について。テキストと音声の間に衝突は生じないが、クリック単位を超える出力がある。
2.1. テキスト:あえて言うなら、強制進行やオートモードはクリック単位を超えると見ることは可能。
2.2. 音声:あえて言うなら、強制進行のヴォーカル曲シーン(歌詞のテキストは無いのが通例)。
3.について。相互に衝突が生じないかたちで、複数のテキスト乃至音声が同時出力される。
厳格に言うなら、要素が複数存在する時点で不一致は必然的に存在することになるが。
3.1. 一つの「テキスト+音声」セットと、追加的なテキスト:擬音語等の画像表示。発話者欄演出。
3.2. 一つの「テキスト+音声」セットと、追加的な音声:『MERI+DIA』、『えむぴぃ』のSE副音声。
3.3. 複数の「テキスト+音声」セットの同時出力:『Festa!!』、緑茶作品など。
4. テキストと音声の一致は維持されるが、クリック単位を超えて自由に複数出力されていく。
実際にはほとんど考えられないパターン。多人数の発言が雑多に行き交う状況であれば、そのような表現が生じることになるだろうか。
5. クリック進行に即して規則的に出力されるが、テキストと音声の内容が相互に異なる。
5.1. 双方の間に一応の関係がある、すなわち一方の内容が他方の内容を補足している場合。
例(短い場合):ルビ振り表現。
例(任意の長さ):舌足らず台詞、食事中あるいは何かを咥えながらの台詞。
例(長大な例):『アセリア』の聖ヨト語。他言語表現の典型例。
例(長大な例):『夢幻廻廊2』の「かおるこさま語」。意味と言葉の乖離を示している。
例(長大な例):『オルタ』冒頭。外国人兵士の英語台詞に対する吹き替え字幕的テキスト。
5.2. 関係が無い、すなわち相互独立の内容を言い表している場合。
例:主人公のモノローグ(テキスト)と第三者からの唐突な喋りかけ(音声):『君望』。
例:主人公モノローグ(テキスト)と、その傍らで騒ぐキャラクター(音声):『奥巫女R』。
例:台詞(テキスト)と発話者のモノローグ(音声)の同時進行:『SEVEN-BRIDGE』。
例:様々な内容が、テキストまたは音声でその都度自由に出力される:『Forest』。
6. テキストと音声の間に不一致があり、しかもクリック単位を超えて出力されうる場合。
これも稀な形態と思われる。仮設事例としては、アダルトシーンなどでテキスト上では地の文のみを表示しつつそれと並行して台詞部分をBGV出力するなら、これに該当することになる。あるいは、第三者の演説(継続的音声出力)に立ち会った主人公のモノローグ(クリック進行のテキスト)といった体裁もありうる。
『SWAN SONG』には、主人公のモノローグ(クリック進行)と、その傍らで歌い続けるヒロインの音声とが並行進行する箇所があった。クリックをまたぐ雑踏会話SEも同様の形態を採る。あるいは、背後で放送演説音声を流しながら眼前の状況が進行する場面(例:『オルタ』)もこれに含まれる。さらに特殊な場合として、ヴォーカルBGMが使用されている場面も挙げられる。
7. 複数のテキスト乃至音声が、内容不一致のまま出力される。ただしクリック単位は守られる。
該当する実例を知らない。しかし、上記3.1.のようなSE副音声出力は、ここに当てはめて捉えることもできるだろう。
8. 複数のテキスト乃至音声が、内容不一致のまま、クリック単位をも超えて、出力される。
きわめて稀な例だが、『しすたぁエンジェル』冒頭部分のようなテキスト/音声/BGVの三重進行はこれに該当する。オート進行のテキスト(モノローグ)と、それに沿った音声(台詞)、そして流れ続けているBGV(苦しげな吐息音声)。上記3.の諸事例をこちらに分類して捉えることもできる。例えば『MERI+DIA』では、クリック進行する「テキスト+音声」と並行して、背景画像上でクリック進行から独立して別のテキスト(年表文字列やグラフ表示など)が流れていく箇所がある。
なお、ここで『SEVEN-BRIDGE』におけるテキスト/音声の配分が、通常想定されるであろう「テキスト=モノローグ / 音声=実際の発話」の機能的配分とは逆転している(ように見える)ことに気づくだろう。この表見的転倒には、おそらく熟慮された作品設計上の理由がある。一つには、テキストこそは正式な文面であって音声は予期せぬ不正規のテキストであるという見方に即しているという点。これは上記『君望』の用法とも合致する。第二に、この作品で主人公は否応なく強制的に他社の内心の声を聞かされてしまっているのだという設定上の理由。強圧的に立ち現れてくる「心の声」を表すのに、文字で表現するよりも実際にプレイヤーの鼓膜を震わせる音声の手触りの方がふさわしい。
