2013/03/31(Sun)
声優諸氏の出演作に自分が初めて出会ったのがどれだったか(つまりどのタイトルだったか)を辿ってみると、なかなか感慨深い。例えば、自分が桜川氏のお声を聴いたのはわりと遅くて、『モノごころ~』(2005)のアコ役が最初だった(――発売時期は『らくえん』『DMF』の方が早いが、プレイ順序はそうではなかったという話)。演技自体も素晴らしく、「くぁwせdrftgyふじこlp」台詞も含めてこの当時すでに怪演声優としての力を開花させておられた。木村氏については、お名前を憶えたのは『MDB』(2004)がきっかけだったが、それ以前に『DOOP AVANCE』『ヤミ帽』『天巫女姫』等々をプレイしていた筈(――この時期はプレイ記録をつけていなかった)。風音氏の出演作は、おそらく『MDB』が最初……意外と早かった。北都氏は……『君望』に出演されていたのだった! 安玖深氏と井村屋氏は2003年、つまり『天いな』。みる氏も『天いな』には参加されていたが、たぶん『花暦』の方を先にプレイしていた筈。ルネ山氏はもちろん『Piaキャロ3』。海原氏は『Princess Holidays』(2002)、金田氏は『白い蛇の夜』(2003)。小倉氏は、2003年からの長い出演歴があったにもかかわらず、私がプレイした中では2010年の『BUNNYBLACK』がおそらく最初。……あ、『女体狂乱』のヒロインも小倉氏だったのか。鈴田氏は……とEGScapeを見てみたら、デビューからの3本(『復讐の女神』『めぐひら』『ANGEL TYPE』)を全部プレイしていたという奇縁に思わずのけぞってしまった。なんにせよ、私のPCゲームのプレイ本数はそれほど多くないので、ソフトハウスキャラ作品を通じて知ったという方は多い。大波氏も青山氏も金松氏も春日氏も神崎氏も渋谷氏も羽高氏も、西田氏も松永氏も、みんなそうだった。
鈴田氏のお声と芝居にはかなり癖があって、そして(申し訳ないけれど)あまり似合っていないと感じたキャストや最善の出来ではないように思われた役もあったけれど、しかし、もはや「良い悪い」ではなく「好き嫌い」でもなく、ただ単にそしてただひたすら「ファン」なのです。
『花咲く都に愛の約束を』。舞台設定は「海上に浮かぶ巨大人工島まるまる1つを敷地とし、世界中から多くの人が訪れる、一大エンタテインメント施設」とのこと……なんだか『七彩かなた』みたいだ。それはともかく、キャスト陣もとても良いし北川氏が脚本に入っておられるので大いに期待。
人工島/メガフロートといったら、他には『SeeIn青』(海洋研究都市)と『うさみみデリバリーズ!!』(浮島都市「新船橋市」)くらいしか思い浮かばなかった。『MERI+DIA』にもそれらしきものはあったか。『トロピカルKISS』もおそらくリゾート人工島(※未プレイ)。『ナツユメナギサ』『アエリアル』『Soranica Ele』もそうらしい。類似のシチュエーション、例えば巨大船舶を舞台とする作品や、魔法で宙に浮いている構造物といったようなものなら他にもある。
2013/03/30(Sat)
あ……「ぐれらじ」を一度も聴いてなかった!
「鉄道むすめ」の公式サイトを見ていて……ああ、確かに『アルゴノーツ』の面影が。
2004年から2005年にかけて、『SOUL LINK』(宇宙ステーションサスペンス)と『アルゴノーツ』(宇宙船漂流記)と『ジオグラマトン』(異星人ロボット戦争もの)が立て続けに発売されて、当時ちょっと混乱していたことを思い出した。しかも後二者は同日発売。
藤森氏の出演作品は何本もプレイしており、純愛系タイトルのメインヒロインからダーク系作品のハードな台詞までそつなく演じられているとは思うが、しかしいまだにこの方の個性がどこにあるのか、役者としてどういう境地を目指しておられるのかが分からない。
今月はここまでで6本クリア。大型タイトルもきちんと消化でき、かなり充実していた。PCゲームは週一本ペースを目処にプレイしていきたい。
2013/03/29(Fri)
【 多層的なテキスト表示 : キャラ名キャプション、擬音表示、エピグラフ、ポップアップ 】
※単独記事化した。→「多層的なテキスト表示についての覚書」
演出論に組み込むべきだろうか。AVGの基本形式に対する拡張の試みとして、紹介する意義は大きいと思うし刺激的な実例も多いが、しかしあまりにも多岐に亘る論点なのできちんと整理しなければ滅茶苦茶なものになってしまいかねない。
自分のtwログを漁る度に、まだ癒えぬ心の傷があちこちシクシクと痛む……(泣かない! 泣いても逃げない! 逃げられない! 申し訳ない! ……ぐすん)。
今回(#345)のSTP……なんかいろいろとすごい。
はぁ……横顔一枚絵かわいい……。
(※横顔シーンでありさえすれば、わりと見境なく食いつきます)
2013/03/28(Thu)
これまではウィンドウモードでプレイするのが常だったが、最近になってフルスクリーンモードも良いものだと思えてきた。1)自分が常用しているモニターのサイズ及び解像度との兼ね合いでウィンドウモードだと画面が物理的に小さくなりすぎるというせいもあるが、それだけではなく、ゲーム画像の側の事情として、2)高解像度化が進んで画像素材それ自体の精度が上がっていること、さらに3)アンチエイリアスによって拡大(FS化)表示に堪えるようになったこともある。ウィンドウモードではフラットにしか見えていなかったものが、大画面で表示すると描線に残された筆触や彩色上の色味変化や細部(例えば瞳)の描き込みがはっきりと見えるようになる。文字通り、見える世界が変わる……ということにようやく気付いた次第。
十年前は画像輪郭のジャギーも解決されていなかったし、個人的にディスプレイとウィンドウ解像度(800*600画面は2004年頃から長く続いていた)の間でもそれなりにマッチングが出来ていたし、とりわけSLG作品ではゲームの脇に別窓(例えばExcel)を開いておいてデータを記入/参照したりしていた。つまり、当時の私にとってはウィンドウモードは、環境と目的に照らして十分に合理性のある選択だった。それに対して、(ここ五年内外で?)このようにFS表示が十分好ましいものとなってきたのは、明確に品質向上と結びついた、歓迎すべき進歩だろう。
丸新氏原画の新作が発表されていたのを知って欣喜雀躍しているところ。一見するとかなり面長の造形に感じられるが実際にはそれほど極端なものではないし、両目の位置の高さ(そしてその下にある頬のおおらかな広がり)を初めとして全体にたいへん愛嬌のある表情を描かれており、また衣服の皺寄り表現も良い感じに描き込まれていてたいへん良かった(――新作のサンプル画像を見ると、この点がさらに強調されているようだ)。イラストレーターとしていろいろな種類の仕事をこなせそうに見えるが、設定された物語上の様々なシチュエーションの中で魅力ある瞬間の構図を切り出すのが上手い方だとお見受けするので、ゲーム原画への適性も高いと思われるし、今後とも原画業で活躍されていくならずっと支持していきたい(――ここで「支持」するというのは、経済的手段で支持を表明すること、つまり新作を買うということ)。
ちなみに同ブランド前作の『すぽコン!』(2012)は、ヒロイン5人、CG103枚、HCG63枚、Hシーン54個という、高い水準でバランスの取れた優等生的配分のAVG作品だった。ディレクターは、かぐや(主にTHB)時代からプログラム/企画を担当されていた佐藤輝政氏。今度の新作もこのくらいのバランスで制作されるのではなかろうか。アダルトシーンの数量を十分に確保しつつ、それ一辺倒ではなく通常シーンにも一枚絵を定期的に投入していくという両面戦略だと、おおむねこのくらい(6対4)の配分が最適であるように思われる。
『すぽコン!』は、ベッドシーンの一枚絵進行(差分変化)がしばしば、ヒロインが無邪気に笑いかける笑顔差分で締め括られていた、その明るさがずいぶん印象的だった。こういうほんの些細な配慮のおかげで、それらの場面の印象も作品全体の印象も大きく変わる。有り体に言えば、幸せを感じられるし、もっと言えば、ずいぶん救われた気になれる。ただし、怖いことを補足しておくと、このタイトルも件の"薄目の呪い"を(わずかながら)発していたけどな! それはともかく、ももぞの氏が学園系(ただし純愛とは言いにくいが)タイトルでメインヒロインを演じておられるという点でも、プレイする価値のある一本だった。
上記の6対4比率(つまりHCG率60%前後)に当てはまるのは、AVG作品では『とらぶる@すぱいらる』『クラインハーゼ』『あい☆きゃん』『ファンタジカル』『Chu×Chuアイドる』など。時代を遡ると『こころナビ』『黒の図書館』『ときどきパクっちゃお!』『MinDeaDBlooD』『鎖』などもHCG率60±3%の範囲内に収まっている。SLG系作品だと『月神楽』『Dancing Crazies』『巣作り』など。ストーリー要素とアダルト要素を程良く両立させるのに適しているというのがお分かりいただけるだろうか。
以下はまったくの余談になるが、私がプレイしてデータを記録している範囲だと、フルプライス作品でのHCG率の分布は、10%台後半から80%台後半まで満遍なく広がっている(――最頻値は26-30%のグループであり、それに次いで31-35%の層、41-45%の層、61-65%の層が多い。中央値は43%)。もちろんこれは、実際のアダルトゲームの分布状況とイコールではなく、あくまで「フルプライス作品の中で、cactus個人が選好してプレイし、かつたまたま記録を取っていたもの」の中での分布に過ぎない――その意味で統計的にはほぼ無意味である――が、アダルトゲームにおけるHCG率配分の多様性を窺わせるには十分だろう。さすがにHCG率10%台前半の作品はきわめて稀だが(※『めぐひら』[13%]と『いつ空』[14%]がツートップ。朱門さん……)。他方でHCG比率の高いタイトルは、『Sacrifice』(86%)、『デモニオン』(86%)、『バルバロイ』(91%)、『彼女×彼女×彼女』(95%)などがあるが、私がプレイしていない範囲でHCG率の極端に高いタイトルは多数存在する(――メーカーの申告に従ってHCG率を記載している雑誌もあり、HCG率90%以上、あるいは極端な場合にはHCG率100%を謳うタイトルもある)。特にミドルプライス以下の作品には、HCG率80%以上のものがかなり多い。
ヒロインズがそれぞれ別の(運動系)部活に所属している作品というと、上記『すぽコン!』と並んで代表的なのは『部活規格』(みさくら原画!)、『撫子乱舞』(新堂ヒロインの横顔立ち絵!)、そして言わずと知れた『Maple Colors』シリーズ(第二作は未プレイ)あたりだろうか。他にもまだありそうだけど、体育系の部活群というとなかなか思い当たらない。ダーク系タイトルにはいくつかありそうなものだけど、残念ながら詳しくない(――ここまで書いたところでEGScapeとgetchuを軽く漁ってみたが、該当しそうなタイトルは見当たらなかった)。個人的に、あまり興味が無いせいもあるが、実際にも少ないのかもしれない。ヒロインたちが複数の部活(運動部)に分散配置されると、背景画像が各部活のフィールドに割かれるし、一般的な立ち絵様式では集団行動が表現しにくいし、ユニフォーム差分もそれぞれ必要になってくるし、ヒロインたちが一箇所に集まる機会も断たれてしまう、といった一連のデメリットが容易に予測されるので、企画のハードルが高いという可能性は考えられる。そして、裏を返せば、上記4本はまさにこの観点で、労力の掛かる野心的な企画に挑戦しているということを意味する。
運動系部活やスポーツ競技のことを考えることに嫌気がさすようになり、あるいはそれどころか忌まわしいものとすら感じられるようになったのは、間違いなく現実の――実在の悪しきスポーツ指導者たちの――せいだよね。
そういえば、私が学んだ高校の教師たちはリベラルな方々で、当時の私がわりと好き放題なことを(思い返せば、非常に失礼なことをすら)していたのにたいへん寛容でいて下さったけど、体育教師だけは学生たちを不当に差別していたなあ。
2007年頃に恋愛部(『こいとれ』)だの恋愛同好会(『きみはぐ』)だの恋愛授業(『HoneyComing』)だのが流行った(ように見えた)のは、いったい何がきっかけで、そしてどのような点に面白味が期待されていたのだろうか? 今もって意味が分からない。まさか『放課後恋愛クラブ』のリバイバルの機運が、なんてことは無かろうし……。いずれにせよ、私はそのどれにも手を出さず(※『HC』は買ったが未プレイ)、そして代わりに買ったのは『瑞本つかさ先生の(…)レッスン!!』だった。
2013/03/27(Wed)
[tw: 316410615310733312 ]:たかが――と言うのは失礼かもしれないが――ダミー素材に、さえき氏のイラストを使っておられるとは、贅沢な制作環境だなあ(※おどろくぽいんとがちがいます)。以前のM2 Motion Editor関連の記事[tw: 53509738184450048 ] , [ http://ruriko.denpa.org/201102c.html ]も同じく。
鏡氏の発言は、眉唾とまでは言わないにしても、説明不足(※少なくとも私にとって)な表現や飛躍が目につくので、慎重に読まねばならない。例えば「ストーリー系にシフトを切って以降、同じ戦場で戦うことになって美少女ゲームがラノベに敗退した」というくだりも、これだけ目にすると、美少女ゲームが向かっている方向性についての認識も、時間的前後関係の把握も、市場分析としても、滅茶苦茶なように見えるし。分析が脚本技術の次元に限定されているのは、氏が(フリーの)ライターであることからしてやむを得ないとはいえ(――なお、分割販売についての私の見解は、2013/01/08付雑記で書いていた。着眼点はかなり異なるが)。
私自身は、ロープライス一般について「安かろう悪かろう」という印象は持っていない。むしろ、価格帯にかかわらず不可避的に発生するコスト(キャラデザ、インターフェイスデザイン、BGM、広告費等)のことを考えると、フルプライスよりも"割が良い"場合すらある。裏を返せば、その部分をコストダウンしてしまうせいで全体の品質が著しく低下してしまう場合もあるが。品質が「悪」いであろうかどうかを判断(購入のために予測)する基準になるのは、価格設定ではなく、個々のブランドに対する信頼だろう。
ロープライスを拡張リメイクという話で、『終の館』(税抜1000円×5のオムニバス)→『ホームメイド』(続編扱いのフルプライス)を思い出したけど、あれも随分昔(2004年発売)の作品だった。『ヤミと帽子と本の旅人』(税抜5800円)もそれに近いものになる筈だった。
ユーザーの購入行動はおそらく「キャラクター要素」と「アダルト要素」を主要な判断基準にしており、それゆえフルプライスからロープライスに移行する場合はそれらを特化してアピールしやすい(――典型的にはFD。あるいは『フローラリア』続編シリーズ)。とりわけアダルト要素に関しては、FDで"大幅増強"されるのが通例となっている。他方でロープライスからフルプライスへ移行するパターンについても、『終の館』が成功の道筋を示していたと思う。まず先んじてロープライスで個別ヒロインのバックグラウンドを提示してユーザーの興味を惹きつけ、それからキャラクターを継承しつつ(同時にアダルト要素への期待も含ませつつ)フルプライス作品(の大規模な物語展開)へと誘導していく。
低価格のシナリオ主導型タイトルの稀少な実例としてlightの試みを挙げるのは妥当だと思うが、ただしイベントCG基軸で見ると『さかここ』はHCG率71%(31枚中22枚)でHシーン19個、『まじの』もHCG率53%(38枚中20枚)にHシーン12個と、アダルト要素にもかなり注力されている。価格はどちらも税抜3000円。ロープライスではないが、『鬼畜王ランス』以降の『Rance』シリーズ(SLG/RPG)はごくゆるやかな意味でのリメイクと捉える余地がある。
『さかここ』シリーズは、カットイン方式で一部のオブジェクトを表示したり背景画像に代置したりしていた。例えば垂れ幕に注目する場面ではその遠景画像をカットインで表示し、あるいは博物館の場面では様々な展示物をカットインで表示して、視覚上の表現密度を高めていた。上述のように一枚絵の多くはアダルトシーンに投入されているが、通常シーンがないがしろにされているわけではなく、そのような(画像の作りは比較的簡素ではあるが十分に有効な)カットイン画像によって内容が適切に充填されている。必ずしもすべてを入念な塗りで揃えねばならないわけではなく、あまりコストが掛からない仕方で追加的な画像を導入していくことは可能であるし、そして場合によってはそのギャップが特有の演出的/文法的な作用を担うことすらあるということは、SD画像使用によって実証されていることであるが、それがカットインについても十分可能であるということをこのシリーズは実証している。なお、それらのカットイン画像もCG観賞モードに登録されるが、上記の計算ではカウントしていない(――『さかここ』のカットインは25枚、『まじの』は34枚)。
『終ノ空』→『素晴らしき~』のリメイク(?)については、後者をプレイしていないのでよく知らない。どちらも価格帯はフルプライス級だが。
背面立ち絵はキャラクター同士を向き合わせるために使うというのがこれまでの通例だったが、『フレラバ』では文字通りの意味で、つまり「主人公はタイミングが悪く、いつも彼女の後ろ姿しか見る事ができていない」(公式サイトより引用)というために使うのか……。
HOOK/SMEEの作品作りは、前面にアピールしているコンセプトとしては、ヒロインたちの可愛らしさをひたすら強調することに専心している一方で、それとはほとんど関係の無いところで風変わりな奇手を毎回試みているのだが、その後者の意欲や目的意識がどこから来ているのかは皆目見当も付かない。こうした実験性(?)は、『LikeLife』の頃からずっと続いており、ユーザーはそういうものとして受け取るしかないのだが、それらがどのような効果に(そして蓄積に)結びついているのかが分からず、このブランド(と作品)について言葉を発しようとする度にそこで立ちすくんでしまう。
それにしても、『フレラバ』公式サイトの「EVENT CG」コーナーの「犬の散歩で」の一枚絵……この種のゲームでは、ヒロインとぶつかった際に下着が見えてしまうのはよくあることだし、その際にヒロインがかなり不自然なポーズになっているのは、まぁそういうものとして受け入れてきたけど……さすがにここまで来るとは……さっきから、妙な笑いが止まらない。
2013/03/26(Tue)
ところでこのキャラの左膝を見てくれ。こいつをどう思う?
