2012年8月15日水曜日

PCゲームにおける非-人間型主人公についての覚書

  PCゲームにおける非-人間型主人公の造形及び描写についての簡素な覚書。


  AVGパート(読み物部分)以外に特有のシステマティックに展開されるパート(いわゆる「SLGパート」「ゲームパート」)を含み、そしてそれが作品全体の中で一定以上の大きなウェイトを持っているタイプのPCゲーム作品では、主人公造形に関しても特有の柔軟さを行使することができるようである。主人公が人間(型の生命体)ではない作品は、純AVG作品にも『Hello, world.』(nitro+、2002年)のような例があるが、SLG作品にはさらに多くの実例がある。

  育成SLG『メタモルファンタジー』(Escu:de、2001年)では、主人公「ハタヤマ」(※名前変更可)はリスのようなぬいぐるみであるが、この奇抜な設定は非常に複雑な事情の下に可能ならしめられている。1)主人公の性能を大きく変動させる育成SLG作品であるため、主人公のアイデンティティ(の特殊性)が物語の全体的形姿及び具体的進行を大きく左右してしまうことが無いものとされる。2)戦闘パートでヒロインに勝利すると、主人公は様々な姿に変身してヒロインを蹂躙することになる(――この点では純AVG作品の『へんし~ん!』シリーズ[May-Be Soft、2004年~]と相通じる)。つまり、主人公の身体的アイデンティティは固定的なものではないことがあらかじめ織り込まれている。また、このようなゲーム目的からして、本作のプレイヤーの興味は実質的にヒロインの側に集中する。主人公とヒロインとの間の相互関係が重要になりがちなAVGとの相違点でもある。3)AVGパートとSLGパート(昼の育成パートと夜の戦闘パート)の双方がバランス良く釣り合いをとっている。純AVG作品であれば主人公造形の奇抜さが前景化し過ぎたであろうが、本作の構成がそれを防いでいる。また、SLG+AVGの複合性とSLG作品特有の抽象性は、AVGパートの個々のシーンの描写のありようにも影響していると思われる。とりわけ、過激で非現実的なギャグの導入可能性という観点で(――本作では、クラスメートたちも人間的な姿ではなく、たとえば「堀田君」は机の上に転がっている小さな手縫い人形[つまり背景画像上に気まぐれに描かれた物体の一つ]であって、その喋りもせず動きもしない存在は本当に人格を持った存在であるのかどうかすら疑わしい。また、ハタヤマが人間ではなくぬいぐるみであることを両親から嘆かれるという場面も、いわゆるシュールなギャグとして不気味さのままに処理されている)。

  ACTGの『マジカライド』(すたじお緑茶、2008年)では、男性主人公は敵対者の魔法によってぬいぐるみに変化させられている(――作中ではヒロインから「ラビトン」と呼ばれる)。ただし、物語進行上はこのラビトンが主人公でありそして形式上も語り手の地位に置かれているものの、その中での行為主体性の焦点はむしろメインヒロイン「如月巴弥」の側にある。ゲームパート上でプレイヤーが操作するのは巴弥であり、ラビトンはゲームパート進行上の中立的なガイド役(あるいはゲーム世界と巴弥とプレイヤーの三者を結びつける媒介者)の立場へと退いている。AVGパートにおいても、巴弥は決定的に重要な存在であり、彼女の魔法少女としてのアイデンティティそれ自体が深く問われる脚本となっている。こうした点から、様々なシステムの複合体として現れるゲーム作品(非AVG作品)においては、そもそも「主人公」概念それ自体が特殊なものになる――とりわけ、もっぱら受動的に享受される通常の創作物の場合とは異なって、しばしば多面的、多次元的、複数的なものになり得る――という点をあらためて指摘することができるだろう。これと同様の「物語牽引主体(AVGパート上の非-人間型主人公)」と「物語遂行主体(ゲームパート上の操作キャラクターとしてのヒロイン)」との組織立った分割制御は、ACTG『巫女さんファイター涼子ちゃん』(すたじお緑茶、2006年)や、STG『あおぞらマジカ!!』(studio ego!、2006年)の中にも見出される。男性主人公が人間のままである『とびでばいん』(abogado powers、2001年)においても、事情は似通っている。

  ゲームパートの成り立ちや目標設定に関わる事情から、特有の主人公造形が組み込まれる場合もある。例えば『超昂天使エスカレイヤー』(alicesoft、2002年)では、実質的な主人公と見做される女性キャラクター「高円寺沙由香」は、アンドロイドの身体に本人の意識のみを移植されているが、これは男性主人公との間の性的行為によってエネルギーを獲得するバイオボディであるという設定を通じてゲームの基本枠組を基礎づけている。他方で『紅神楽』(でぼの巣製作所、2012年)では、男性主人公「石動大」は塗り壁の妖怪であり、物語開始時点ではヒロインによってラグビーボール大の石の中に封じられた状態で登場する。物語進行とともに彼は封印解除され、さらにSLGパートでは人間形態と妖怪形態との間で変身することも可能になるが、いずれにせよこのようなキャラクター設定はこの作品のコンセプトそれ自体と密接に結びついて成立している。 

   SLG+AVGの複合形態を採るゲーム作品においては(あるいは、それらにおいてもまた)、「主人公」はプレイヤーが直接的に操作するゲーム内アクターであるとは限らず、あくまでゲームシステムの中に組み込まれた作用体の一つとして位置づけられる。主人公は、ただ単にゲーム進行上の目標を物語の側から指定する役割のみに留まる場合(集団戦闘を表現するSLGの中では、個体生命としての主人公はそれほど重要ではない)もあれば、プレイヤーに代わって作中世界の中に存在し一定の現象を引き起こすためのメカニズムである場合(一般的なSLGでは、主人公はしばしばこの「作中世界への窓」の機能になっている)もあれば、プレイヤーのゲーム遂行に際して助けとなる操作可能なユニットの一種である場合(将棋において「王将」は主人公ではない)もあれば、プレイヤーのゲーム世界内部における体験のほぼ全てを引き受ける存在となる場合(STGでは、「自機」の生存距離がプレイヤーの体験範囲とほぼ同一である) もあり、そしてそれらのいくつかの側面が同時に帰属する場合もある。時として小説(文字媒体)の――およそ言葉にしうるかぎりでの――万能性が称揚されることもあるが、ゲーム作品においても、少なくともそれに匹敵する程度の柔軟性と多様性が存在し、しかもそれらはその都度の採用されているシステムとの関わりの中で捉えられる必要がある。

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