しかしながら――再び議論が転倒されるように見えるだろうが――、一般的なテキストと音声の不一致表現(上記5.1.の諸事例)においては、作中で実際に発話された言葉が「音声」によって出力され、それに際して内心で意識されていた意味の部分は「テキスト」によってプレイヤーに伝達されるのが通例である。音声表現の実在性と文字表現の観念性とをこのように配分することは、プレイヤーの認識枠組に沿う自然なやり方だろう。
また、『Forest』は実際にはクリック進行を"半ば"超えている。というのは、その都度のクリック操作によって新たなテキストと音声が瞬時に出力開始されるのではなく、しばしば――とりわけその朗誦的シーンにおいては非常にしばしば――その一方が遅延され、それによって一つのクリック単位が内部で分割されて、テキストと音声との間の呼び交わしが際立たせられ、またあるいはテキストによって表現されている要素と音声によって表現されている要素とが相互に次元を異にするものであることがその時間的ギャップをつうじて強調されている。このことから、『Forest』の複層表現は、時間的制御されたドラマティックモードとの組み合わせと見ることもできるだろう。
『Forest』に類似した発想は、『百鬼』(elf、2002年)の「ラピッドファイアダイアログ」にも見出される(→elf公式サイトの『百鬼』該当システム紹介ページ)。
こうした意図的な重唱表現は、AVGに特徴的な、非常にユニークなものだと思うので、ちょっと細かく書いてみた。ただし、類似のものが他のメディアに存在しないというわけでもない。音響出力を伴うメディアにおいてはこうした多声表現はごく自然に行われうるが、漫画でも例えば「発声した台詞をフキダシ写植文字として書き、内心の声をその脇に手書きで書く」といったかたちで同様の二重台詞が表現されることがある。映像表現においても、例えば「顔は泣いていながら口では喜びの言葉を述べる」、「手話と口頭で異なる内容を示す」といった二重表現――言語と身体言語の二重進行――は上記の諸事例と同じ視座で捉えることができるだろう。
こうした音声表現の多層化は、一つの問題と向き合わざるを得ない。すなわち、そのままではバックログでの音声再リピートが困難になるという点。この点に配慮したブランドもある(例:すたじお緑茶)が、まったく無頓着なブランドもある(例:Liar-soft)。
本文では『君望』に即して挙げたタイプは、理論上はもっと一般化できるアプローチの筈。つまり、非正規発言の表現(予想外の発言、回想時発言、非実在者の発言など)という次元でまとめて思考することができるだろう。例えば『Forest』も。
『タユタマ』にもぱれっとタイプの二重音声演出があるらしいが、未プレイ。
小声台詞の「……」表示は、特に『桜吹雪』の桂木小百合(月姫)を念頭に置いていた。他の作品でも同種の表現は時折見かけるが。
音声の存在がAVG表現の射程を狭める場合が無いわけではない。たしかに音声表現はそれを発言する作中キャラクターに対して明確かつ具体的な印象を付与することができるが、しかしその作用は他方でその人物のイメージをあらかじめ固定化させてしまう(――例えば全身を甲冑で覆った人物の台詞に音声を付けた場合に)。これは、テキストに音声が付与されることのデメリットと言えなくもない。
朗読ものとしては、『メルティ・メルヘン』も。
音声素材それ自体に、さらに加工を施すこともできる。例えばノイズを乗せた通信音声表現、左右パンニング、バイノーラル録音、等々。なかでも『桜花センゴク』(ApRicoT、2010年)は、エコー表現(第三者の台詞を回想するシーンや、内心の声を表すシーンなど)、意図的なデッド録音(かぶりものをしたキャラクターの声が籠もって聞こえる)、通信音声(ノイズが乗っている)など、さまざまな音声加工演出を披露している。
コンフィグによる表示言語選択の実例。『HUSHABY BABY』は通常の日本語と関西弁とでテキストを切り替えられる。1999年のおまけゲームなので音声は無いが。『みずいろ』には、日本語表示と英語表示の間で切り替えられる。『仏蘭西少女』は、一部キャラクターの台詞が日本語と中国語とで切り替えられる(テキストも音声も変化する)。上記本文でも言及した『アセリア』は、異世界の独自言語と日本語の間で切り替えができる。
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