[ http://www.aries-soft.jp/naimono/images/chara/c04.png ]
どう考えても逆側に曲がっているように見えてしまう……。もう一方の原画の戌角氏も、ツリ目のとんがり具合がすごいことになっているけど、これはこれで良いものだと思うので予約しています。
四月はLass、Aries、SkyFishの新作を予約してある。こんまいすたじおも、公式サイトで「この物語、誰もが易く解けると思うな――超難度・催眠サイコノベル」と挑発的に謳っているので買っておこう。五月はensemble、Shelf、そしてSHC。lightの新作は買うかどうかまだ決めていない。
ゲームの体験版等をブラウザ上で(擬似的に)試せるようにするのは、例えばHOOKSOFTが行ったようにFlashで表現する方法もある:[ http://www.hook-net.jp/likelife/system.htm ]が、この「ノベルスフィア」:[ http://novelsphere.jp/ns00000018 ]ではユーザークリック進行だけでなくテキストボックス一時消去もできるし、セーブも行えるらしい。このエンジンの仕様ドキュメントによれば、「O₂ KAG は、ゲームを制作するためのスクリプト言語として定評のある KAG3 を、HTML5 コンテンツ制作の現場で使いやすいように拡張したものです」とのことで、技術的にも堅実さと先進性を両立させられそうだし。体験版の配布形態の観点でも、webコンテンツのあり方の観点でも[tw: 315819481668665345 ]、わりと有望そうに思える。
[tw: 315654910119120899 ]:ほとんど知らなかった。『VIST』だけは聞き覚えがある――C's ware作品ですよね――という程度。この時期の、つまり90年代以前のPCゲームが全然分からないのは、ゲーマーとしてのキャリアからしてやむを得ない面もあるとはいえ、実にもどかしいし、おそらく私のゲーム理解の大きな制約にもなっている。何かの時のためにwin98機を一台保存してはいるけれど、そういえば長らく起動していないので正常動作してくれるかどうかも怪しい。
男性向けではないけれど、SugarbeansはWILLPLUS系列で、夏野氏や風音氏、先割れ氏、安芸怜須氏といったおなじみの方々が出演されているだけでなく、吉田氏が常連キャストとしてほぼ皆勤出演されているという恵まれたブランド。青山氏のわがままお嬢様+眼帯+ヴァンパイアキャラクターを聴けるのは、管見のかぎり『VS』を措いて他に無い……のだが、残念ながら私は買ってない。
『ぜったい』シリーズ、『猟域』の「如月舞」と『ぱらだいす!!』の「如月刹那」はおそらく忍者一族同士の設定連関。『大発明』シリーズ(低価格作品と、その後継のフルプライス作品)にも。
2013/03/25(Mon)
Fizz新作。ノスフェラトゥと言ったら、ライター青山氏のデビュー作『蒼刻ノ夜想曲』。『Vermilion』は、いつ買いそびれてしまったけど、ちゃんと購入しておけばよかった……。ゲームライターのキャリアのある方でいうと、『Gunning for Nosferatus 此よりは荒野』の続刊はまだですか。
【 何度目かのEscu:de頌 】
現在公表されている範囲で考えても、『せんすいぶ!』のアプローチはたいへん興味深い。1)生き死にのバトルではなく、あくまでスポーツの範疇での勝負事として成立させており、2)スポーツものがしばしば直面する(視覚)描写の難しさは、それ自体をゲームパート(SLG)とすることによって解決し、3)それどころか、いかにも美少女ゲームらしく、視覚表現上のお色気要素(になるのか?)を展開させるための機縁にもしており、4)そしてそれらすべてを上手く満たすように、この「戦水」という新スポーツ(のルール体系)がデザインされている。Escu:deというブランドは、物語上のコンセプトに合わせてオリジナリティのあるゲームパートを構築するのが抜群に上手く、そしてそのポテンシャルが今回は「物語上のコンセプトに合わせてオリジナリティのあるスポーツのルールを構築する」うえで発揮されている。
私見では、とりわけ『メタモルファンタジー』と『英雄×魔王』が、上記の意味でのゲームパートの秀逸さにおいて突出している。『メタモルファンタジー』(※リンク先は公式サイトのゲームパート紹介ページ)の魔法戦闘は、自分と相手がそれぞれ3つの枠に魔法をセットしてぶつけあうというものだが、魔法には攻撃、防御、敵魔法反射、敵特定魔法封印、敵魔法破壊、隣接魔法強化、HP回復といったさまざまなものがあり、しかも敵側の行動もある程度予測できる(青/赤/白の色分けがなされており、敵が各枠にどのような魔法をセットしたかのヒントが得られる)ため、シンプルな単独プレイヤーゲームであるにもかかわらず非常に洗練された「読み合い」要素が成立している。さらに、魔法力(MP)というリソース管理要素もあり、そのこともバトル進行の長期的戦略性を高めている(――例えば、敵の魔法をあえて受けることによって自分のMPを回復させる魔法「リサイク」も存在する)。主人公をダークサイド(蹂躙者側)に設定している点も含めて、ユニークさと先進性に満ちた傑作である。
『英雄×魔王』(リンク先は公式サイトのゲームパート紹介ページ)は、魔王主人公がヒロインたちに自分の子を産ませ、その子たちを配下の兵として世界中を侵略していくというもの。戦闘ユニットたちは基本的に「剣」「弓」「魔法」の三すくみ関係を持っており、生まれてくる子たちの属性分布は母体によって異なっているため、配下産出にも長期戦略の必要がある。主人公が侵攻する各地域もそれぞれ特定の属性比率でユニットを持っているため、進撃する際の編成でも兵種比率を適切に配分する必要がある。さらに、戦闘パートは、リボルバー状のリングに出撃ユニットを配置したうえで、それらをぶつけ合っては、左右どちらかに回し、そして再度ぶつけ合うという形で行われる。それゆえ、計画性の要求される要素(出撃ユニットの属性比率、リング上のユニット配置、リングの左右回転決定)と、運の要素(敵側リングがどのような配置になっているか、そして各ターンに敵がリングをどちらに回すか)とが、巧妙に絡み合って緊張感のあるゲームバランスを成立させている。要するに、ゲームシステム上、計算ベースの「読み」が成立しているが、それだけではなく、プレイヤーのその都度の行動を決める際には運ベースの「賭け」の要素も関わっており、合理性と緊張感とが刺激的に絡み合うゲームとなっている。複雑化したジャンケンだと言うこともできるが、それを適切に成り立たせているのは1)ゲームバランスの適切さだけではなく、2)ヒロイン(母体)のキャラクター性や種族設定――魔族、人間族、獣人族、水精、雪女、等々――と結びついた産出ユニット属性比率というアイデア、3)それらのイメージが依拠するファンタジー世界造形、4)そして自分の子を使い捨てにしていく酷薄な魔王主人公設定、それらが相俟ってこの作品の説得力を成り立たせている。……あらためて言葉にすると、実に残酷な物語だが。
この2本だけではない。ユニット配置型召喚SLGバトルの『JO』、ガチャガチャ収集+フィギュア改造SLGの『ふぃぎゅ@メイト』、行動ウェイト管理に比重を置いた痛快な空中魔法(脱衣)バトルSLGの『あかときっ!』、そして思い出の歯車を集めて時計を修復していくAVG作品の『ワンダリング・リペア!』においても、同じような特質は容易に見出される。ゲームシステム(ルール設計)の独自性、ゲームシステムとストーリー(世界設定)との緊密な結びつき、視覚表現の豊かさとインターフェイスの心地良さ、それらはすべてEscu:deの美質である。
この2013年現在において、2Dベースのゲーム作品(つまり「ゲーム性のある」作品)を継続的に制作しつつ、どこかで見たような復古趣味的システムに逃げることもなく、しかもキャラクター要素もきちんと活用しながら、これだけの創造性を発揮し続けている商業PCゲームブランドがこのように実在しているという事実は、ほとんど奇跡的ですらある。
『せんすいぶ!』のゲームシステムのうち、育成要素は『メタモルファンタジー』を想起させる。同様に、陣形要素と特性要素はおそらく『JO』『あかときっ!』で用いられたアイデア/システムを再構成しているのではないかと思われる。
2013/03/22(Fri)
ソフトハウスキャラもワイド解像度に。『BB3』は1280*720。
レイアウト設定でページ上部navbarをon/off選択できるようになっていたので、消去してすっきり。
2013/03/21(Thu)
声優諸氏も当然ながら大人(成人であり社会人であり職業人)なので、「~嬢」や「~ちゃん」といった呼び方は、少なくとも私は使ってみようという気にもなれないし、こうした呼称を使っている人たちの気が知れない。……ってか、PCゲーム声優を「ちゃん」付けで呼んでいいのは、ただ一人、まきいづみ氏だけだ! 「たみちゃん」(@ぷらてぃあ)とか「こなみちゃん」(@ピリらじ)とか「りのちゃん」(@モンキーパーク)とか「こむぎちゃん」(@リラリラ)とか……私もあんなふうに上品な、いくつしむような呼び掛け方をされてみたいものです。
リラリラ23回を聴くためにHDDを掘り返そう。アトランティスから帰ってこられた西田さんがゲストの回。
リンク:「音表現による作品構成:『夏音』シリーズにおける表現の幅」
私もまたこういう感じの紹介記事を書きたくなってきた。ゲーム進行に即した演出面の微視的解説は、私も例えば『白詰草話』について試みたことがある(cf. 演出論Ⅰ章1節)ことがあるが、このように出来の良い作品を俎上に挑戦するのは、再プレイ/分析/執筆のいずれのプロセスもたいへん楽しい作業になる。ちなみに、以前には漫画作品の細かな齣組構図分析を試みたこともある。残念ながら、音楽作品のアナリーゼは他人に見せられる水準ではとても書けないが。
クリック進行(クリックによる画面更新を単位として分節化された進行様式)とは異なる時間継起が、現代AVGにおいては様々に試みられている。1)視覚表現においては、低速スクロール/ズーミングの導入による、息の長い推移(特にLittlewitchとALcot)。2)音響表現においては、環境音、BGV、SE(副)音声による多重進行(例:『えむぴぃ』)。3)テキスト進行においては、強制オート進行と、テキストボックス複数表示による同時進行(『マジカライド』ほか)。4)複数要素間のギャップ表現、とりわけ音声とテキストの跛行進行演出(『Forest』)。5)ゲームパートにおいても、RTSを初めとして、様々なスパンの意味単位が生成し相互作用する。――この論点は、いずれもっと展望を拡大して丁寧に取り組みたい。
個人的に大好きなのが、SE副音声表現。『水平線まで~』のモーターグライダー大会のシーンでは、フライトの順番を待っている主人公たちの会話の背後で、大会本部の実況/解説放送がSE扱いで延々と流されている。その海辺の開放感。大会本番であることをはっきりと印象づける、迫真性と緊張感に富んだ状況表現。他のチームたちが次々に挑戦していく様子が、事細かに実況されていく面白さ(――その意味でも十分聴き応えのある台本になっていた)。そして、実況役を務める成瀬未亜氏の朗々とした声音と語り口の魅力。SE音声表現の中でもとりわけお気に入りの演出。
[ http://www.escude.co.jp/product/sensuibu/ ]※アダルトゲームサイト注意。
ひゃっはー!
Escu:de×ここのか×バカゲーSLGだ!
