2011年10月2日日曜日

演出論的覚書:Ⅳ章6節:内在的演出

  《第6節:作品内容にとって内在的な演出》

  これらの表現技法の中には、場面ごとのムードを盛り立てるための装飾的な演出強化にとどまっているものもあるだろう。しかし他方で、そうした視覚表現や聴覚表現の精緻化がAVG作品にとって特別に内在的な重要性を持つ場合もある。その優れた例が、――年齢制限付きジャンルではないが――『そう、あたしたちはこんなにも理不尽な世界に生きているのだらよ』シリーズに代表される自転車創業の推理(謎解き)アドヴェンチャーに見出される。ここでは、時には背景画面の中からなんかのヒントを発見し、また時には画面に表示された状況とテキストの示唆とを読み合わせ、あるいは動的演出の中に重要な変化を発見し、または音響表現を手掛かりにして、プレイヤー自身が試行錯誤しつつ謎を解き明かしていく過程そのものが、ゲームの醍醐味となっている。「アドヴェンチャーゲーム」の古典的形態に棹さすものであるが、その試みは今なお新鮮さを失っていない(註42)


註42) 家庭用ゲーム機の分野における推理AVGの(何度目かの)流行はすでにピークを越えたかにみえるが、PCゲーム業界の側でそれに反応する動きは、少なくとも直接的なかたちでは、ほとんど現れなかった。むしろ精神的な意味でそれに呼応したのは、ゲーム性を伴わない純粋な読み物AVGの枠内で形成された、いわゆる「伏線」系の作品群であっただろう。ただし、それらの作品においては、プレイヤーによる能動的な「推理」は求められておらず、もっぱら事後的な「理解」のみが期待されている。
  システマティックな推理パート上の表現機能(あるいはインターフェイス)を伴ってプレイヤーの能動的な謎解きを求めるAVG作品は、今世紀のPCゲームにおいてはごく一部のブランドが制作しているのみである。すなわち、AbelSoftware菅野ひろゆきが手掛ける)、ぱれっと『復讐の女神』『MERI+DIA』の推理的選択肢)、Innocent Grey杉菜水姫が総監督を務める一連の「ミステリィ」作品)、そしてelf『野々村病院の人々』[1996年]、『新・御神楽少女探偵団』[2003年]など)である。『復讐の女神』は伝統的な推理アドヴェンチャーのゲームシステムに倣っており、ストーリー進行に応じて「捜査パート」「推理パート」「尋問パート」が設けられる。そしてとりわけ『クロウカシス』は、場所移動(時間経過あり)、会話選択(聞き込み)、室内探索(現場検証)そして犯人推理に至る、古典的な包括的推理AVGのシステムを再現してみせた。このほか、『FOLKLORE JAM』にも独自の探索システム(「SEARCHパート」及び「EXPLOREパート」)があり、また、音響表現を伴ったユニークなクイズ的演出として『ぶらばん!』の「演奏指導モード」がある。


  しかしながら、演出の作品内在性は、もちろんけっしてミステリ作品のみの特権ではない。実際にも、本稿がとりあげてきた様々な演出は、AVGに持ち込まれた単なる物珍しい小道具に終わるものではなく、すでにAVG表現のノーマルな一部分となり、そしてAVG一般の重要な構成要素になっている。そもそもAVGそれ自体も、上記のようなプレイヤーの能動的介入の契機またはなんらかのインターフェイスシステムの存在といった「ゲーム性」要請に拘束され(それによって限定され)ねばならないものではない。自由で多様な遊戯(game)的表現システムとしての「アドヴェンチャーゲーム」を、我々が手放す必要はまったく無い。我々は、その都度のスタッフによって設計され制作されそして作品の中に生起する色と音とテキストとインターフェイスとそれらの絡まり合いの、作品毎にそれぞれ特有の手触りをいまや自由に享受することができる。



  【追記コメント】
  ここで書くのはあまり良いタイミングではなかったかも。推理ものを特別に称揚するつもりは無いので。私が重視しているのはあくまでも後段部分。

0 件のコメント:

コメントを投稿