2011年10月1日土曜日

演出論的覚書:Ⅳ章4節4款β:フラグ

  (β)フラグ。プログラム上の変数操作による進行分岐要件は、フラグ(flag)と呼ばれる。

  フラグ設計上の演出は、事実上すべてのブランドのすべての作品において行われていると言える。ゲームの進行制御の仕方は、作品全体の見せ方に深く関わる。例えばルート制御(あるいは分岐管理。つまり「各ルートシナリオをどのような順序で読ませていくか」)は、シナリオ構成上きわめて重要である(註31)。また、「どこでどのような選択肢を提示するか」はもちろんのこと、例えば「特定の選択肢にどれだけの重みを与えるか」、あるいは「特定の選択肢選択を、どの場面へどのように影響させるか」といったような個別的操作も、広義の演出に数えられる。精緻なフラグ体系を伴うAVG作品の実例として、丸谷秀人の手掛けた『女郎蜘蛛』PIL、DOS版:1997年/「真伝」版:2002年)と『SEX FRIEND』は名高い。

  しかし、そうしたフラグ操作は通常はプレイヤーの眼前に明示されないものであるし、さらにチャート型攻略サイトの存在(及び普及)によってプレイヤーはフラグ演出を自ら経験する可能性を失いつつある。制作者サイドにも、選択肢の極小化へと傾斜するブランドが出現しており(とりわけMeteorPULLTOP)、さらには作中に選択肢が一切存在しない作品も存在する(註32『EXTRAVAGANZA』Black Cyc、2006年)や『つくとり』ruf、2007年)のように、シーン中の選択肢操作ではなくシーン間のルートナビ型進行制御(のみ)によってストーリー分岐する作品も存在する(cf. 4章2節1款及びその註18)。『HoneyComing』HOOK、2007年)の「オンリーワンモード」も野心的な試みである。特定のヒロインのオンリーワンモードを決定すると、このモード上では進行分岐がそのヒロインのルートのみに固定されるというものである。分岐進行をプレイヤーが事前に決定できるという点でも興味深い。


註31) AVGにおけるルート分岐形態の一般的分類及びそれぞれの特質の分析について、ウェブサイトアルカナム電脳遊戯研究所の記事複数ルートの組み立て方を参照。

註32) 『最果てのイマ』には選択肢が一切無く、リンクシステムによってストーリーに変化がもたらされる。『Aster』もストーリー選択のみである。低価格作品の中でも、『鬼哭街』nitro+、2002年)や『潮風の消える海に』には選択肢が存在せず、そしてそれゆえストーリー分岐が存在しない。
  初回プレイ時(一周目)には選択肢が存在せず、ある特定のエンディングにしか到達できないようになっている作品もある。『PRINCESS WALTZ』PULLTOP、2006年)、『H2O』、2006年)、『R.U.R.U.R』がこれに該当する(――上記の『Aster』もこれに類する)。このような構成は、シナリオを読ませる順序についての制作者の強い設計意志を反映していると言えるだろう。
  非AVG作品の中にも、AVGパート上の選択肢が一切存在しないものがある。『LEVEL JUSTICE』がその一例であり、冒頭のプロローグイベントをスキップするか否かの選択肢を別とすれば、本編中にAVGパート上の選択肢は一切出現しない。本作のストーリー(イベント)の進行及び分岐のすべては、SLGパート上の諸作用のみに基づいている。拙稿「リメイク」論7章2節3号を参照。『マジカライド』(ActG、ただしミドルプライス)も、AVGパート上の選択肢を持たない。




  【追記コメント】
  低価格作品には、選択肢皆無、分岐皆無の完全な読み物AVGもいくつか存在する。例えばMiel作品(『お別れビデオレター』([2011年]、『肉接待宿に堕ちた温泉旅館』[2011年])は完全一本道AVG。未プレイ(購入済み)の『サナトリウムの雌豚』黒雛、2010年)も完全一本道タイトルであるらしい。

  今に至っても「フラグの動きを実際にプレイヤーに見せる」という方向性の作品がほとんど存在しないのは何故だろうか。ゲームとしての攻略難易度に関する観点だけでなく、例えば好感度変化などはむしろ明示してしまった方がプレイヤーにとっても嬉しいものではなかろうか。実際、例えば『えむぴぃ』では、選択肢直後のヒロインの反応とともに好感度UP/DOWNのサインエフェクト(効果音とともにハートマークがポップしたりする)が現れる。フラグ上の具体的な数値までは示されないが、プレイヤーのその選択が確かに好印象を与えたということを示す演出として一定の有効性はあると思われるのだが。キャラメルBOX作品の中にもこの種のものはあったような……。

  受け手の側についても、攻略サイト頼みが強まっていて自力でフラグを認識する人が少ないという印象がある。「批評」に際しても原始的な文字読みのレベルを脱したものはほとんど見かけない。「この選択肢にはどのような重みがあるのか」「分岐条件がどのように構成されているか」「この選択がどこに影響してくるのか」を踏まえたレベルにまで近代化していってほしいところ。

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