この起用は予想していなかった……。ほとんど奇跡と言っていいほどの組み合わせに、心が震えます。ここのか氏というと、これまでは彩度低めのシックな塗りの作品が多かったので、最近のEscu:deのつやめきのあるグラフィックワークの下でどのような絵になるのかがものすごく気になるが、画像サンプルを見るにどうやらEscu:deの側がここのか氏のスタイルに合わせてスモークグレーの頭髪彩色にチューニングしているようだ。
スタッフ編成がこんなにも嬉しいのは、ソフトハウスキャラ作品(『雪鬼屋温泉記』)に桜川氏が出演されると知った時以来だろうか。あるいは、SkyFish作品(『九十九の奏』)で萌花ちょこ氏が主演された時か。
って、この『せんすいぶ!』も萌花ちょこ氏が主演なのか! あわわわ……。
それにしても、乗機のデザインが見事にマブチモーターですのう……。
2013/03/20(Wed)
【 "ロードムービー"的PCゲーム 】
ロードムービー的スタイルは、背景画像の枚数密度あってこそ成立するものであり、そしてその枚数密度こそが魅力となり、そしてそれゆえフルプライスAVGよりも低価格タイトルやSLG作品において企画成立(&成功)させやすい。
低価格帯。イベントCG枚数やアダルトシーン数などの量的基準が相互比較されやすいフルプライス級タイトルとは異なって、低価格帯では素材投入バランスの裁量の度合いが相対的に大きく、かつ、その規模の短さが旅程物語を飽きさせない範囲で成立させる余地も大きい。その最も優れた実例を、『ワンコとリリー』が示している。元々はコミケ販売されたものらしいが、のちにロープライス価格帯で一般発売された(3800円+税)。「ロードムービー」というよりはただ単に、恋人未満の知人とともに語らいながら、「ワンコ」たち(人間型ペット)を連れて町内を散歩して回る(プラスアルファぷしゃぁぁぁぁぁぁぁ)というだけのごく短い物語であるが、作中のイベントCG18枚(うちHCGは7枚)に対して背景CGは14枚も用意されており、中にはほんの数クリックの間しか表示されない背景画像(墓地門前画像)すら存在する。低価格タイトルの場合、他作品から背景画像を一部流用する敷居も低くなると思われ、実際に背景流用によって制作効率を高めている実例も存在する(――道中ものではないが、例えばlightの『さかここ』シリーズ。同じブランドの『潮風~』の一部背景もたしかそう)。
SLG作品においては、背景画像(その都度のロケーションを表示する画像)の潤沢さが、コスト的観点からも様式的観点からも支援されている。すなわち、「ゲーム性のある」タイトルではゲームパートを構成するための素材に比較的大きな制作コストを掛けられ、あるいはゲームフィールドの多様性が要求されがちであるため、場所を表示するための画像素材も多数用意することになる。また、SLGにおいて支配的な性質であるところの、画像使用スタイルの象徴性のゆえに、背景画像制作の自由度が大きいという事情もある。実際に、『英雄×魔王』であれ『空帝戦騎』であれ、あるいは『英雄*戦姫』『ママトト』『とびでばいん』『Vagrants』『風と大地のページェント』であれ、主人公たちは物語の進行とともに数多くの地域を踏破していき、そしてその進みゆきを様々な舞台表示画像が――時には記号的/象徴的なカットイン画像として、また時にはPCがその上を移動するフィールド画面そのものとして――彩っていくことになる。
その他、マップ表示等の手段によって長路移動の表現を補強する手法(『斬死刃留』、潜水艦ものの『蒼海の皇女たち』)、あらかじめビッグセールスを見込んで大量の画像素材を投入するスタイル(『マブラヴ/オルタ』)、一本道進行にすることによって背景画像の使用効率を上げるタイプ(長距離鉄道ものの『SEVEN-BRIDGE』)、移動先をいくつかのポイントに限定することによって長距離移動表現を可能にするもの(遠洋航海ものの『やどかりタイフーン!』)なども存在する。素材制作コスト/視覚表現スタイル/脚本サイズの観点でいえば、おそらく一時代前の方がこの種の企画を試みる余地は大きかったと思われる(――とりわけ、宇宙のみならず時間をも股に掛けたハーレム道中ものの『BE-YOND』は個人的に印象深い)。
現状。現在のフルプライス級AVGでは、背景画像は(青空等を含めて)40枚程度用意されているのが一般的だろう。背景画像は外注制作されることも多いようだが、いずれにせよコストが掛かるわりになかなか評価されにくく、しかも不足すると粗が目立ちやすい(黒画面進行や青空進行にならざるを得ない)という、難しい要素である。さらに近年では、彩色水準の向上(=要求水準の上昇=作業労力の増大)、高解像度化(=作業労力の増大、制作環境整備のコスト増大)、ワイド化(=背景画像が視界に入る範囲が広くなる)といった問題も重なってくる。このようにして、全体的傾向として、背景画像の増量はいよいよ困難になっていると考えられる。
cf. [tw: 7625007806 ] , [ http://twilog.org/cactus4554/date-100111 (23:15-)]
その雰囲気においてロードムービー的志向を最も良く体現しているSLG作品は、私見では『うえはぁす』なのだが、この作品ではAVGパートの背景画像にはそれほどヴァリエーションが無かったように記憶する。ただし、2000年当時として十分な数量ではあった筈だし、シガタケ氏の描いた全体マップはプレイヤーの目を大いに楽しませてくれたものだが。
ここまで書いておいてなんだけど、「ロードムービー」という言葉をゲーム作品にそのまま適用することには躊躇いがある。他に適当な呼称も思いつかないのでさしあたりこの語を流用しているが。例えば「道中もの」とでも呼べば、なんとなく直感的に互いの理解をオーバーラップさせられるだろうか。
どうやら私は頭がかなり小さいようで、ぴったり合う(頭を揺らしたりしてもズレない)ヘッドフォンがとても少ない。しかも、にもかかわらず、眼鏡も着用しつつの長時間リスニングをしているので、耳殻への(上方からの/側面の)圧迫がきついタイプも苦しい。イヤフォンは論外。というわけで、これまでは音響の品質以外のところでせずもがなの苦労をしてきました。部分的には自分自身の怠惰のせいでもあるけど。特に外国メーカー製のヘッドフォンは、店頭で試してみると私にはゆるすぎるものが多かったのだけど、頭の小さい方々(例えば、平均的にいえば、女性とか)や頭に乗せたくないという方々(ヘアスタイルに気を使っている場合など)はどうやって対処しているのだろうか、あるいはどれを使用されているのだろうか。
開放型は自分の声もよく聞こえるので、自分でハミングしてハモらせるのが楽しk…いやいやいや。
【 知的なキャラクター? 】
もしも私が「頭の切れるキャラクターを描いてみせろ」と言われたら……えーと、先読みが鋭いという描写にするだろうか。ジョセフ…というよりもビーティー型。これから生じるであろうことを予測(予言)してみせ、そして実際にそのとおりの事態が発生すれば、それはその人物の明敏さを証し立てるものになり、当人の知性に対する(あるいは少なくともその判断力に対する)信頼を強めるだろう。予測したとおりになったという事実それ自体が十分に強力な説得力を生む(と思う)ので、その予測に至った推論過程の言語的説明にどれだけ説得力があるかはおそらくそれほど重要ではない(――こう思うのは、個人的に理学部数学科の知人などを見ていて抽象的論理的思考力の高さと説明の分かりやすさは必ずしも両立しないということを知っているせいもあるが)。しかし、うまくバランスを取って描かなければご都合主義めいて見えそうだし、嫌みっぽく見えてユーザーからは好かれにくそうでもある。実際、『カルタグラ』の天才少女は主人公(探偵)にほとんど仕事をさせずに真相を解明してしまった。主人公を
雑学知識を垂れ流すタイプは、知性(の一面)の証明として分かりやすくはあるが、創作物としては面白味に欠ける憾みがある(――典型的には『3days』の広原月子の35クリック連続台詞)。『さかここ』のように男女間でのペダンティックな丁々発止の応酬という形をとれば、読み応えもあるし脚本上の意味も出てくる。どうせなら、早口台詞で演じれば、思考速度の表現として有効かもしれない(――似たような例として、『るいは智を呼ぶ』の「花城花鶏」は"思考の加速"という特殊能力を持っている)。もちろん、エキセントリックな性格を表すうえでも効果的だろう。
他方で最悪と思われるアプローチは、第三者からの伝聞や「二つ名」で知性を匂わせる描写。典型的には「全国模試上位常連」のような、あれ。二つ名も某作品で目にしたが、作中での実際の行動との落差が露呈するばかりで、たいへんしょぼいものでございました。とはいえ、例えば『沙耶の唄』が奥涯教授の手記という形で沙耶の知識習得過程を描いたのは具体性があって結構良かったので、これもやり方次第かもしれない(――上述のように、人間外存在設定を梃子にしてもいるが)。『pianissimo』の天才な彼女に関する話も、「なんだかよくわからないけどどうやらすごかったようだ!」という気分にさせてくれたし。超人的な発明家キャラは、その過程がはっきりしない以上、ミステリアスではあってもインテリジェンスの発露としては受け取りにくい。
パラメータのあるSLGならば、数値とその効果そのものが当人の知性(あるいは知能)を裏付けてくれる。目に見えるステータスの数字としても、あるいは例えば作戦成功率や助言信頼度や特殊スキル実行可否といった具体的効果としても(cf. 演出論Ⅳ章2節2款)。
ふりかえってみると、抜群の切れ者キャラクターって結構少ないかも。
SHC作品で一番「頭の良い」キャラクターは、『LEVEL JUSTICE』の主人公、怪人創造を業とするマッドサイエンティストのDr. ヘルナイトだろうか。コメディへの対応力とシリアスシーンの鬱屈との間でうまくバランスのとれた、たいへん良いキャラでした。
知性派キャラによくキャストされる声優さんというと……オーソドックスなところでは、ももぞの氏(※年長者キャラ=助言が多い)と青山氏(※眼鏡キャラの比率が高い)、それから井村屋氏(不思議系天才)、一色氏(超然系天才/老獪キャラ)、かわしま氏(年長者や執事系キャラ)、五行氏(万能秀才ツンデレ)あたりだろうか。安玖深氏が演じる役も、しばしば頭の回転の早いキャラクターになる。西田氏の才媛キャラも、それはもう素晴らしいもので……ううっ。
もちろん、鮎川氏も「聡い」キャラクターを演じておられるし、みる氏が天才ハッカー役を演じられたこともあるし、大波氏もその低音系芝居で陰謀を張り巡らせる悪役を演じられた。木村氏も、謎と知性に満ちた年上キャラに何度か配役されている。
私個人としては、知性の作用として特に重要なのは、物事を多角的に(つまり特定の視点/価値観/予断等に囚われず公平かつ柔軟に)そして既存の道具立てを効果的に利用しつつ厳密な分析ができることだと思っている。偏見や通念や固定観念のゴミを洗い流して対象を正確に捉える営みは、知性の重要な仕事の一つだ。PCゲームに関する私の言論が価値論や歴史展望には向かわずもっぱら方法論(技術論)を目指しているのも、その見方と関連している。しかしながら私自身は――そういうあり方を望ましいものとしていながらも――ロジカルに順序立った演繹や分析はわりと苦手で、基本的にほぼすべて直感頼みで結論(だと思うもの)を得ており、その意味では多角的でもなければ概念的でもなく厳密でもない。ただし、それを言葉にする際には他人が公平に理解し再検討できる形に整えるようにしているが、それは内的な発見的思考そのものではなく対外的な後付けの正当化作業にすぎない。いや、対外的にきちんと理由が立つようにする(そして理由が立つかどうかを書きながら検証する)のも大事なことですが。
こんなんだから、いつも「おまえは何が言いたいのか分からない(何を目指して議論を展開しているのか分からない)」と言われるのですね。このブログで書いている個別記事も、しばしば問題提起や実践的展望がきわめて希薄だし……うぐぅ。
そういえば、しばらく前に某文学賞で話題になった「固有名詞を一切使わない」件、どこかに(文芸以外の領域の作品で)既視感があると思っていたら、『るいは~』の「白鞘伊代」さんだった。固有名詞を口にしてしまうと、命に関わる「呪い」が発動してしまうので、会話等ではすべて代名詞を使うしかないというもの。さすがの日野亘クオリティ。
時節ネタ。
こんなにも学園ものAVGが多いわりに「校歌」を実際の楽曲として用意している作品は稀だが、(自校のであれフィクションのであれ)校歌に特別な思い入れを持つプレイヤーはあまりいないのかもしれないし、卒業式であれば「仰げば尊し」で賄えるわけだし、ミッション系スクールという設定なら賛美歌でも良いし、合唱曲を録音するのはコストが嵩むしで、オリジナル校歌には積極的意義があまり見出されていないということなのかもしれない。もちろん、いくつもの試みと成果はすでにあるが(cf. [ http://twilog.org/mp_f_pp/date-100408 ]。『この青空に約束を―』にも、校歌とはちょっと違うけど合唱曲があったような……)。アニメにも、『けいおん』の校歌という非常に参照しやすい実例がある。
最近、木村氏のお声が心に突き刺さりすぎてつらい。
2013/03/19(Tue)
STP343回。はる姉さんは、役柄としてシャッキリした方向性が似合っているものの、声質そのものはそんなにパキパキした感じではなく、深みのある響きに魅力があると常々思っているので、「クリーミー」「コクがある」といういちむらさんのコメントには深く得心して頷いた。「黒ビール」は飲んだことが無いので、その喩えがそれを言い表しているのかどうかは私には判断できないのだけど。いちむらさんのお声が「わたあめ」というのは、言い得て妙だと思った。声質はそうとして、しかしお芝居は基本的にストレートですっきりしているので、コーヒーに喩えるのは連想として面白い。だから両方合わせて「カプチーノ」というのもなるほどと納得できた。
引越後、室内の静音環境がなんとか整ってきたのでヘッドフォンをもう一個購入。開放型は初めてでございますわ~。音楽鑑賞との併用も考えつつ今回はShのそんなに高くもないモデルにしたが、実際には状況によって使い分けていくことになりそう。
ヘッドフォンの数え方は「n個」でいいんだろうか。音響設備という意味合いで呼びたい場合は「n台」という数え方もありかもしれない。
VDにせよWDにせよ、作家さん本人宛にチョコを送るのが恥ずかしい場合には、キャラクター宛として送ればいいんだよね。(それはそれでイタい、とか言わない。)
漫画『ジャポニカの歩き方』がラオスをモデルにしていたかなあ(←web検索してみたらそれで合ってた)という程度で、残念ながら個人的な接点はほとんど無い。タルキスタンのモデル国はどこだっけ。
こっちの分野でいうと、南アジア~東南アジア系キャラクターは『With You』のチャム、『まじれす!!』(※未プレイ)のマドゥリー、『英雄*戦姫』のアショーカ、『サフィズム』のアイーシャ、『SEVEN-BRIDGE』のナンシー、『民族淫嬢』の阮氏平くらいだろうか。『スカーレット』もそのあたりの地域を訪れていた筈。『TACTICSBRID』(※未プレイ)のアイシュワリヤも。『ぬるぷり』の二人は……あー、大西洋だったか。いずれにせよ褐色肌は誉むべきである。チャイナドレスにせよアオザイにせよ、通常の立ち絵シーンでは下半身部分の美しいシルエットを活かせないのが惜しまれる。
情報を得たいだけなら、記憶を手繰るよりもEGScapeのPOV「褐色肌」を手掛かりにした方が早かっただろうか。
さらに余談ながら、褐色キャラの中には、黒人(アフリカ系)と思われるヒロインキャラクターも存在する。上記『TACTICSBRID』のン・ラーラ、『Scarlertt』のニネット、『DOOP』のスーザンなど。黒箱系作品の(モブ)男性として登場することもある(例:Guilty、つるみく、SYRUP)。
かかったな!(私が)
あれ……トップページから雑記欄最新ページ(このページ)へのリンクurlが間違っていたことにようやく気付いた。すみません。
いや待て、以前は確かに"diary13.html"だった筈だが……いつの間にか、このページのアドレスが"diary13.html"から"13.html"に移動されてしまっていたのか。こういうしょーもない介入をしてくるgglを、私はちっとも信用していない。
2013/03/18(Mon)
[ http://twilog.org/nyaa_toraneko/date-130317 ]:スタッフリスト(クレジット)の重要性について、特に前半の一連の投稿が興味深い。以前から関心を持っていたことなので、実作者の方がこういう発言をなさっていると、非常にありがたくそして頼もしい。
PCアダルトゲームでは、(一部の低価格タイトルを除いて)クレジットはかなりきちんとした(分かりやすい)作りになっているし、一部のブランドはマニュアルにもスタッフリストを印刷している(例えばalicesoft、Escu:de、pajamas soft、F&C、キャラメルBOX、等々)。外注バイトとおぼしきデバッガーの名前まで律儀に掲載しているエンドロールもけっして少なくない。そしてそれと同時に、公式サイトでもあらかじめ主要スタッフの名前を出しており、ユーザーもそれらを見て購入如何を判断している(だろう)。こうして見ると、コンシューマゲーム以上に「個人のセンスや技術」に左右されやすいという事情もあるとはいえ、現在に至るまでアダルトゲーム分野は非常にフェアに情報公開してきていると言ってよいように思う。
ただし、特に雑誌レベルでは、原画家/脚本家の偏重の一方で、ディレクターやCGチーフがながらく等閑視されてきたし、そしてユーザーサイドでも、原画家/脚本家に注目が集中し、作品全体のコンセプトや美術設計の観点がないがしろにされてきた。web言論レベルでは、作品全体の方向性とそれを決定するスタッフ個人が正当に評価されてきたのは、TADA氏や大槍氏やCARNELIAN氏など、数えるほどではなかろうか。
2013/03/17(Sun)
新年度に向けて、そろそろ更新ペースが下っていくと思う。実生活でストレスが掛かった時に、「趣味に没頭して逃避する」ということが出来ない性質なので。
【 ネクタイそのほか 】
ネクタイヒロインに対する抵抗力が落ちていることに気付いたのは、剣崎さんのイラストを目にした時。ネクタイへの偏愛を示してくれているPCゲームブランドというと、やはりCUFFS(系列)とたぬきそふとだろうか。CUFFS/Sphere/CUBEは11作品中7作品(※FDを除く)にネクタイヒロインが登場しており、たぬきそふとも『小交女』以外の4作品にいずれもネクタイヒロインがいる。ただし、セーラー服スカーフの変種のような形に結わえていてネック(首)タイとは呼びにくいデザインのものも多いが、しかし私としては「首の下あたりできちんと締めて、その下に平たくストレートに垂らしている」というそのありようが好きなのであって、タイであるかスカーフであるかリボンであるかの違いは重要ではない。
……と言いつつ、たぬき作品は興味はあるものの一本も買っていない。
また、実生活上では、ネクタイは好きではない(まったくもってどうでもいい存在でしかない)。
ゲームブランド単位での服飾志向について言うと、例えばClochetteは、新作『プリズム~』以前の4作品の制服は(原画家が異なるにもかかわらず)すべて白基調のセーラー服タイプだった。今回の新作の公式サイトを見た時、真紅のブレザー型制服に驚いた憶えがある。
ソフトハウスキャラは、旧作に登場した制服を他作品でも使用することによって、共通世界設定(作品間クロスオーバー)を暗黙裡に表現するという技巧を好んで行っている。例えば『LEVEL JUSTICE』(2003)に登場するキャラクター「唐紅葉月」は旧作『アルフレッド学園魔物大隊』(2002)の制服を着用しており、また『門を守るお仕事』(2012)に登場する「ロウメイ」も旧作『グリンスヴァールの森の中』(2006)のグリンスヴァール学園制服を着用しており、それぞれその学園(またはその系列校)の出身であることを暗に示している。管見のかぎりでは非常に珍しく、そして非常に巧妙な、服飾デザインを媒介したユニークな物語的表現である。このような、プレイヤーの連想を誘う示唆が、物語の「真相」を暴くような大袈裟なものではないところも粋である。
"アダルト"ゲームの特徴として、重ね着の構造に凝ったデザイン――換言すれば「脱がしていく」差分変化の妙趣――を重視しているものも多い。そうした着衣差分管理はシステム(プログラム)の次元で制御される場合もあり、近年におけるその目覚ましい成果の一つが『あかときっ!』の脱衣バトルSLGに見出される。
2013/03/16(Sat)
ぐったりと昼寝。
SLG作品でのクラシック使用を忘れていた。
『あかときっ!』は、キャラクター「ククリク」様の必殺技に「交響曲第5番 『革命』」「第一組曲『剣の舞』」「グスタフ・マーラー」「歌劇『魔弾の射手』」などがあった。そういう技名というだけだが。ククリク様は見て愛でるためのキャラだというのは、まき氏も仰っているとおり(※クリア後のスタッフ/キャストコメントコーナー)。
『英雄*戦姫』は、キャラクター「ベートーヴェン」の必殺技に「運命交響曲」がある(――攻撃SEとして実際に例の動機の四音が流れる)。たしかモブ敵の攻撃SEにもモーツァルト「レクイエム」(Tuba mirumのあたり?)を連想させるものがあったが、ほんの1~2秒のSEなので、間違いなくこれだとは言いにくいもの……だった筈。
……といった話は、いずれしかるべきところにコメントしておこう。
先日言及した『Sacred†Vampire』のように、テキストでは曲名を挙げているが実際の音響としては音楽が流されないという扱い方もある。以前の私は、作中で既成曲を演奏しているシーンならば本物(実物、その曲そのもの)が持つ力を実際に音響として示すのが有効な筈だと考えていたが、最近ではテキストとBGMの流れを保持することも重要だと捉えるようになり、音響的再現は絶対的なものとは考えなくなっている。どの箇所を抜き出すかも難しいだろうし。
歌劇作品はあまり聴かないので、比較的有名な曲やシーンでも、知らないままだったり、音楽が流されても気付けなかったりする。聴いたことが無くても、曲の作りから「なんとなく○○時代っぽいな」あるいは「(人名)っぽいな」と間接的に推察できる場合もなくはないが、所詮自分は素人なので――正規の音楽的訓練を受けたわけではないので――当てにならない。
2013/03/15(Fri)
単独記事化。いかにも浅漬けな紹介記事だが。→「画像素材の拡張利用について」
今回引用したスクリーンショットを見比べると、どちらの作品でもテキストが必要に応じて上下/左右にセンタリング処理されているのが分かる。センタリングが可能なゲームエンジンはこれらだけではない(※『ドラクリウス』は椎名里緒、『桜花~』はおそらく独自エンジン。例えばageのrUGPエンジンも有名だろう)が、可読性配慮として面白い設計である。
画像引用は「引用」として正当化される範囲内で行うようにしているが、しかし法的次元だけでなく道義上の綱引きの側面もあるので、SSの無駄打ち(乱用)は避けたい。今回は、実際に絵で示す必要があったテーマだとはいえ、枚数過剰気味になってしまった。SSがネタに走ってしまった点も含め、いろいろと反省せねばならない。論述構成を練り直し、引用画像の差し替えも行いたい。
【 フィクションにおける「研究所」雑感 】
ゲームに出てくる「研究所」間のコンペ(技術水準の比較)もいろいろ妄想してみたいよね!
