2011年10月1日土曜日

演出論的覚書:Ⅳ章4節5款ζ:虚構性

  (ζ)あるいは逆に、AVGの構造上の制約や技術上の限界に対してフィクション内部から言及するもの。例えば背景素材が作成されなかったため黒一色背景であること、脇役キャラクターに立ち絵素材が無いこと、主人公がプレイヤーによって操作されていることなどを、作中の登場人物みずからが揶揄する。楽屋オチとして敬遠されもするが、PCゲームはその構造上の成り立ちをプレイヤーにも意識させやすいため、他の媒体で行うよりもいっそう効果的にサタイアが作用する(――遊戯的表現を目指す場合にも、ジャンル反省的含意を意図する場合にも)。作中の登場人物がプレイヤーに向かって語りかける場合もあり(有名な例として『臭作』elf、1998年])、またあるいは逆向きの事態が生じる場合もある(例:『生贄の教室』ruf、2003年])。

  同じ事情が、例えば偽エンディングにも当てはまる。『FESTA!!』の冒頭部分、『えむぴぃ』の某ルートなど。SLG作品の非正規エンディングも、これに類する意義を持ちうる(――『鬼畜王ランス』alicesoft、1996年]のいくつかのエンディングや、『ブラウン通り三番目』冒頭の即死選択肢など)。


  【追記コメント】


『奥さまは巫女?R』 (c)2004 pajamas soft

(上図:)作中キャラクターが名前表示欄の存在に言及している一場面。このキャラクターは、自力で名前表示を自分の好む呼称に変更することもでき、その際には変更の効果音まで伴われている。
(下図:)こらちでは、キャラクターがバックログ機能の存在に言及しつつ、自分がこの作品の物語の中の「オープニング」場面にいることをも自覚的に述べている。


  無くもがなの一節。記憶ではたしか偽エンディングについて書きたかったというのが元々の動機だった。

  やや話がずれるが、『夢喰い』(つるみく、2009)に登場する「株式会社スクルズ」は、まさにこのゲームの制作会社の名前であり、また、作中の代表取締役「南野雅之」は、実在のスタッフ「チェック雅」(スクルズ社長)をモデルにしているとのこと。
  cf. [ http://otapol.jp/2014/03/post-657_2.html ]

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