2012年3月27日火曜日

フェイスウィンドウの機能についての覚書(実例検討・続)

  小論「フェイスウィンドウの機能についての覚書」の補足(その2)。
  前のページ「実例検討(その1)」からの続き。


  【 7.特殊な表現スタイルの下での立ち絵/顔窓の使用 】

『マブラヴ オルタネイティヴ』 (c)2006 age

  極端な写実志向の表現スタイルの下での顔窓使用例。戦闘ロボットのコクピット内のシーンでは、戦況の推移に応じてレーダー画像や残弾数表示も変化していく。画面左の顔窓は、プレイヤー向けの存在表示ではなく、他のロボット操縦者との間の通信映像そのものである。
『忍流』 (c)2009 ソフトハウスキャラ

  SLG作品におけるフェイスアイコンの使用例。背景部分にあるのはSLGパートのワールドマップであり、ターン進行の節目々々に挿入される幕間のテキストイベントの際には左図のように簡略化されたキャラクター表示のまま進められる。このような処方により、SLGパートとAVGパートとがシームレスに行き来しつつゲーム全体が進行していくことになる。
『days innocent』 (c)1999 inspire

  山村の俯瞰画像をメイン画面として、そのマップの其処此処に個々のイベントが印象深く浮かび上がってくるというのが本作の基本デザインである。そしてイベント画面も、左図のようにプレイヤーから隠微に距離を置いた仕方で立ち現れてくる(――ただし、時折現れる一枚絵シーンでは、一般的なテキスト表示形態になる)。


『水平線まで何マイル?』 (c)2008 ABHAR

  立ち絵と顔窓の使い分けをテキスト表示形態と絡めて、画面レイアウトを意欲的に設計した例。ヴィジュアルノヴェル(複数クリック表示)ではない。その場面の中心人物の立ち絵はテキストに遮蔽されずはっきりと見ることができ、また他のキャラクターの台詞では画面右下のスペースを使って顔窓が表示される。

『SWAN SONG』 (c)2005 Le. Chocolat

  この作品では、(一般的な意味での)「立ち絵」はまったく使われていない。狭く鋭く切り出されたカットインの出入りによる見通しの利かなさは、一クリック毎に画面を埋め尽くす長広舌のテキストの圧迫感と相俟って、重苦しい被災生活という特異な作中状況の描写に相応しい画面作りを行っている。

『群青の空を越えて』 (c)2005 light

  メッセージウィンドウ右上のキャラクターアイコンは、当該場面を叙述する視点人物を意味している。本作は視点切り替えの激しい作品なので、こうした設計に一定の合理性はある。見栄えが良くないのは確かだが。

『漆黒のシャルノス』 (c)2008 Liar-soft

  本作のAVGパートの画面は、最大4種類の画像の組み立てで成り立っている。すなわち、1)場所(ここでは学院構内)を示す横長の背景画像、2)背景画像というよりは大道具的的な縦長画像(左図でいえば画面中央左寄りの噴水)、3)登場人物の存在とその基本イメージを示す全身立ち絵(画面左側)、4)その都度の姿勢や表情の変化を示すバストアップ立ち絵(画面右側)。

『Forest』 (c)2004 Liar-soft

(上図・中図・下図)この幻想的な作品にあっては、立ち絵は背景画像から遊離した極度に抽象的な、そしてそれでいて場面毎に特有の姿を示す、象徴的存在表示機能へと突き詰められている。一枚絵であるかカットインであるか立ち絵であるか顔窓であるかはもはや問題ではない。実写取り込み背景とのギャップも含め、痛快で風通しの良い表現空間が成立している。


  ここで引用した3枚のスクリーンショットで描かれているのは、すべて同一のキャラクターである。




  Littlewitch作品の演出様式の紹介については演出論Ⅰ章1節を参照。
  『シャルノス』の含まれるシリーズ作品の画面レイアウトについては、ブログ机上の空想内の記事俺のモノは俺のモノな雑記で比較的詳細な紹介及び検討がなされている。


  【 8.補説:発話者表示について 】

『ToHeart2 XRATED』 (c)2005 Leaf

  全画面テキスト表示形式(いわゆるヴィジュアルノヴェル形式)の作品では、発話者が付記されない――いわば台本よりも小説寄りの体裁になる――のが通例である。キャラクター科白に音声出力が伴われている場合でも、事情は変わらない。
『ONE2』 (c)2002 BaseSon

  画面下部4割ほどを使ってテキストが表示されるスタイル。現代の一般的なメッセージウィンドウ表示型AVGとは異なって、一ページ内に複数個のクリック待ちが含まれ、また地の文と複数の話者の台詞が混在している。それゆえ全体としてはヴィジュアルノヴェル形式の一変種として把握するのが適当であろう。発話者表示も伴われていない。


『アトリの空と真鍮の月』 (c)2009 TOPCAT

  一画面内に複数クリック分のテキストが続けて表示される(擬似)ヴィジュアルノヴェル形式でも、台詞部分に発話者の記載が添えられているタイトルもいくつか存在する。本作は縦書き表示と横書き表示をユーザーが任意に切り替えられるようになっているが、どちらの表示形式でも発話者表示は現れる。演出論Ⅳ章4節3款-αの『霞外籠逗留記』も参照されたし。

『誰彼』 (c)2001 Leaf

  本作では、発話者表示が行われていない。チップアニメによる映像的な「Active Dramatize Novel」パートの実験とともに、発話者表示はAVGを成立させるうえで必然的な要素ではないということをLeafは実証している(――ただし、制作サイドにおいて、脚本作成/スクリプト処理/デバッグに際しては、発話者文字表示が存在する方が好都合だということはあるかもしれない)。

『Clover Heart's』 (c)2003 ALcot

  (擬似)フキダシ型テキスト表示を試みた比較的早期の実例である。本作ではフキダシ枠線こそ表示されていないものの、実質的にフキダシがあるのと同等のかたちで、その都度の発話者に合わせてテキスト表示位置が調整されている。ALcotはその後もAVGの枠内でのテキスト表示方式の実験を追求していくことになる(――次の図も参照)。

『鬼ごっこ!』 (c)2011 ALcot

  フキダシ型テキスト表示の典型。発話者の胸部あたりに――おそらくある程度規格化されたスクリプトワークによって――位置指定されたメッセージウィンドウによって、個々の台詞がどのキャラクターの言葉であるかが誤解の余地無く把握できる。話者切り替えの際にメッセージウィンドウが瞬間的にスライドするのも、視線誘導と可読性促進のための設計と思われる。

『タペストリー』 (c)2009 light

  漫画的フキダシが徹底された例。地の文と台詞はフキダシ形状によって区別される――地の文は矩形フキダシで固定位置に、台詞は楕円形フキダシで立ち絵追従位置に表示される――ため、台詞部分を鉤括弧で括る必要が無くなっている。本作以降、このブランドはこのスタイルを繰り返し採用している。

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