ヒューマノイド(自律的なアンドロイドや人工生命体)の開発は、多くの作品で研究所等が行っている。『MACHINE MAIDEN』の「スピリチア・エンタープライズ」しかり、『白詰草話』の「古痕」しかり、『LEVEL JUSTICE』の「ヴァルキル」(怪人を作る悪の組織)しかり、『マブラヴ』シリーズの横浜基地(というか香月博士個人)しかり、『うたわれるもの』のアイスマン研究機関しかり。『機械仕掛けのイヴ』の「SHE」と「マッコイ・カンパニー」も。『ToHeart』の「来栖川重工」はもはや古典であるが、2013年現在の目で見ると、軍事利用が想定されていない点がかえって新鮮である(――主眼は事務/介護用ロボット。ただしファンディスクのミニRPG『LEAF FIGHT '97』ではセリオが重火器を撃ちまくっていたが、これはあくまで余興の範疇だろう)。
超能力や異種族(妖怪、吸血鬼など)を取り入れているタイプも多い。『神楽』シリーズの「大賀研究所」(鬼や妖怪の軍事利用を目論む)、『ひめしょ!』『ドラクリウス』の「朝霞研究所」(遺伝子操作から吸血鬼研究まで)、『3days』『11eyes』の「霊能局」(陰陽術の軍事利用)と「アーネンエルベ」(魔術研究)、『魔法戦士シンフォニックナイツ』の「インペリオ」(というか雨塚君個人)など。特に「(旧)陸軍研究所」設定のものが、その種の非正統的な研究を頻繁に行っている(例:『Love Letter』、『サナトリウムの雌豚』)。物語の中での扱われ方を見ると、過去回想シーンとして間接的にのみ言及されるという場合が多い。
分野別で見ると、VRテクノロジーについては『BALDR』シリーズのあれ(名前忘れた)。仮想世界上で殺害されるとオフラインの精神も破壊されるという、危険極まりない仕様がまかり通っているが。魔改造テクニックに関して言えば『ふぃぎゅ@メイト』の渡馬景護君の右に出る者はおそらくいない。缶詰から生きた牛を開発できる『南国ドミニオン』の諸君はバカゲー枠としても。衛星砲から軌道エレベータ(実用化している)から高度な遺伝子操作技術(医療目的だけでなく、ファッション的整形技術としても一般に普及している)に至るまで、男の子の(?)夢を実現しまくっている『MERI+DIA』世界もかなり驚異的。作中世界の技術水準でいえば、21世紀現在で科学的に想像しうるかぎりの極限的ナノテクノロジーを実現している『R.U.R.U.R』世界(遠未来世界)がトップクラスだろう。
ファンタジー世界を視野に入れると、なんでもありになってしまい、一気に箍が外れてしまうが。私の狭い見聞の中から、オーソドックスな錬金術については『神採り』のディオン工房を、また規模と伸びしろの点では『グリンスヴァール』の学園を挙げたい。
入所(就職)するなら、アットホームな悪の組織「ヴァルキル」かな。他方で、世俗的倫理観に囚われない研究を希望する向きには、『ひめしょ!』の朝霞研がおすすめ。哺乳類(イヌや霊長類)を品種改良し、生体ソナーとして戦車や戦艦に組み込んだり、あるいは特殊なウィルスを人体に注入して、体質変化(人工吸血鬼化)の実験を行ったりしている。
いずれにせよ、とかくゲーム世界の「研究員」たちは死にやすすぎる。
『ひめしょ!』の設定まわりについては、下記ページがあった。
[ http://web.archive.org/web/20080423052110/http://anita.okitsune.com/himesho.html ]
[ http://web.archive.org/web/20080219190741/http://anita.okitsune.com/himesho2.html ]
[ http://web.archive.org/web/20080218202111/http://anita.okitsune.com/himesho3.html ]
好きなようにしたいのでブログフィードのことは考慮していなかったが、blggrの設定を「追記の区切りまで」に変更してみる(――以前はデフォルトの「完全」のままだった)。深く静かに潜航せよ。
2013/03/14(Thu)
メイド役といえば私の中では如月氏だが、Chuable新作を見て五行氏も案外メイドキャラが多いように思えてきた……が、実際に数え上げてみたら『のーぶる~』とLWの『RL』『SCF』くらいしか出てこなかった。あのキャリアの中でメイド役4回というのはけっして少なくはないが。かわしま氏も、メイドや側近キャラの役が多いように思う。
EGScapeで五行氏が『LOVELY×CATION』の「企画・ディレクション」とされているのだけど……たぶん、きっと間違いですよねこれ。もしかしたら企画関与されたとか、あるいは企画に対して重要な示唆を与えられたので特にそうクレジットされたといった可能性も考えられなくはないし、実際に『ミンナノウタ』で新堂真弓氏が「プロデューサー」を勤められたような例もありはするが。
探しているうちに、北見ヴォイスの男装執事キャラなるものを発見した(『姫様限定!』)。公式サイト等を見るに、どうやら脇役のようだが。
こまきさん、髪つやっつやでおきれいだなー。妙にオーバーアクションで、楽しそうにぴょこぴょこしておられる。
えっと……未プレイのPCゲームが100本以上あるのは普通……ですよね?
音楽CDのボックスセット(全集ものなど)を全曲聴かずに済ませるようになったことは自分の心の中で「積み」の心理的敷居を大きく引き下げるきっかけになったのだろうけど、それ以前からも書籍を「買う」のと「読む」のは別の事柄だったしそのことを(今とほとんど変わらない形で)理論武装すらしていた。
『精神性愛パラフィリア』、飯野氏の3役(というか3人格)+御苑生氏の3役なのか……こういう趣向は珍しいものだし、買っておこうかな。
以前の野球表現の記事に『桜花センゴク』(のSSを撮るために再プレイしていた)の紹介を追加したら、なんだかオチをつけてしまったようになって、記事全体が一気にバカネタめいてしまった。半ば意図的にそうしたのではあるが。
2013/03/13(Wed)
最終更新は2007年4月頃と思われるレヴューで、全体に00年代前半の残り香を漂わせており、また速度重視のUI評価が特異なバイアスを見せているが、とても面白かったのを思い出してIAにリンク。『days innocent』を最高のAVG作品(の一つ)として挙げるような人物はこの方を含めて三人くらいしか知らないし、また、当時としては非常に珍しいことに(そして先見の明を示していたのだが)『プリミティブリンク』のシステムと演出に高い評価を与えていた方でもあった。今どうされているのか存じ上げないが。
[ http://web.archive.org/web/20101028002927/http://foolmaker.net/diary/review/review.html ]
要するに、昨日の「『攻略』行為の価値」にまつわる話。
自信を持って素晴らしいと断言できるPC(美少女)ゲーム作品はいくつもあるし、忘れようのない特別で絶対的な経験に立ち会わせてくれた作品もいくつもあるが、「(自分にとって)最高の一本だ」と言えるタイトルが私にあるかというと……分からない。もちろん、どれを挙げてもいい、のではあるが。『アトラク=ナクア』や『Forest』や『らくえん』だっていいし、『少女魔法学』や『えむぴぃ』は咽び泣く出来だし、『片恋い』も長く偏愛の対象であり続けているし、もちろんSHCの『南国』『ブラウン通り』『巣作り』も間違いなくその資格がある。古くは『痕』『Piaキャロ2/3』もあったし、2008年以降でもApRicoT/緑茶/SkyFishを中心に優れた作品はいくつも出て来た。瞬間々々の思い出を挙げればきりが無い。一昔前だったら(コンシューマの)『カオスシード』を挙げて足れりとしていたことだろうが……。
システムと物語が深く絡み合って協働しつつ、さらにその一歩先の「趣味」の世界を作り上げるところまで到達したという点で、『少女魔法学』(――私がプレイしたのはep版だが、おそらく無印版でも十分だろう)。今見ても非常に特異な技巧を多用しながら、強烈な説得力と魅力に溢れる視聴覚表現空間を作り出した『アトラク=ナクア』。そして、現代AVGの過去と将来をはっきりと照らし出しつつ、(そのいくつもの至らなさ、いくつもの突飛さ、いくつものオールドファッションぶりにもかかわらず)開放的で豊かな世界を描き出した『片恋いの月』。無人島生活のあらゆる活動を――文字通り、考え得るかぎり全ての活動を実際にPCの行動として――シミュレートできる『南国ドミニオン』。少なくともこの4本は間違いなく、私にとって「最高のPCゲーム」と呼ぶべき存在だ。もちろん、他にも挙げたいタイトルはいくつもあるし、他人におすすめしたいかどうかはまた別問題だが、どのようなコンセプトを持ちそれをどのようなメカニズム――狭義の「ゲームシステム」だけでなく――を通じて実現しているかという観点でいえば、私のプレイした中でこれらの作品は突出した個性を持っている。
主題歌オーバーラップ演出は、(PCゲームの中では)『BALDR FORCE』(2003)で初めて触れたくちだったけど、『ヴェドゴニア』(2001)のはそれよりも早かったのだね。
『みらろま』に大波氏が出演されていたのをすっかり失念していた。買っていないけど。
まきいづみヴォイスには勝てないという明々白々たる真理を再確認しつつひたすらクリッククリック。
2013/03/12(Tue)
権利のきれた音源とテキストを使って、例えば「ノベラル」で萌えキャラオペラを再現してみたいという欲求は度々湧き上がってくる[tw: 9878017635 , 10317777470 ]ものの、実行に移そうというところまではなかなか行かない。ごく一部の人たちにはウケると思うのだが。オペラだけでなく、古典戯曲などを素材にした方がやりやすいかもしれない。
先日の雑記欄から「エンディング配置とその到達自由度について」を単独記事化。図表を追加したりしてみた。しかし、「こんなの誰が読むんだよ」「こんなの誰が楽しめるのか」「こんなのいったい誰が役立ててくれるっていうんだ」なのは相変わらず。このテーマは、2000年頃に好んで取り上げられてきたもので、結局のところ論者の知識の範囲内での――つまり狭い実例のみを想定した――恣意的な分類に終始してその理論的ポテンシャルを発揮することなく廃れていったと認識している。それにもかかわらずここであえてそのテーマに再挑戦したわけだが、1)脚本の次元を捨象したED基軸での分類視点を提起したこと、2)トップダウンの観念的な分類を提示したこと、の2点の意義はあるかと思う。
元々の動機として主張したかったのは、Ⅲ章の部分、つまり、質の高い攻略記事を作成するのはけっして単純な仕事ではなく、むしろそうした攻略記事を作成している人たちは高い水準でゲームを――ゲームのシステマティックな構造と物語構造の双方を十分に深く――理解しているものだ(そうでなければ出来ない)、ということだったのだけど。
そういえば榎津氏も眼鏡声優さんでしたか。実際にどうなのかは存じ上げないが、公式サイトのプロフィール画像(イラスト)が眼鏡を着用されているので。
このblggrにいったんアップロードした画像は、投稿編集で「削除」してもgglのサーバー上からは消去されず、ずっと保持されているようだ。なんか嫌だなあ。
2013/03/11(Mon)
同じ趣向の作品を立て続けにプレイしてしまったので、お次は毛色の違うのを模索中。4~5本に1本くらいのペースでSLGをプレイしないと落ち着かない、というのもある(――カウントしてみたら、既プレイタイトルの30%以上が非AVG作品だった。このリスト自体、不完全なままで、あまり正確なものではないが。EGScapeに登録してあるのも全部ではない)。
やはりキャスト情報こそが、何にも増してプレイ意欲を刺激してくれる。それだけですでに、作品の出来について、あるいはその意義について、あるいはそれを楽しめるであろうことについて、絶対の保障が少なくとも一つ存在するという理由からしても。キャストに一色氏や青山氏のお名前があれば、信頼できないわけがなく、期待できないわけがない。
松永氏と西田氏も、私の中でそういう高みにいらっしゃったのだが……。
2008~2010年頃は、特徴的な演出があると言われているタイトルばかりを新作旧作問わず必死で食い散らかしていて、それはそれで確かに現在の私を構成する血肉となっているのだけど、しかし最近では、なんてことのない普通のゲームで、しかし作品の目指すコンセプトに照らして必要な表現がきちんと盛り込まれているタイトルを、ただただ頬を緩めつつプレイするのが本当に楽しい。実際に、最近のゲームはそうした技術的な底上げが十分に進んでおり、表現の密度全体が昔のものとは桁違いになっている。もちろん「昔」の作品にも、つまり表現要素が絞られていた(技術的/環境的要因からして今よりもはるかに多くの制約と限界があった)頃の作品にも、それぞれ固有の美質はあり、それは2013年現在にプレイしても十分楽しめるものだが。
コンピュータゲームは、おそらく他の表現分野と比べても環境要因(の変化)によって強く規定される分野であり、それは表現内容に対してもしばしば大きな(技術的)影響をもたらしてきたし、また市場レベルでも淘汰と刷新の機縁となってきた(――メディアの現行規格から外れた旧作、典型的にはOS対応の失われたタイトル群が、市場から姿を消していき再プレイ困難になっていくのは、悲しむべきことではあるが、しかしそのことが同時に新作市場の活力を保持することに寄与してきたというのもまた確かであろう。近年、旧作の廉価DL販売がとみに増えているが、私はそれを手放しで賛美することには躊躇せざるを得ない)。
2013/03/10(Sun)
onomatope*の新作『ずっとすきしてたくさんすきして』……タイトルを見た時点で、てっきり『どこでもすきしていつでもすきして』(C:drive.、2008年)の続編かと思ったのに……。似たタイトルでは『まいにち好きして』(保住氏のデビュー作)とか『君と恋して結ばれて』(未プレイ)とかもありました。『キスよりさきに恋よりはやく』の対句的タイトルもなんとなく思い出したり。
【 エンディング配置とその到達自由度 】
→単独記事化した:「エンディング配置とその到達自由度について」
本格的に掘り下げたテキストではなく、構成もゆるいが、何かの参考になればと思う。
以前にある攻略サイトの方が『Chanter.』『Kanon』『イマ』等の推奨攻略順について書いておられたのを思い出しつつ。『Chanter.』では千歳を最後(true扱い)にすべきだ、といったことを書かれていた。
『3days』は、ループゲームの体裁を採っているが、最終ED型(上記2)ではなくて複数のEDに拡散して終わるところがちょっと面白い。三日間を繰り返すループシナリオが、ゲーム中盤でいったん単一の真相に収斂するものの、そこから再びヒロイン基軸の複数のEDに分岐していくという、いわば砂時計型の構成になっている。ループゲームとしては珍しい……のだろうか? しかも、収斂以前の部分のフラグの中のごく一部は収斂以後の分岐展開にも影響する(そのため、特定のフラグを取りこぼしていると、途中のセーブデータを取っておかなければそのプレイではコンプリートできなくなる場合がある)という、ややこしいトラップも入っている。ループ部分が(やむを得ないことだが)冗長でテキストは少々退屈、なによりグロ要素がありきたりだったので、再プレイしたい作品ではないが。
『とっぱら』は本当に奇妙な作品で、いったいどうしてこんな作品が2008年に出て来たのか、不思議でならない。この作品に限らず、『めぐひら』といい『おとぼく』といい『アリスマチック』といい『雨芳』といい、キャラメルBOX自体がビックリ箱的性格の強い奇怪なブランドだが。
00年前後から頑張ってきて有名タイトルを多数リリースしてきた(つまり「メジャー」だった)ブランドがいくつも、ここ3年ほどの間に急激に、なんというか、その、……しているのが寂しく感じられる。新作発売ペースが伸びたり、低価格路線に転向したり、主要スタッフが離脱したり、休止したり。キャラメルBOXも、xuseも、かぐやも、ROOT(Orbit)も、cycも、そしてLWも。circusも『水夏弐律』(2011/09)以降、PCでの新作を出していない。そのぶん、「元気な(新)ブランド」も現れているものの……。
うぐ……いつもの「もうとにかくなんでもいいからひたすらやみくもに力のかぎり(ツンデレの)ツン行動をしたくなる」発作が……駄目すぎる。
2013/03/09(Sat)
そういえば、PC-98版のFD4枚組で音声まで付いているというのは考えにくい。一部のシーンのみのパートボイスという可能性も、無くはないが。こうしたことは、実際に保有している(プレイした)方に直接尋ねてみるのが最善かと思う。必要だと考える場合(理由がある場合)には、じかにアクセスしてみるのもありだろう。私自身は、今のところゲームに関してはそれほどまでの必要に迫られたことは無いが。
