(4)立ち絵演出の諸相
ただし、一口に「立ち絵演出」といっても、その具体的な演出様式は様々に異なる。
すたじお緑茶(『片恋いの月』)は、拡大縮小及び移動を伴うダイナミックな立ち絵操作を好んで実行し、立ち絵の全身を最大限活用してあらゆるアクションを動的に視覚表示しようと試みている。サイズの異なる立ち絵を並べることによって空間性(奥行き)を強調する演出も多い。ただし、ワイド画面を採用している事情もあり、画面全体での動き (つまりスクロールやズーミングといったカメラワーク的処理)はそれほど多くない。さきに述べたように、多数のキャラクターが登場する賑やかなサロン的状況を描写するのに適したスタイルである(cf. 1章2節)。
ぱれっと(『えむぴぃ』)においては、側面立ち絵や背面立ち絵を含む豊富なポーズ差分を利用して、その都度の位置関係を表現すること――そしてそれとともにキャラクター相互間の視線を交錯させること――が重視されている。立ち絵それ自体に運動を行わせることは少なく、あるとしても瞬間的記号的なアクション(ツッコミ動作など)にとどまる。その代わりに、画面構成上の工夫や各種演出素材の利用によって、画面上の視覚的ダイナミズムが創出されている。ここでは、状況(舞台)全体を観客の前に常に示しつつ、登場人物たちのコントに最大限の演出効果を与えるという、いわば演芸的な見せ方が目指されていると言えるだろう(cf. 本節2款)。
Purple software(『明日の君と逢うために』)の立ち絵操作は、個々の身体動作(アクション)を視覚表現するよりも、登場人物の立ち居振舞い全体を視覚表示する傾向が見られる。例えば「歩行」を示すなめらかな波形移動を立ち絵に行わせるのがその典型である。ここで歩行表現それ自体は、特定の身振りや感情を表現するものではない。しかし、会話進行と並行してそうした立ち絵操作が継続的に行われることによって、状況表現全体が自然な説得力を持つようになる。会話内容に即したその都度の身振り表現や感情表現は、スクリプトアクションよりもむしろ立ち絵の差分変化によって賄われている(――表情差分だけでなくポージングのパターンも多い)。このほか、主人公の視点移動を示すカメラワーク(すなわち背景画像を含めた画面全体のスクロール操作)も頻繁に行われている。立ち絵の「見切れ」表現によって主人公の視界を意識させる演出も多用されている。全体的にみてリアリズム(写実)寄りのスタイルであり、アニメの表現文法との類似点が散見される(cf. 1章3節)。
ういんどみる(『はぴねす!』)にとっては、立ち絵演出はもはやなんら特別なものではない。同社作品における立ち絵操作は、ほとんど陳腐と思われるほどに単純明快なものばかりであって、殊更に人目を引くようなものではなくなっている。ここでは、高度に規格化(文法化)された振り付けが、AVG表現の自明の一要素として完全に消化され内在化されており、その日常描写と同様にまったく日常的なものとしてAVG表現の中に溶け込んでいる(cf. 本節1款)。
日常の会話劇だけでなく、非日常的な活劇の場面をも、立ち絵のスクリプト操作は様々に彩ってきた。サスペンスシーンにおいて、サイズの異なる立ち絵を用いた奥行き表現はキャラクター間の距離関係を心理的次元においても表現し、また互いの視線方向を時には違え時には交錯させる立ち絵配置はその都度の各キャラクター間の心理的姿勢をはっきり印象づける(『復讐の女神』)。アクションシーン(バトルシーン等)においても、スクリプトによる立ち絵の動的操作は、キャラクターのアクションを視覚的に具体化してみせるだろう(――その徹底的な例として『マブラヴ オルタネイティヴ』におけるロボット戦闘シーンがある。ただし、現在のAVGの一般的なスタイルとしては、運動性の表現はどちらかといえばカットイン技法の領分であるが。1章1節及び3章2節3款を参照)。
Favorite(『はっぴぃ☆マーガレット!』[2007年])では、機敏なカメラワークと連動しての、立ち絵のフレームイン/フレームアウト表現に大きな特徴がある。立ち絵操作による動作描写は上記各社と比べると控えめであるが、豊富な立ち絵パターン変化がそれを補っている。演劇志向の会話劇に適していると言えるだろう(cf. 本章2節2款の註9)。
【追記コメント】
本文ではいくつかの代表的な立ち絵スクリプト表現のスタイルを挙げてきたが、それ以降、これらと伍して検討されるに値すると思われる、新しいアプローチによる立ち絵演出が、2010年頃から現れてきている。主にClochette(『あまつみそらに!』[2010年5月発売])、ゆずソフト(『のーぶる☆わーくす』[2010年12月])、ALcot(『鬼ごっこ!』[2011年3月])によるもので、一つの台詞進行(クリック単位で分節化されたひとまとまりの台詞テキスト)の内部で、状況や台詞内容に即応して立ち絵差分を適宜切り替えていくというものである。まずは以下に実例を示す。
『鬼ごっこ!』 (c)2011 ALcot
(図1~3:)発声される台詞進行に応じて、立ち絵が差分切り替えやスクリプト動作によって様々な身振りを表す。台詞の時間進行と歩調を合わせた緻密なスクリプト表現である。
※テキストは瞬間表示設定にしてあるが、コンフィグで音声とタイミングを合わせるように設定変更することもできる。
この1クリックの中で、立ち絵と音声は以下のようなタイミングで進行していく:
「(※図1:立ち絵画像は驚いた表情に切り替わって左右に細かく震える)ひゃああっ!?