今月発売予定の『くノ一小夜』が、「ゲーム」であることを放棄して堂々と「ムービー集」を名乗っていることに衝撃を受けた。が、同じブランドの旧作を遡ってみたら『全自動強制~』(2010)の時点ですでに「ムービー」と称していた。つくづくsofthouse sealのアヴァンギャルドっぷりは業界随一だな! わるきゅ~れの先鋭性が意識的に演出されたものであるのに比して、こちらの場合はどうも無自覚(天然)なように感じられるところも怖い。
『BRAVA!!』はスタッフ欄(「製品情報」欄)を見るまでAKINOKO.氏とは気付かなかった。不覚。
ファミレスには一度も入ったことが無いしファストフード店もまったく利用しないので、フィクションの中のそういう場面をどういう感じで捉えたらいいのかが分からず困惑することがある。中高生キャラ同士のデート描写だったらそういう店に入るのもありなのかなあ、とあまり深く考えずに受け止めているが、しかし例えば「初デートのランチで、ハンバーガーをテイクアウトして公園で一緒に食べる(※繁華街背景と公園背景の使い回しで済ませられるのは分かるが……)」や「牛丼の味がやみつきになったお嬢様(※というのがそのヒロインの中盤までの本筋展開)」というストーリーは、もっとマシな(そして美味しそうな)見せ方は無かったのかと思いはする。 そういう展開にすることで、そのキャラクターが親しみやすい存在になる(と期待された)のだろうか。
学生時代に知人に連れられて入ったM屋のお味噌汁だか豚汁だかが異様に脂臭くて衝撃を受けたせいもあると思うが。今でも憶えているくらい。体(胃)の弱い薄幸の美男の娘なので、ああいうのは無理なのです。
私がこれまでプレイしてきたPCアダルトゲームの中で、学園恋愛系の占める割合は24%。数えてみたら予想外に少なかった(※ここでは「学園内の学生同士の恋愛関係が中心であり、ダーク要素の乏しいもの」くらいに捉えている)。SLG/ACT系は約34%。あとは、ファンタジーものやダーク系が多い。ちなみに『メタモルファンタジー』は、学園恋愛系+SLG+ファンタジーのいずれにも該当するうえ主人公はぬいぐるみ(通常形態)という奇怪な作品。
「主人公がぬいぐるみ(などの、可愛くて無力な身体である)」というカテゴリーも面白いかもしれない。該当タイトルをいろいろふりかえってみると楽しい。ぬいぐるみ主人公の一つの大きなメリットとして、主人公を画面内に登場させやすい――ということは主人公の所作を立ち絵振り付けで表現する余地も生まれる――という点がある。作品コンセプトとの関係で見ると、ACT/STG作品で「男性主人公はぬいぐるみ=ヒロインがゲームパートでプレイヤーキャラとして戦う」というパターンがわりと多い(例:『メタモルファンタジー』『涼子ちゃん』『あおぞらマジカ!!』)。『淫力吸しゅ~!』の場合は、主人公(※コウモリ化した魔王)自身がSTGパートでプレイヤーキャラになったが。アダルトシーンとの関係では、終盤でようやく人間形態になってヒロインと結ばれるというタイプもあれば、触手変化して積極的にヒロインズを襲うタイプもあり、人間形態に戻るために(例えば魔力補給などの必要から)なんらかの仕方で行為を繰り返すタイプもある。
くしゃみが……おはにゃが……ふひゅー。
2013/03/08(Fri)
【 松田理沙氏とアドリブ 】
松田氏の「テキストよりも長い台詞」はいまだ健在。例えば鼻歌台詞では、テキストの倍以上の長さでひたすら「らららーふふふーん」と歌い続けるし、運動後の荒い吐息などでも、十二分に尺をとって息の続くかぎり「はぁ、はぁ……」と繰り返している。そのことによって台詞は時として、テキストの制約を超える瞬間の息を飲むような緊張感を獲得し、あるいはその息づかいに応じた迫真性を生み出し、あるいは適切な規模に裁断し直されたひとまとまりの頑丈なアーチを作り出し、あるいは演者にとっても視聴者においても納得するまで演じきられたという実感を手にすることになる。もちろん、そうした熱演はアドリブの許される箇所でのみ行われており、はっきりした言葉を発する台詞ではテキストを逸脱するようなことは無いが。
こうしたアドリブの名手というと、真っ先に挙がるのは青葉氏ではないかと思う。個々の台詞が置かれている文脈をきちんと理解したうえで、驚くほど大胆な表情づけを敢行されていることがある(――ただしこれも、台本から逸脱するようなものではない)。桜川氏も、台詞のニュアンスを最大限汲み出すために様々な「追加」(分かりやすい例では、大きな深呼吸の溜めを置いたり、舌打ちなどのアクションを追加したりする)を躊躇わない方のようであり、そのライヴ感溢れる芝居ぶりと相俟って、役そのものの――あるいは芝居そのものの――魅力が鮮やかに印象づけられる。上記の松田氏のそれがしばしば非常に孤独な世界での営為と感じられるのに対して、桜川氏のそれは開放的で人を引き込むような力に満ちている、といった違いはあるが。
他方で北都氏、ももぞの氏、大波氏のように、テキストに忠実な明瞭性を志向するスタイルも、もちろん非常に感動的なものだ。
その手掛けておられるイラストレーションはどれも趣味丸出しでべたべたと暑苦しく過激で淫猥でしばしば下品ですらある(その躊躇の無さと一途な徹底性はその趣味の方向性に共感するか否かにかかわらず敬服すべきものであるが)のに、メーカーブログではTOMA氏の自画像は温和で物静かそうな茄子頭の姿で筆書きで描かれているというそのギャップがなんだか面白い。
言うまでもないことですが、私はTOMA氏のファンです。
EGScapeには、ユーザーによる「タグ」付与機能がありまして(2011/04/30~)。以前にここで書いていた「傘キャラリスト」や「眼鏡主人公リスト」のような情報は、EGScapeのタグとして登録した方が(私にとっても他のユーザーにとっても)利便性が高まるのだが、一々タイトルを検索してタグ登録して(場合によってはコメントを置いて)いくのは、物理的にも心理的にも面倒で気が進まない。「女子寮」タグや「眼帯」タグは登録件数もかなり集まっているが、しかし仮に「ボードゲームシーン」「純白制服」などのタグを作っても関心対象としてマイナー過ぎるだろうから大多数のユーザーにとってノイズとなってしまう可能性がある。うるわしの傘キャラたちが「相合傘」タグ(登録数はわずか3件)と「和傘」タグ(登録数1件)に分裂したままなのはなんとかしてやりたいし、「帽子キャラ」「狐(妖狐)キャラ」「共通世界設定(クロスオーバー)」などの要素についてもいずれタグを作ってデータを集積しておきたい(――狐耳キャラについては「狐の出てくる作品一覧:ゲーム(18禁)」というwikiページが存在するが)。
2013/03/07(Thu)
そろそろ朱門氏の名乗りが「朱門、優。」に変化したりしないかと戦々兢々。
「かざみみかぜ。」氏や「丸ちゃん。」氏以上に、「ん。」氏ほどひどい名前は無いというのは以前にも何度か書いた憶えがあるが、いつどんな文面で書いたかを検索すること自体が難しいという……(※試してみたらtwlgは句読点も検索できる模様)。検索不能な(つまり多くの検索サービス等で検索文字として扱われていないかあるいは特別な操作を示すものとして解釈されてしまう)文字列で名乗るというのはありかもしれない。あるいは数式名前とか。たとえば時刻だったら「1:02am」氏、等式だったら「e=mc2」氏など。ある作品のデバッガに「?☆」という名前を目にしたこともある。「C:drive.」「D:drive.」というブランドも、chrome上で検索しようとすると支障が生じる[tw: 28097863036702720 ]が、末尾のピリオドを付けていればweb検索文字列として扱われる筈。
そういえば知人に連れられて「○△□」という桂の模型店に行ったこともある。趣味の良いお店だったが、隠語的に「おでん」とも呼ばれていたらしい。つまり「―○△□――」こういうこと。検索時は平仮名で「まるさんかくしかく」と入力すればよい。
社内メールをweb上に(tw等で)公に晒してしまう人って実在するんだ……。もしそれが本物ならば端的に社会人として失格だし、さらにそれがバカネタであれば自分の所属する会社にバカが少なくとも二人(メール発信者と本人の二人)いることをも露呈しているわけだし、もし嘘(作り物)であればネタのために実在する(とされる)他者を引き合いに出す行為自体が問題だ。真摯な内部告発と考えられる場合を除いては、その人物がまともであると考える余地はまったく無い。
私信の無断公開が顰蹙行為である(のみならず「プライバシーの侵害ないし人格権の侵害となる」可能性も生じる)のは、社内メールに限らないが。
たまひよ原画作品には、言動が非常識で「CV:みる」で(鼻が無くて)小柄なキャラクターがいてくれないと、やはりどこか落ち着かない(――そういえば『まじかるまりん』も、たまひよ氏の絵だった)。
【 オタ(わたし)には向かない職業 】
オタク趣味(あるいは趣味全般)を安定して営むのに適した職業(生活設計)とは、どのようなものだろうか。1)収入。多いほど良いというのはこの問題に限らないが。2)勤務地等。イベント参加が多い場合は大都市圏が良いが、通販中心で済ませられるなら郊外の広い部屋を持つのもあり。いずれにせよ、転勤の多い職業は不都合だろう。3)勤務時間。趣味生活の時間を確保するため、できるかぎり定時退勤が望ましい。イベント等のために有給休暇をとりやすい職種であることも重要。4)地位。分野にもよるが、目立った公的地位を持たない方がよい。
総合的に考えると、地方公務員で比較的余裕のある分野に就くのが最も無難ということになるように思われる。
会社員は「多忙」「出張」「転勤」のリスクがある。「関東への出張が多い」という場合にはプラスに働く可能性もあるが。全国展開しておりかつ転勤が頻繁に行われる職(例:郵便事業、裁判官)では、転居のコストが一般人よりも嵩むだけでなく、長期的な趣味生活設計が難しくなるし、趣味の存立自体が危ぶまれる場合すらある(例:模型/フィギュア、オーディオ、TVアニメ視聴)。一部の活動は、副業禁止に抵触する場合もある。繁忙期のある(ということは閑散期もある)仕事が好ましいかどうかは、当人次第、趣味次第だろう。
自営業やSOHOワーカーは時間の融通が利くことが強みだが、生活時間全体が圧迫される可能性がある。また、不幸にして周囲からの偏見に晒された場合(つまり「やらかしちゃった」場合)に脱出困難という意味では、店舗持ちの自営業はリスクを伴う。士業等の専門職も基本的に事情は同じだが、技能や資格を習得するために若年時の余暇時間を大きく奪われる可能性がある。千差万別なので、十二分な好条件になる場合もあるが。ただし、顔や名前を露出する職業や、周囲から注目を受けやすい職業はNG(政治家、芸能人、医師、教師、スポーツ選手など)。万一のことを考えると、冠婚葬祭に関わる仕事も避けた方が無難かもしれない(――了法寺のような例もあるとはいえ)。
その他。海外ツアコンのような長時間拘束のある仕事もつらいだろう。勤務時間が通常と異なる業種(例えばホテルスタッフ)は、日中に自由時間を持てるという意味ではアドヴァンテージがあるかもしれない。仕事に趣味関心を持ち込める可能性があるという点では書店員や出版社勤務も考えられるが、特に後者は競争が激しい。それならいっそ図書館員を目指す方がよい。身体や視聴覚にダメージを負う危険のある業務も避けなければならない(――長期入院のリスク。声優ファンであれば耳の保護、モデラーであれば手先の保護も重要)。立地条件(アクセス)等が良いならば、農林業もありと言えるのだろうか。主婦は、いくつかの難点はあるものの、全体的にみれば有利な条件だろう。
……人生の進む道を少々間違えたかもしれない。しかし、上記の理想的条件:「一つ処に居を構え、残業等に駆り出されることも無く、退勤後は仕事上のことをすべて忘れて趣味に専心でき、しかも趣味生活を維持できる程度には収入が安定している」というのは、随分恵まれているような、いやそれほど難しくもないような、わりと微妙なところかもしれない。
最近のプレイスタイルは、一本ずつコンプリートしきってから次に行くようにしている。コンプリートしなかった直近のタイトルは、攻略人数が多くてシステムのだるい作品を途中放棄したものと、古い作品で特定のEDが見つけられなかったもの。さらにその前が、白箱系タイトルのつまみ食いプレイと、周回要求のきついSLG作品。むしろ昔の方が頻繁につまみ食いをしていた(――自力プレイで詰まった時にも、攻略サイトが発達していなかったためもあるが。とりわけF&Cには申し訳ないことをしていた)。ただし一般論としては、ユーザーがオールクリアに汲々とする必要は無いと考えている。極端な例だが、たとえばライターの丸谷氏は、ヒロインに操を立てるために各タイトルで一人しか攻略しないらしい(――中目黒ラジオの第何回だったかでディレクター氏がそう語っていた)。分岐構成を伴う読み物AVGの場合には、そういうプレイスタイルもあってよいと思う。
【 読心能力を持つキャラクターたちとその表現 】
なんらかの形で他人の心や思考を読むことができるテレパスキャラクターというと、『DEEP VOICE』『SEVEN-BRIDGE』『カルタグラ』『鬼神楽(及びその後継作)』『るいは智を呼ぶ』『らぶKISS!アンカー』あたりがある。これらの他にも、他人の思考を読むコメディ表現は非常に多いが。
主人公による読心。『DV』では様々な言葉が(実際に画面上に)浮き上がって視えるし、『LKA』では立ち絵に被さるオーラの色として他人の感情が判る(――本雑記欄2013/2/12付で書いたとおり)。読み取られたそれらの言葉や感情は「正しい(本当であり、本心である)」ことが保障されているが、その保障を提供しているのはゲームとしての公平性の観念であろう。たとい読み物AVGであっても、プレイヤーの選択行動に影響する要素をゲームの側が意図的に偽って提示することは通常アンフェアと見做されるからである。『SB』では、テキスト(実際に発した言葉)と音声(内心の言葉)の二重表現という形で、内心の声の捉えがたさと主人公の脳裏に否応なく響いてくるその圧力とを同時に表現していた。ともあれ、三者三様に特有の演出を凝らしているのが興味深く、そしてテレパシーを表現するそれらのシステムはまさに物語表現と読心能力設定とプレイヤーとをその特有の手つきで媒介する「インターフェイス」として機能している。
他の登場人物による読心。以上三者はいずれも主人公が読心者であるが、『るいは~』『カルタグラ』のそれは主人公ではなく、それゆえ主人公(≒PL)からはその読心過程はブラックボックスとなる。『るいは~』の読心能力は、特別のデメリット(違反してはならない「呪い」)と対になって与えられていることが、ギミックとして効いている。『カルタグラ』では、直接接触(例えば握手)すると相手の心が読めるというキャラクターが、ストーリー上きわめて重要な役割を担っている。『鬼神楽』の敵妖怪キャラクター「サトリ」は、他人の心が読めるため、SLGパート上でPL側からの攻撃を必ず回避するという特性を発揮する(――ただし、サトリは一度に一人の心しか読めないので、同一ターンに複数ユニットが連続攻撃を仕掛ければ2発目以降は命中するようになるというユニークなシステムになっている)。
その他。超自然的な能力乃至存在による読心としては、例えば『Chu×Chuアイドる』や『ドラクリウス』には、吸血し下僕化(眷属化)した相手の思考はすべて読めるようになるといった設定があったような、無かったような……。遡れば『雫』の「電波」能力や『痕』の意識共有能力にもそれに近い側面があったし、自分の思考を相手に伝えるという点では『うたわれるもの』の63もこれに含まれうる。『オルタ』の脳髄彼女はどうだったか。他にもまだいろいろあったような気が……。「手を触れたら思考が伝わってくる」くらいの超自然的現象ならかなり多いだろう。
web検索してみたら、『ちょ~イタ』『凌辱学園長/奴隷倶楽部』『クレプシドラ』『満淫電車2』『クオリアフォーダンス』『はぁ・はぁ・テレパス』にも該当する要素がある模様。
……ここで『ちょ~イタ』(Liar-softのデビュー作)が姿を現すのか!と驚いた。
ゲームにおける「システム」と「インターフェイス」を、あるいはそれらの言葉を手掛かりとして、どのように考えることができるか。暫定的かつ大雑把な直感的理解を言葉にしてみるならば: ゲームはデータとシステムの複合体であり、システム(ゲームを進行させるために設計されたルール[コード]の体系)はそれ自体ゲームの一部としてデータ(オブジェクト)をプレイヤーに向けて特有の形に整備して提示するための解釈的パーツであるとともに、プレイヤーのアクションと相互作用するための機構でもあり(つまりプレイヤーにとってはゲームに介入するための道具でもあり)、そのような双方向的構造としての「(ゲーム)システム」を機能的に呼称する抽象的な概念を「インターフェイス」と呼ぶ(あるいはその機能性はインターフェイスとして捉えてしまうことができる)。そしてゲームにおいてはゲームの第一次的対象であるデータを解釈するメタ要素がそれ自体すでに常にゲーム自身の中にその一部分として内在化されつつその都度プレイヤーに向けて提示されているとも言え、また裏を返せばプレイヤーの認識枠組形成それ自体がゲームの側にあらかじめ形式的構造的に引き取られて外在化されている(映像作品がカメラによってあらかじめ支配されている以上に、ゲーム作品[の受容]は不可避的/不可抗的インターフェイスであるシステムによってあらかじめ支配されている)とも言いうるのではないか。おおむね以上のような見方になるだろうか。SLG系ゲーマーとしての視点にいささか傾斜しているかもしれないが、このような二層構造的理解は現代の読み物AVGにおいても原理的に通用するだろうと考えている。
……と、先日言及した『クオリアフォーダンス』ってそういう設定の話だったのか!と今知ったところ。最近は、メーカー公式サイトの新作紹介コーナーを訪れても、(最初に目に入るキャラクター画像はもちろんとして)キャストとスタッフ欄を確認するだけで満足してタブを閉じてしまって、ストーリー紹介欄や体験版は全然見ないので……。下手をすると発売日すら、ろくに見ていなかったりする。
あらためて公式サイトを見てきたけど、テキスト表示が横39文字というのは非常に見づらいし見栄えも良くない。このレイアウトに対する無頓着さはminoriと同じ轍を踏んでいる。むやみにテキストセンタリングしなかった点はマシだ(※センタリングさせると、テキスト開始位置が毎回変化してしまうので、可読性が落ちる)が、しかしフルアニメーションで口パクさせているのなら発話者欄は表示させない方がきれいだろう。age作品もそうだが、擬似字幕型テキストに発話者欄が付着しているのは居心地の良いものではない。
2013/03/06(Wed)
一枚絵とテキストは普段と同一(バンクシステム)だが、BGMだけは直前のシーンを引き継いで深刻なものになっていることが、その場面ののっぴきならなさをプレイヤーの印象に刻みつける。
技術的には単純なものであっても、特有の意味を明瞭に表すための様々な手段が、こうしてAVG表現の中に取り込まれ活用されていく。それらは部分的には――経験上は実に多くの部分が――他分野の既存の手法を参照しており、総体としてはAVGの視聴覚表現は雑種的性格が強いが、しかしAVGの表現枠組の中で特有の手触りを持つことになるし、さらにAVGに固有のメカニズム(例えば一枚絵の固定性、話者欄表示、立ち絵システム、等々)を手掛かりとする表現も無数に開発されている。
兼ね役のモブキャラ台詞でさらに声色を変えていても、金田氏の巻き舌芝居は2秒で判る。「2秒もかかるのか、遅いよ」と言われるかもしれない。大波氏のお声だったら1秒台でいけると思う。
2013/03/05(Tue)
【 パッケージ表面のキャッチコピー 】
パッケージ表側にキャッチコピーを記載しているタイトルは、あまり見かけない。一定数存在しはするが、全体としては珍しいのではないかと思う。「そうした情報は裏面に送り込めばよいから」なのかもしれないし、「パッケージアートの魅力はできるだけ阻害しないように」という配慮なのかもしれない。もちろん、対応OSや同梱特典情報、あるいは「ジャンル名」なども通常表側に記載されるが。
CC記載派としてすぐに思いつくのはWhirlpoolとApRicoT。『桜花センゴク』のCCはコンセプトを端的に示しており、これはあって良かったと感じられた。『ドラクリウス』のどれかのヴァージョンも「覚醒はさだめ~」の文言を入れていた。名高い『うち妹』(無印版/純愛版の双方)にも、「世界一のお兄ちゃんになりたいあなたへ…」という挑発的なテキストがある。
それと対照的なアプローチは、例えばLWの『聖剣』『SCF』ではタイトルすら片隅に小さく表記してパッケージアートの力を最大限発揮させているし、IGの『虚ノ少女』に至ってはパッケージの表裏どちらもイラスト以外の何も置かれていないという徹底ぶりだった(――ブランドロゴすら、側面に追いやられている)。LWは『RL』『少女魔法学ep』では箔押し装飾まで施して意匠を凝らしたパッケージデザインを試みているが、それらはあくまでデザインの一部として取り込まれており、デザインから浮くような情報(対応OSやCC)は極力排除されている。
戦略としてしたたかなのは、かぐややEscu:deが採用している帯方式だろう。とりわけEscu:deのそれは、明らかにキャッチコピーを強調するために帯が掛けられていることが見て取れる。紙帯は、冊子同梱などの実用目的でも使用され得る(――ただし、帯を破いたり無くしたりしないよう、パッケの扱いに気を使う必要がある。面倒なら帯は外してパッケの中に収納してしまえばよい)。
いずれにせよ、パッケージデザインも作品の一部である。そして、DL版では残念ながら楽しむことのできない、パッケ版に特有の価値である。
【 低速スクロールそのほか 】
低速スクロールの十分な実装が果たされたのはいつ頃だろうか。私個人の経験した範囲では、2007年の『明日君』(エンジン:CMVS)、『片恋い』(STUDIO SELDOM Adventure System)、『ピリオド』(FFD)が衝撃的だった。同年の『はっぴぃ☆マーガレット!』(FVPS)にもあったように思うし、前年の『オルタ』(rUGP)も実現していたかもしれない。その後、2009/2010年頃からは多くのタイトルで標準的な演出機能として普及している。遡ってみると、『MERI+DIA』(2005)の多重スクロールでは低速部分がまだガタついていたのを憶えている。「最初」がどれであったのかはともかく、技術/技法として一般化したのは2007年頃と見てよいかと思う。制作者サイドの方から、以前に[tw: 6404265371246592 ]こういうご示唆をいただいたことがあったが、現在のPCゲームではこの困難は技術的にほぼ解決されていると述べてよいだろう。
スクロール操作だけでなく、画像のスムージングに関わる同種の問題であるズーミング時処理(※FS対応時の問題も含む:cf. 「エロゲについてのあれこれ」内の記事「Windows Vista/7での画面拡縮処理時のスムージング問題」)、(主に立ち絵輪郭の)ジャギー解消、テキストフォントのアンチエイリアスなど、この分野では画像処理の問題は作品のクオリティに直結するものとしてきわめて重要であり、実際に様々な仕方で解決が図られてきており、そして獲得された技術はさらに多様で豊かなゲーム表現を可能にした。ALcotやTMの近作(※ちなみにどちらも吉里吉里2)も、そうした技術的達成の裏打ちがあってのものだろう。
【 評価のプロセスについての雑感 】
最近になって気付いたことだけど、普通の人は何かを率直に褒めたり称賛したりすることに対して控えめに振舞っている(あるいはもしかしたら慣れていない)のだろうか。私は、ここでも実生活上でも、良いと思ったものは良いと言うし、頑張った人はすぐに褒めるようにしているし、むしろそうすべきだとすら考えているのだけど。もちろん、安っぽい称賛や空疎なお愛想を言うつもりは無いので、称賛に値する理由を明示するように(そして明示できる時だけ)そうするようにしている。そして、同じことは何かを嫌う発言をする場合にも当てはまる。称賛の言葉についても罵倒の言葉に際しても、それらが最大の効果(最大限の正当性と最大限の説得力)を持つために、できる限りそうするよう努めている。言い表しようのない感動の瞬間もあるが、それはそれで喜ばしき敗北として受け入れるべきものだ。
ただし、称賛を肯定するからといって、減点法評価をひとしなみに否定するものではない。例えば、障害を避けることが重要である場合(隙があってはいけない場合)や、明確かつ客観的に測定可能な到達目標が存在する場合には、減点法のアプローチは必要性があるし効率的でもある。創作物においては「唯一/絶対的/普遍的な正しい価値乃至到達目標」は存在しないので基本的に減点法は無意味である――だから原則的には「その作品にはいかなる美質があるか、いかなる新機軸を提示したか」が重要になるし、作品に対する最良の解釈とは「その作品を最も良いものにする解釈(つまり対象を可能なかぎり優れたものにするように構成する解釈)」だと考えている――が、例えばゲーム作品のUI評価のように客観的な基準で比較可能でありかつ共有された到達目標が明確である場合には、局所的にそうしたアプローチが成立する場合はあり得るし、また例えば商業ゲーム作品に対して特定の嗜好品的側面の存否乃至程度を評価する場合にも、同様に要求充足度の減点法式視点は無視できないだろう。デバッグももちろん同様。教育(※未成年者に対する学校教育に限らない。とりわけ技術や知識を習得させる分野)においても、到達度評価は基本的に減点法の形をとることになる。それを否定するのは不合理である。
[ http://defr4gment.blogspot.jp/2013/03/blog-post.html ]こんな記事を読んだりしつつ。
『僕が天使になった理由』、よく見たら眼鏡キャラが6人(女性4人、男性2人)もいるぞ! しかも眼鏡声優の鈴田氏と上田氏もキャストされてるし!
【 黒箱系における演出の不要性? 】
性描写要素の比重が大きい黒箱系タイトルについては、演出不要派の立場はそれなりに理に適ったものだろう。そうした作品のユーザーにとっては一枚絵進行によるアダルトシーンこそが重要であり、そしてアダルトシーンでは絵と音声こそが重要であってそれ以外の演出の介在する余地は小さい(と考えられがちだ)からだ。だから、「立ち絵+背景シーンの演出に凝るだけの余裕があるならばその分のコストを価格低下やシーン数増加に振り向けてほしい」という要望が出るのは理解できる。とはいえ、1)プレイヤーを引き込むための演出が一切不要であるということは意味しない(物語に導かれてこそのベッドシーンだいう主張もある)し、2)それは「演出」概念を過度に狭く捉えたうえでの批判だし、3)実際にはBGV(背景音声)、テキスト表示形式変化、局部拡大演出、カットイン追加、多様なコンフィグ設定(例えばクリックによる音声カットの有無)、等々、そのために有効なものとして開拓されてきた技法も多い。音声のキャラクター個別設定(音量設定やon-off設定)も、そのためのスクリプト作業のおかげで実現されているのだし、アダルトシーンでテキストボックスが画像を遮蔽しないためのテキスト表示スタイル変化もその目的のための発案だ。CLOCKUPのシステムも、そのためのメカニズムとして見て非常に面白い(――演出論Ⅳ章1節でもごく簡単な整理を試みたが、詳しい方ならこれについてももっと幅広く精緻な議論を展開できる筈だ)。
2013/03/04(Mon)
……こ、これは……名画すぎる……しかもそのうえ「CV:みる」とは……。この直前の、登場時の「にゃ~ん♪」の瞬間も甲乙つけがたいが、ここでは稀少なダブル眼帯の瞬間をば。
ゲームデザイナー/ライターの籐太氏は、そのキャリアの初期はEscu:deに属して『メタモルファンタジー』や『JO』といったSLG系タイトルを企画主導しており、しかもその中には複雑な体系的フラグ管理を必要とする調教SLG(AVG)作品『LLD』の企画も含まれているので、それまでに辿った選択肢をフラグ参照してイベント差分を演出的にコントロールするのはお手のものと思われる(――『LLD』自体は、まさにそのイベント進行条件が晦渋すぎてコンプできなかったが)。『AYAKASHI』のような熱いシナリオも書かれるし、『メタモルファンタジー』のようなバカゲーテキストも上手く、『LLD』のように大量のアダルトシーンを書ききる体力もあり、企画の立案/主導も多数こなしておられる、多才万能な脚本家としてずっと注目しています。
同様に、e.go!の寺岡氏を高く評価しているのも、イベント群を体系的にコントロールする手腕を含めてのものだ。寺岡氏が『WD』や『マジカ!!』のようなザッピング(あるいは多視点的)シナリオを得意とされているのも、イベント群全体を把握し制御する能力があってのことだと思う。
【 写実を超える声:一枚絵表示時の「掛け声」演出 】
ゲーム進行の中で新たなキャラクターが一枚絵とともに登場する際に、格好をつけたセリフ音声をテキスト表示無しで(おそらくSE扱いで)発するという作品があった。そのセリフは当該作中状況下で特定の誰かに向けて発した会話台詞とは考えられず、それゆえもっぱらプレイヤーの前で自己を披露するための演出と見做される。格ゲーのキャラ選択決定時の音声やSTGのゲーム開始時の台詞と通底するセンスであり、あるいは(昔の)アニメや古典芸能にもこれに類する様式的表現は存在するが、AVG作品の中ではおそらく非常に稀な演出であり、そして実際にその一枚絵出現のインパクトを際立たせつつそのキャラクターの魅力と存在感を一息に印象づけることに成功したユニークな表現だと感じた。何度でも繰り返すが、ゲーム表現は――あるいはほとんどすべての創作的表現は――、現実性(リアリティ)を自己の説得力のために利用することは出来るが、必ずしも現実性に服従する必要は無く、そしてそのことをこの掛け声演出ははっきりと例証している(――ただし、例えば建築では技術的/物理的に実現不可能な建物の設計図を描いても仕方ないし、ミステリでも現実の諸法則に反するトリックは強い非難を受けるかあるいは「バカミス」と呼んで別枠扱いされるであろう)。
改装前当時の阪急梅田コンコースを訪れたことはある。私にとって「映画観賞の先達」と呼ぶべきある人と一緒に歩いていて、映画『BR』の撮影に使われた際の話をしてくれていた。映画についての立ち入った話はあまりしなかった(当時私はまったく初心者だったのでろくな話が出来なかった、というのが正確だろう)が、たまに「良い映画を借りてきたからうちで一緒に観よう」と誘われてそこで時間を過ごしていた。つまり、方法論を教え込まれたということは無かったし、個々の作品を積極的に紹介されたということも無かったのだが、私が尋ねたり持ちかけたりする話に対しては広い視野で的確に――的確だったと思う――応えてくれた。そして、私にとって、趣味に関わるコミュニケーションのあり方の、とりわけ優れた見識を持つ人物が周囲(の相対的に未熟な人々)に対して持つべき態度、行うべき行動、取るべき距離感の、一つのモデルとなった。私はその真似をするつもりは無いし、そもそもそんなことが出来るほどの立場ではないが、まあ、モデルとはそういうものだ。
演出的技巧開拓にしても先日来の脚本長大化の件にしても、それらを否定的に捉えている人たちの発言はしばしば、制作者たちの内発的創造性を微塵も信頼してないよね。目先の売上げだけを考えている人たち、ただ儲けたいだけの人たちが、ここまで意欲的な実験を試みるわけはないのに。ここ十年来、延期やバグを茶化すことから始まってその偏見をひたすら凝り固まらせていった、ゲーム制作者を見下す一部の風潮は、深刻に反省を迫られてしかるべきだ(――とはいえ、私もさすがに『おま天』はネタにしたが)。全体的にみると、一定の非難に服すべきものと正当な評価を受けるべきものとの間の線引きが誤ったところに敷かれているように見える。
PCゲーム中心で活動されている現役声優で最もキャリアの長い方というと、歌織氏(EGScapeによれば1994年発売の『アラベスク』がデビュー作とされている。以下同様)と、ダイナマイト☆亜美氏(1995年の『デュアルソウル』)、大波氏(1995年の『魔女狩りの夜に』)になるだろうか。96年以降、90年代のデビューで現在もPCゲーム声優としてのキャリアを継続されている方は20人以上いる。
「現役」の基準は、ここでは仮に「一年以内(つまり2012年3月以降)に新作PCゲームの仕事が出ている」と捉えている。もちろん、(PCゲーム以外の)役者としてのキャリアはさらにそれより長い(早い)という場合もいるだろうし、PCゲーム中心ではないが出演歴のある声優の中にもキャリアの長い方は多数おられる(――例えば『同級生』シリーズや工画堂初期作品のキャスト陣)。
それにしても大波さん、こうして見ると業界最古参クラスだというのにあの気取らなさは……。
2013/03/03(Sun)
松田ヴォイスの魅力は、何によって説明できるのだろうか。例えば、誰が聴いてもはっきり分かるほどの卓絶した技巧を披露している(例えば一色氏)というわけでもなく、あるいは朗々たる美声(ももぞの氏)や耳心地良い特徴的な節回し(月城氏)をアピールしているというわけでもないのに、その演じた役は何故かいつも妙にキャラが立つ。役柄も、高貴な地位のキャラクターでは圧倒的な雰囲気を振りまくし、いわゆる「小動物」的キャラクターも見事にはまるし、奇人芝居もわりと聴き応えがあり、役者としての正体をなかなか掴ませないまま、いつの間にか聴き逃せない存在になっている。
今でも「木葉楓」というお名前に特別な魅力を見出しているゲーマーはいる筈。
同じネタの反復(「天丼」)は構わないし、パロディものもそれはそれで結構。しかし、同じ趣向のパロディを繰り返されると一気に白けるのは何故だろう。>『なつくも』予約特典
【 純愛/鬼畜の両輪戦略をめぐる雑感 】
[tw: 307991007398604800 , 307991631909502979 ]:一本のタイトルに「純愛」と「鬼畜」の二つを盛り込むことが難しいなら、「純愛な鬼畜」を描けばいいじゃない(Black Cyc)。あるいは、いっそ開き直って黒白斑模様のまま進めてしまうこともできる(e.go!の『神楽』シリーズ。『ライディ』も)。
たしかに、白箱系タイトルにきついBad EDを入れるのは歓迎されないだろうし、黒箱系で白要素を入れると「不徹底」「日和り」との謗りを受けてしまう可能性があるので、両面戦略は難しくなっているという現状のご説明は理解できる。伝奇/ミステリの影響下で、ダーク要素に対する期待は「ヒロイン蹂躙」によってではなく対決シーンの緊張感によって満たされるようになっている、といったような事情もあるかもしれない。
上で挙げたブランドがいずれもSLG系ばかりなのは、おそらく非常に複雑で多面的な事情がある。例えば、「SLGではPLの選択余地が広くなる」というだけでなく、「PLの選択余地が広いのがSLGだという観念がある」、「SLG+AVG表現が持つ特有の抽象度の高さが、そうした振れ幅を受け入れるキャパシティを確保している」、「萌え要素とダーク要素のどちらでもなく『ゲーム性』要素を基盤として企画が(商業的に)成り立っているので、萌え要素とダーク要素双方に対する態度決定に柔軟性がある」、「ゲーム進行(物語進行)がキャラクター基軸にならないので、個々のキャラクターの扱いに自由度がある」、「サブキャラを大量に出せる」、「調教SLGなどの歴史的伝統がある」といった側面があるだろう。
AVG作品では、『はなマルッ!2』のような奇手もありはするが、一般的にはなかなか実行できないだろう。しかもそれは2013年現在だけの話ではなく、例えば『とらハ』(1998)のBad ED――襲撃者たちによって忍者ヒロインは蹂躙され主人公は殺害されて終わる――も当時は驚きをもって受け止められていたようだ。『斬死刃留』(大量のBad EDを逃れた果てにHappy EDがある)も良かったのだが、よりいっそう徹底的なKAIに主力が移ってしまったようで、少々残念。やはりここはSkyFishとInnocent Greyに期待を寄せるしか。
『Qualiaffordance』ってどんなのだっけ、と公式サイトでキャラクターページを開いた瞬間、思わず「あーっ」と声が上がるのを抑えられず、そして心拍数が急騰しました。木村さん主演じゃないか! このキャスト欄の一行を目にすることが出来ただけでもう今日この一日を生きた甲斐があったと思えるくらい嬉しい。
【 様々なプレイ補助機構の可能性と問題 】
[tw: 307772344636686336 , 307774171792936960 ]:これは私にとっては最悪の方向性。
ダイジェストモードについて。CG制覇だけでなくテキストも完全読了したい人というのも少なからずいて、そしてそういう人たちにとっては本編モードと要約モードは二度手間に過ぎず、しかも要約モード制作の分だけ本編のコストが削られるわけだから、単なる重複どころか損になる。趣味のために「時間が無い」などと不平を漏らす人たちのために、そのような損を被りたくはない。ダイジェストだけでプレイして何の意味があるのかと問いたい(――粗筋を知るだけで満足するような人は、ストーリーまとめサイトでも漁っていればいい。そのような人々をメーカー自身がわざわざ身銭を切ってフォローする必要などあるだろうか?)。SLG/RPG作品に粗筋機能を提供するのは理に適っている(行動ログや目標メモなど。例えば『TO』の「ウォーレン・レポート」や3DS版『DQ7』のあらすじ機能)が、読み物AVGに粗筋モードを付けるのはそれとはまったく意味を異にする。もちろん、ユーザー支援のためにメーカーが出来ること(実行する価値があること)はいくつもあるだろう。例えば章構成や章題表示を採用して全体展望を把握しやすくしたり、アニメ型の「予告/粗筋」システムの中にそうしたサポートを内在化させたり、フローチャートや選択肢補助などのプレイ補助機構を導入してユーザーの負担とストレスを軽減したりと、様々な処方が現になされているし、それらは実際にPCゲームの可能性を増大し展開することにもつながっている。
進行度表示について。「分量が分からない」というのは、むしろデジタルメディアとしてのPCゲームの長所の一つだと考えているので、既読量把握メカニズムは無い方がよい。オチのタイミングが事前に分かってしまったら味気ないと思う。これは私個人の価値観でもあるが、しかしコンプリートを(過剰なまでに)意識しがちなPCゲーマーたちに対して、このような機能はプレイ遂行上の重荷となってしまう可能性がある。可読性促進のためのメカニズムの一環としての有効性は理解できるのだが、個人的にはいささかアンビヴァレントな評価にならざるを得ない。
流し読みモードについて。画面表示を省略してテキストのみで読み進められるモードも、AVGの長所を放棄する行為だと考えている。実際、現在のAVGのテキストが、そのテキストの魅力だけで他の既存のテキスト特化メディアの品質と対等に渡り合っていけるかは疑わしい(※単なるクオリティの問題だけでなく、AVGのテキストは画面/音響表現を前提とした作りになっているからという事情もある。双方のモードでの品質を両立させるのは難しいだろう)し、そうした流し読みモードだけで読み飛ばされて「PCゲームの品質はこの程度か」と思われたら、長期的にはかえってユーザーが離れていく危険すらある。AVGが「BGMの付いたデジタル小説」の形をとることは、AVGの武器を手放しつつ既成のテキスト専業メディア全体と比較されてしまうことを意味するが、そんな戦場でどうやったら勝算が見出せるというのか。流し読みモードは携帯機画面であれば有意義かもしれないが、落ち着いたプレイ環境の整えられたデスクトップディスプレイでは事情が異なるだろう(※――演劇の台本、アニメのコンテ、音楽の譜面、TRPGのリプレイ小説など、類似のものは存在するが、しかしPCゲームが製品版自身の内部にそれを正式なものとして取り込んで良いかどうかはやはり別問題である)。
全体として、もしもこの一連のご発言のようなメカニズムがすべて実装され普及したなら、PCゲーム(AVG)分野は、色気を失った要約テキストをただつまみ食いで消化していくだけのつまらない世界になってしまう。ユーザーたちの萌えの熱量によって成り立っているこの市場で、その熱量を逃がしてしまう道をメーカー側が積極的に後押ししてどうするつもりなのだろうか。こんな仕様がまかり通る世界になったら、その時こそ私はPCゲーマーであることをやめるかもしれない(※――要約モードはすでに実例があるが)。
ついでに書くと、この方が以前から繰り返し提案されているテキスト検索機能についても、私は否定的に見ている。「プレイする行為」「読む行為」を決定的に破壊しかねないという意味で。全文検索機能は、社内のデバッグモードのみにとどめていただきたかった(――余談になるが、個人的には、表示されるテキストのクリップ機能があると便利だと思う。これこそむしろ、メーカーには嫌がられる機能だろうけど)。
PCゲームにおいては、機能は「多ければ多い方が良い」とは限らない。
昨日からたまたま立て続けに異論を唱えてしまっているが、wtnb氏個人の実績と見識には常々敬服しつつその発言を拝見している。ことわるまでも無いと思うが、念のため。
「PCゲームは長すぎる」というテーゼが、誰もその言葉に責任を負わないまま、幽霊のようにメーカーを縛ろうとしているように見えて、ここ最近のweb言論とそれに対するメーカースタッフの動向はちょっと怖い。偏見の可能性を圧してあえて言えば、その主張は実際にはもはやほとんどプレイしていない層が自己の怠惰を言い訳するために提起している理由づけに過ぎずしかもその層はノイジーマイノリティでしかないのではないかとすら疑っている。
ただ手っ取り早く済ませたがる人たちは、小説でも哲学書でも映画でも、(一時期流行した)「あらすじ本」だけ読んでろという話。
2013/03/02(Sat)
【 PCゲーム市場の特殊性? 】
以下、ほとんど自分の想像のみに基づいた、思考実験のような話ですが。
私が持っているイメージでは、PCゲーム以外のアダルト市場(ゲーム/漫画/雑誌/アニメ/実写映像/フィギュアなど)は、1)アダルト要素を含まない同種商品よりも(質は高くないのに)かなり割高で、2)発売から時間が経過しても値崩れしにくく、3)中古市場も極端に小さくかつ値崩れしにくい、と思い込んでいるのだけど、実際はどうなんだろうか。そういうところに近づくのは気が引ける、というか怖いので実際に調べに行くのも躊躇しているのだけど。
1)については、おそらく漫画が典型的であるように、売上規模が桁違いなので、価格も高めに設定せざるを得ないし、品質(※印刷や製本など)もあまり高くできない。また、供給元の限定された狭い市場なので、競争による価格下落も機能しにくい。/ただしPCゲームは、様々な経緯があって非アダルト市場が極端に小さい(あるいはアダルト市場が十分に大きいor大きかった)ので、割高感が意識されない(あるいは割高かどうかという判断が成立し得ない)。そもそも8800円という現在の一般的な価格設定が、嗜好品商品としてはすでに頭打ちになっているという側面もあるかもしれないが。
2)について。一般的には、ポルノメディアは流行や話題性の影響を受けない、あるいはそのような要因があまり大きくないため、新作でない商品でも価値が下がるということが基本的に無いと思われる。ただし、発売タイトル数が膨大であるならば、旧作は新作に押されてどんどん安値化されていくだろう(――その種の漫画や実写映像作品の毎月の発売タイトル数がどうなっているか、需要に対して多いのか少ないのかはまったく知らない)。/それに対してPCゲームは、特に白箱系タイトルでは、売れ残った商品が大幅な値下げ販売されることがけっして稀ではない(いわゆる「ワゴンセール」化)。この現象を的確に説明するのは難しく、またそもそも一義的な解答(単一の原因)は存在しないのではないかと思うが、話題性が売上げを左右しているというのは事態の一つの側面ではあるだろう(――その他、初動以降のセールスがほとんど見込めなくなるという奇妙な特性や、物理的にパッケージサイズが大きすぎるため在庫保持負担が掛かるという事情なども関連しているだろう)。白箱系においては、ポルノ要素のみにとどまらない、嗜好品要素の比重が大きいという事情が、この値崩れに影響しているという想定が正しいであろうことは、黒箱系タイトルが(中古でも)値下がりしにくいという事実からも補強される。ただし、乙女/BL分野の作品は旧作や中古でも値下がりしにくいが、こちらは市場が小さすぎるためかと思う。
3)について。一般的に、アダルト商品の中古市場は非常に小さいのではないかと思う(――実情はまったく知らない)。新作市場自体が小さいこと、上記2)と同じ事情で値崩れしにくいこと(つまりあえて中古で購入するメリットが無い)、他人が「使用」した商品は中古でも売りにくいであろうこと、等々の事情が考えられる。/他方でPCゲームは、新作市場がそれほど小さくなく(?)、上記2)のとおり初動以降は値崩れしやすく(新作価格自体がかなり高いため「新作購入→中古売却→新作購入」の回転が比較的大きいし中古目当ての層[例えば大学生]もおそらく一定数存在する。また特典目当ての複数購入があることも中古市場規模の維持/拡大に拍車を掛ける)、さらにポルノ以外のウェイトが大きくしかもデジタルメディア商品なので、中古商品に対する忌避感は小さくなっているものは推測される。
以上のように考えてみて一応理屈は合っている筈だし、少なくともPCゲーム市場の実態には合っていると思う……たぶん。いずれにせよ、趣味性の強いPCゲーム市場は、アダルト商品市場としてはかなり特殊な性格を持っているのではないかと考えている。以前にも書いたように、「新作販売コーナーと同じスペースで中古商品が売られており、中古商品は基本的に内容の劣化等が生じていない(※デジタルメディアだから)にもかかわらず、新品の数分の一(二分の一から四分の一)の価格であり、場合によってむしろ中古スペースの方が大きい(例えばSfMpは京都店も梅田店もそうなっている)にもかかわらず、(新作)市場が維持されている」というのは、非常に奇妙な光景に見えるが、そのような状況を成り立たせている原因の一端として、上記のような事情があるのではないかと考えている。
個人的には、こうした中古市場がかなりの規模で存立していることについては、「気になったブランドの旧作を比較的容易に入手できる」という見地から、かなり好意的に見ている。ただし、このような中古市場の販売利益は当然ながら小売店舗が100%獲得するので、メーカーの体力を奪っているという側面があること――消費者がそれらに向かうことは緩慢な「焼き畑」に向かっているのだということ――は意識されるべきだろう。そもそもの供給者であるメーカーが新作制作体力を失って倒産してしまったら、元も子もない。
PCゲームよりもさらに特殊な動きをしているのは、(商業流通ではないが)同人誌市場だろう。上記三点について見ても、PCゲームよりもさらにややこしい状況になっており、よりいっそう慎重な検討が必要になる。
コンフィグ画面がスクロールできる(スクロールさせる仕様になっている)というのはトラップだよねえ。そういえば、Cyc作品のコンフィグ欄はページ分割されているがページ遷移の際にスクロールエフェクトが掛けられており、「あ、なんかちょっと格好良い……///」とドキドキしてしまったことがあった。基本的には、タブ表示型で切り替えさせるのが無難だろう(――実際、コンフィグ項目の増大に伴って、タブ表示はかなり普及しつつある)。
twにいた頃は(そして今も)、新作/旧作を問わず、人名/ブランド名/作品名を問わず、当事者(制作者)が検索している可能性などまるで意識せずにいろいろなものに言及しまくっていたけど、実は時々見られていたりしたんだろうか?(記憶のかぎりでは一度だけ、制作者の方から「あのタイトルの収録の時は~だったんですよ」という示唆的なリプライをいただいたことがあった。あれはたいへんありがたいものでした。) 現在のこのブログも、商業PCゲームスタッフの方々にはたぶんほとんど見つかっていない……と思うのだけど。今後ともひっそり潜行していきたい。
ゲーム制作者の方々に限らず、このブログがどのような方々にどのように読まれているかは、基本的に気にしていない(気にしても仕方ないと思っている)し、そもそもこのblggrサービスではアクセスの詳細を知りようが無いけど……うーん、実際のところこのブログは私自身以外の方々にとって、はたして何か少しでも役立っているのだろうか?w 原則としてこのブログのあらゆる記述は、誰がいつ読んでも最低限意味が通じるように書いているし、誰が何を読んでいなくてもかまわないような扱いにしているし、そして、読まれてもよいように、つまり外部からのアクセスをできるだけ無駄に終わらせないように、情報またはロジックとして最低限なんらかの意味を成すようなことのみを書くようにはしているが(――だから、このブログそれ自体を主題として書いている今この一節こそは、このブログの中で最も価値の無い部分の筈である)。
試しに含羞表現(「///」)や笑い記号(文末の「w」)を使ってみた――どちらもこのブログでは初めての筈――が、あまりしっくり来ないかも。
【 『Air』プレイヤーとゲーマー年齢層の話 】
[tw: 307357741733777409 ]:はたしてそんなに多いだろうか? 目算が甘すぎやしないか。対象とする「PC美少女ゲームの現役ユーザー」の集合を、仮に「直近3ヶ月以内に、3本以上新作購入し、1本以上クリアしている」程度に捉えたら、『Air』経験者はせいぜい2割くらいではなかろうか。続編展開が続いている『Fate/sn』(2004)ですら、3割はかなり怪しいように思える。そのくらいPCゲーマーの世代交代は激しいし、そのくらい旧作はプレイされないものだし、そのくらい『Air』は古い作品だ。『Air』はオリジナル版(2000)が30万本売れたらしい(※wkpd参照)し、最近でもPSP版(2007)やPC全年齢版(2010)が発売されてはいるものの、その最盛期当時のプレイヤーが現在どれほど残っているかは疑わしいように思われる。もちろん、「もはや新作を購入もプレイもしていないが、ブログやtwでたまに昔の作品のことを話題に出す」程度の層――「現役ゲーマー」とは呼べないが――を算入すればその率も随分上がるだろうが、そんな計算をしても意味は無い。
私自身は新作プレイにこだわらず旧作でも頻繁にプレイしているつもりだが、それでも5年以上前(つまり2008年以前)のタイトルにはなかなか手が伸びない。OS対応の問題だけでなく、解像度やインターフェイスの落差はかなり――プレイを躊躇させるのに十分なほど――大きい。2004年以前のタイトルだと640*480解像度が多いので、ウィンドウモードだとかなり小さく感じてしまうし、フルスクリーンに拡大するのもきつい。だからこそ、『Air』の再版(上記2010年発売のPC全年齢向け「メモリアルエディション」は800*600解像度になっている)にも意義がある。
EGScapeの登録者の中では、『Air』のオリジナル版(2000年発売)のプレイヤーはこうなっている。
[ http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/o_birth.php?game=84 ]
同様に『Air』PSP版(2007年発売)のプレイヤーは以下のとおり。
[ http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/o_birth.php?game=8366 ]
2010年版はEGSに登録されていないようで、確認できないが。
全ユーザー数14890人に対して、『Air』初版をプレイして登録したIDは1082人(7.3%)。各ヴァージョンを通算すると1469人(全体の9.9%。同一IDで複数ヴァージョンをプレイしている分は重複加算されているが、おそらく誤差の範疇だろう)。ただしこの数字は、「EGScapeにID登録し」かつ「『Air』プレイにチェックを入れ」たプレイヤーのみを反映している。だから、「1)非登録のゲーマー」と「2)プレイチェックしていないID」の要素を考慮しなければならない。
1)EGScapeにID登録してさらに個々のタイトルをきちんと入力しているユーザーは、ゲーマーの中で比較的熱意のある層であろう。それゆえ、ライト層にも売れた有名タイトルほど数字は低めに出て、ヘビーユーザー志向のタイトルほどプレイ率は高めになると思われる。だから、アニメ化もされたトップクラスの有名タイトルである『Air』の場合は、実際にはこれよりも数字を高く見積もるべきだろう。
2)さらに、EGScape登録ユーザー全員が律儀に自分がプレイしたタイトルを全て登録しているわけではなかろうから、実際のプレイヤー比率はもっと高くなる筈である。『Air』をプレイしたID持ちゲーマーの7割程度しか当該タイトルのプレイ記録を登録していないならば9.9%は実際には14%になるし、5割しか登録していないならば20%になる。
以上の考慮によって、9.9%という数字が実際には15%なのか20%になるのか30%だったのかは、暗数の問題なので、私にはこれ以上のことは言えない。また他方で、ここから現役ゲーマーに限定すれば、その数字はかなり割り引かれる。結局のところ、おそらく「現役ゲーマーの中で『Air』をプレイしたことのある人はせいぜい10%台」ということになるだろう。
しかし、以上の結論を鵜呑みにするならば、『Air』は30万本売れたのだから美少女ゲームをプレイしたことのある人々はその5~10倍、150~300万人もいるということになってしまい、明らかに我々の常識に反する。実際には、たとえば、統計的に異例なほど(つまり美少女ゲーム全体平均からの推測が妥当しないほど)『Air』をプレイした人々の裾野が極端に広かった、といったような特殊事情があるものと思われる。これ以上の立ち入った検討は私の能力を超えるが、20%くらいまでは「あり得る」ように思えるし、そして現役ゲーマーの間では「せいぜい10%台」ということあたりに落ち着くだろうと推測している(――最初の直感からの下方修正になるが)。いずれにせよ、最初に言及したwtnb氏の推測:「『Air』をプレイしたことが無いゲーマーが3割」=「プレイした層が(まだ)7割もいる」というのは、まずあり得ないだろう。
なお、『Fate/sn』の場合は、プレイした登録ユーザー数は1780人(全登録ユーザーの12.0%)。
[ http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/o_birth.php?game=3254 ]
上記リンク先の「年齢別ErogameScapeの全ユーザー数」データを参照して、EGS登録者全体の中での年齢層分布と、現役ゲーマー(「3ヶ月以内にplayのビットをたてて頂いたErogameScapeのユーザー数」を仮にそう見做す)の中での年齢層分布を見ると、以下のようになっている。ただし、EGScapeのIDは年齢登録をしなくてもよいので、実際の利用者数はもっと多い筈である。
年齢層 | 全登録ID | 現役ID |
50歳以上 | 0.4% (58人) | 0.2% (1人) |
40-49歳 | 6.1% (913人) | 3.0% (12人) |
30-39歳 | 32.5% (4846人) | 25.6% (104人) |
21-29歳 | 60.9% (9073人) | 71.1% (289人) |
18-20歳 | (※データ無し) | (※データ無し) |
計 | 100% (14890人) | 100% (406人) |
以下、雑感。EGScapeの統計がアダルトゲーマー全体の傾向を反映しているとは限らないが、しかしそれでも若年層に大きく傾斜した市場であることは間違いない。ユーザー数で見ると二十代(29歳以下)が圧倒的であり、さらに熱心なユーザー(現役プレイヤー)は25歳以下が全体の45%を占める。統計に反映されていない20歳以下の層も含めれば、若年層傾斜はさらに強まる筈である。ただし、30歳台もそれなりに多く、38-39歳(1974-1975年生)までは現役ユーザーがそれなりにいる。40歳以上になると、ほとんどいなくなるが。
この傾向については様々な観点からの評価の余地がある。現在29歳であれば、18歳になったのは11年前(2002年)である。2002年当時は、この分野が最も先進的なオタク分野の一つとして最も強く注目を集めていた時期であり、市場の活気と全体の質的底上げが盛り上がっていた時期であったと記憶している。そうした時期に新規層が大量に参入してくるのは自然なことであり、それゆえ20代ユーザー層の分厚さは、年代(年齢)ではなく世代(特定の世代)の問題である可能性もある。
同様に、25歳層(つまり6年前[2007年]に18歳になった年齢)にとっては、『オルタ』(2006)や『恋姫†無双』(2007)あたりが最初に目に入ってきたアダルトゲームであったと思われる。ちなみに、(特に理系の)院生ゲーマーたちもちょうどこの集団に相当する(23-27歳)。学部生よりも生活が落ち着き、奨学金等の収入もあり、時間のやりくりもしやすくなっていて、ゲームのようなインドア派趣味に取り組みやすい時期であり、実際にtwなどでもそういう院生ゲーマーはよく見かける。
現在最も健啖にプレイしているのは、1988-89年生まれ(24-25歳)である。登録人数のうえでは、一つ上のグループ(86-87年生)の84%しかいないにもかかわらず、現役プレイヤー人口は1.6倍もおり、現役プレイヤー人口の20.7%を占める。1990-91年生(22-23歳)も、86-87年生の約半数(51.2%)の集団でありながら現役プレイ人口はその1.2倍である(現役プレイヤーの15.2%)。ユーザーの中核部分を成しているのは、間違いなくこれらの、きわめて若い世代である(――ただし、これらはプレイ本数や購入本数と一致するとは限らない点に注意)。
気になるのは、1986-87年(現在25-27歳)の層をピークとしてそれより若い世代のユーザー層が落ち込んでいる点である。「18禁」制度のため正規分布にはなりにくいデータであるにもかかわらず、26-27歳層のEGScape登録人口に対して22-23歳層のそれが半分しかいないというのは、縷々語られる「市場の縮小傾向」を示唆しているように思われる。もちろん、前提としてその世代の総人口そのものが小さくなっているという点はあるが。
上の世代について見ると、84-85年生(28-29歳)の豊かな世代と、その一つ上のグループ(82-83年生。30-31歳)との間でユーザー人口とプレイ人口が激減している。ユーザー人口の落差が生じている原因はよく分からないが、現役人口に関しては「30歳」という節目はやはり趣味生活にも影響が大きいのだろうか。
さらにそこから74-75年生(38-39歳)まではそれなりの規模のユーザー層が続いていることも興味深い。現在三十代後半の彼等はおそらくwin95/98世代(1995年当時17-21歳)であり、葉鍵第一世代(『雫』1996年、『ONE』1998年)でもある。それ以前のアダルトゲームは極端にマイナーな趣味であったが、win95/98によるPC普及や葉鍵ブームによってユーザー層が激増したことを反映している、ということなのかもしれない。もちろん、三十代、四十代といった実年齢とその社会的地位(多忙や責任増大)に伴う現象でもあるだろうが、流行り廃りのある趣味分野では、そうした分野内事情の影響も大きいだろう。
ちなみに、似たような検討は以前にも行ったことがある(――2009年の記事「2chエロゲネタ&業界板 ベストエロゲー投票について」)。この当時も葉鍵世代以降のボリュームが観察され、そして2013年現在でもひきつづき同じ傾向が見られるので、ゲーマーの人口推移は年代(年齢層)よりも世代の影響の方が大きいと推測される。
口紅をつけている(つけてある)描写って良いものですね。
口紅表現は、テキスト上でも画像上でも、特に白箱系タイトルでは稀なものであり、そして稀である事情を一応納得してはいるのだが。おそらく、「学園もの→化粧禁止」という通念や、「自然な美しさ(あるいは若々しさ)が一番だ」という価値観、「化粧(全般)をしていない=化粧をしなくても十分きれい=すごい美少女」という連想、「萌え絵のつつましい口元造形に口紅は似合わない(と見做されている)」という事情、などがあるのだろう。
しかしそれに対して、「化粧をしている=特別な場面、特別な意識」という演出、「身だしなみを整えられるちゃんとした人」という見せ方、「紅を引いても本来の美しさが損なわれるわけではない」ということ、「萌え絵寄りでも、魅力的なルージュ表現は十分成立する(例えばCARNELIAN氏、さえき北都氏、椋木尋氏、佐野氏、あおじる氏)」という事実など、口紅(そして化粧全般)表現を積極的に取り込む余地はあるし、実際にもそうした描写を巧みに行っている作品は存在する。
『るいは~』には、公式サイトのキャラクター紹介欄にお気に入りのルージュが載っているという非常に珍しいキャラクターがいる(「花城花鶏」)。脚本家の日野氏は『雪影』でも口唇にプレイヤーの注意を向けさせるテキストワークを披露したし、原画のさえき氏もしばしばキャラクターに口唇の厚みを描き込んでいる。このコンビならではの、このキャラクター造形である。
2013/03/01(Fri)
『みんな捧げちゃう!』って音楽制作は(元alicesoftの)Shade氏なの? webで調べてみたところ、主題歌「届け、恋の祈り。」を作曲されているのは確実なようだけど、BGMまで担当されているかどうかは不明。マニュアルにもスタッフ情報は記載されていないし。
舞台「私立中連雀学園」は、おそらくぱれっとの所在地三鷹市上連雀から。
横長(横向き)のパッケージアートは安定感があるので大好き。ヒロインを縦(上)に積み増ししていくレイアウトよりも、横に並んでいる方が落ち着く。ぱれっとは、たまひよチームの『復讐の女神』『MERI+DIA』『えむぴぃ』も横長レイアウトだったし、『さくらシュトラッセ』も横長タイプで、『お天気雨』(※買ってあるけど掘り出せない)もたしか同じく。
『ハピメア』キャラクターの名前「ルートウィッジ」というのは、あまり耳にしない名前だけど、英語圏の名前Lutwidge(ラトウィッジ、あるいはLewis、ドイツ語でいうLudwig)のことでいいのかな。
血液を連想させる、この種の濁った赤色のパッケージは、並べて置くと結構きついけど。『Love Letter』とか『狗哭』とか『3days』とか『紅蓮華』とか『ドラクリウス』とか、いや、これはこれで乙なもので、趣向としては好みでなくもないのだけど。
この分野で最も血糊の臭いのきつい作品というと、私の知る範囲では『MdB』『3days』になるだろうか。総合的な流血量ではBlack cycに軍配が上がりそうだが、あのブランドの血液の塗りはあまり好みではない。いずれにせよ、こういう趣向のタイトルがもっと増えt…いえ、こほん。
プレイ済みのタイトルや当分プレイしそうにないタイトルを100本くらいまとめて知人に貸し出してプレイさせてやりたいという欲求が芽生えることがあるけど、もちろん実行してはいけない。CDについては、学生時代に「うちの部屋が狭いので預かってもらう」という名目で知人に数百枚を預けて、首尾良くヒンデミットマニアやヤナーチェク好きを増産することに成功したものだけど。
もしも私が誰かにこの分野の作品をお奨めすることがあるなら……EGScapeで80点以上をつけたタイトルだったらどれでも、プレイしてくれれば十分な面白味を見出してもらえる筈だと信じる。
【 フラグについて語るということ 】
フラグのことを語るのは、必要だし意義があるにもかかわらず、「プログラム」「体系」「物語」の三層に関わるがゆえに非常に難しい。すなわち、1)プログラム次元で、実際の挙動がどうなっているか、つまりどのような変数をどのような場面でどのような命令によってどのように評価し操作し影響させているか。しかしながら、ユーザーの前では基本的に、その内部構造全体はブラックボックス化されている。2)それらのフラグの全体制御が、ゲーム進行にどのような筋道を与えているか。プログラムの次元からやや抽象化された、フラグ体系の次元。これを適切に把握し説明することも、それ単体ですら非常に難しい。3)物語進行の次元。とりわけ選択肢文言や、テキストの差分変化、分岐及び周回の全構造。これらをフラグ操作の適切な理解とともに遂行しなければ、ゲーム作品の物語を十分に把握したとは言えない。非常に難解で、技術的にも要求の高いアプローチであり、ユーザーサイドで簡単には語れない(実際、解析系攻略サイト運営者以外にはほとんど語られていない)のは、やむを得ないところではある。惜しまれる話ではあるが。
「攻略サイトなんて全部滅んだらいいのに」とは常々思っている。そもそも攻略情報や内部データは本来はメーカーの財産だと言える。「技術やノウハウやデータは財産であり、第三者によって公に流出されるべきではない」という意味でも、また「攻略情報には市場的価値がある筈だ」という意味でも(――だから、解析によるデータ攻略をしながら無断転載禁止を声高に叫んでいる某攻略サイトは、ストレートに私の憎悪の対象になっている)。また、多くのユーザーが攻略サイトの指示をただ鵜呑みにしてプレイするのは健康的な状況ではないとも考えている。私自身、サイトやブログで攻略ページを開設しているが、そこでは絶対に閲覧者のプレイスタイルには口出ししないように努めている。
私も攻略サイトを見てプレイすることはあるが。「そりゃわしらも少しは使うがのぉ」と呟きながら。セーブデータ公開サイトも、セーブデータの設置場所を知る目的では利用している。特にVista/7以降、セーブデータの場所はメーカー/エンジン毎にいろいろなところに(しかも見つけにくいところに)ばらけてしまっているので。
【 背景画像の拡張利用 】
※「画像素材の拡張利用について」の記事に統合した。
いろいろ考えてみたり制作サイドの反応を見たりしていると、E-mote導入は今後それなりに普及していくんじゃないかと思える。ライセンスの仕様にもよるだろうけど、コストに比して「出来ることの幅」が大きく広がるので、挑戦的気概のあるゲーム制作者たちは積極的に使ってゆくようになるのではないかと期待している。ただ単に台詞に合わせて立ち絵を揺らすだけでなく、様々な演出に応用できるポテンシャルがある筈だから。
AVGの演出開拓について、市場が縮小していく中で商品差別化のために追い詰められて強引に導入した不自然な作為的粉飾手段にすぎないかのように見做す者が一部にいるようだが、それはゲーム制作者たちの自発性と創造的意欲をバカにしすぎていないか。それとも、私の方が牧歌的にすぎるのだろうか? 趣味的性格の強いこの「萌え」市場で、実作者たちが単なるマンネリ的反復生産ではなくまさに「やりたいことをやろうと試み」てくれることによって進展してきたのが、現在我々が享受しているAVG演出の新たな世界ではないだろうか。
『ひのまるっ』は、籐太氏の企画+脚本、もりたん氏の原画、主演は大波氏に、さらに金松氏と小倉氏もヒロイン級でキャストされているという、まるで私が狙い撃ちされているかのような恵まれた作品であるにもかかわらず、発売当時は個人的にいろいろ思うところあって買わなかったんだけど、……やっぱり買っておけば良かったかなぁ。
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