(※図2:立ち絵は困り顔差分になって左右に数度揺れる)いきなりズボン下ろさないでよぅ。
(※図3:立ち絵は口を大きく開き、一度大きく飛び上がる)お兄ちゃんのエッチっ!」
このように、「驚き」→「困惑」→「怒り」の推移が、ひとまとまりの台詞テキスト進行の内部でシームレスに(つまりクリックによって分断されることなく)、しかも音声と正確に対応しつつ緻密に、立ち絵スクリプトによって視覚的に表現される。
このように、基本的には1台詞1クリックの進行単位を維持しつつ、必要に応じてその中に立ち絵スクリプト操作やVFX追加などの視覚表現を――しかもタイミングを合わせて、そしていくつでも――投入して描写を拡充していくというのがこのアプローチの要旨である。ここでは、一人の登場人物のひとまとまりの台詞は寸断されることなくその一体性が維持され、しかもその中でテキスト進行(文字+音声表現)と立ち絵演出(視覚表現)とが「時間」という明確な物差しの下ではっきりと絡み合いそして協働していく。
それ以前にも、これらと類似した表現のアイデアは存在した。ただしそれらは、ごく局所的例外的なものであったり、あるいはクリック冒頭部分の立ち絵連続切り替えのみであったり、あるいはひとまとまりのテキストの中にクリック待ちを入れることによる(つまり方法としては全画面ノヴェル形式のそれと等しい)分節化であったり、あるいは既存立ち絵素材それ自体から離脱してしまおうとする試み(cf. Ⅲ章2節4款)であったりした。それらに対して、この近年の新たな流れは、標準的な立ち絵表現の枠組を(表見上は)維持しつつも、それらを明確に設計され組み立てられた、幅のある時間進行の中に豊かに展開している。緻密に時間制御されたこのスクリプト表現は、AVGの進行を従来型の機械的なクリック進行から独自の時間的推移の中で「見せる」形態へと移行させたものと見ることができ、それはもはや伝統的なオート進行(にその発想の淵源の一つを持っていたとしても)の延長上に捉えられるものではなく、AVGの表現空間に関して新たな質を、さらなる厚みと特有の手触りを、もたらしていると言うことができる。ここでは立ち絵の切り替えや運動(振動や移動)は、クリック単位に拘束されることなくよりいっそう自由な自律的運動の可能性を獲得し、他方でテキスト及び音声の側はよりいっそう強力な視覚表現上の支援を享受することが可能になる。なお、これらのエフェクトはクリックでスキップできる(途中で無視して次のテキストに進める)仕様になっているため、ユーザーにとってもこの複雑稠密な演出を進行上の煩瑣な障害だと感じさせられることはほとんど無いだろう。
もちろん、現在の一般的なAVG立ち絵スクリプトに比して、制作上の手間は飛躍的に増大しているに違いない。しかし、その労力によって実現された表現効果はたいへん大きくそして新鮮味を持っている。この方向性は、基本的にはここ十年来のスクリプトによる表現拡充の路線を継承したものと考えられ、そして他のアプローチ(チップアニメやフルアニメーション、あるいは動画挿入などの手法)とは異なるこの道筋によって、AVGの中に「時間」的実在感を提供している。エンジン及びスクリプト補助ツールの整備及び普及によって、こうした表現の敷居は引き下げられていくものと期待される。
なお、minoriやage系列(『オルタ』、『終わりなき~』など)が実行している口パク(リップシンクの台詞とのマッチング)表現も、これと類比的に捉えることができるだろう。ここでは、台詞の音声出力とタイミングを合わせて口唇開閉アニメが行われている(――ただし、技術的には、つまりプログラム上の処理方法としては、おそらく異なったアプローチが採られていると推測されるが)。いずれにせよ、別のところでも書いたが、AVGにおける口パク表現を技術史的に展望することは意味のある仕事になるだろう。
また、音声出力とテキスト表示とが1クリック単位の内部で微妙に前後して共鳴しつつジグザグに進行していく『Forest』のスタイルも、AVGにおける特徴的な時間制御の一形態として注目に値する。ここでは、音声出力による台詞と、それに呼応して後から現れるテキスト上の台詞とが、1クリックの単位にまとめられており、そしてそのことによって複数の科白の間の呼応、衝突、対比、重層化、断絶etc.の劇的緊張感が鮮やかに表現されている。――もちろんこの特徴的な手法は、「立ち絵演出」という狭い論点を離れていくことになり、それは翌年の『SEVEN-BRIDGE』における内心モノローグ(音声出力)と発声台詞(テキスト表示)――奇妙にも「発声」の事実が作中におけるそれとプレイヤーの前に出力されるそれとの間で転倒している――との徹底的な同時並行表現へと結実する。
参考リンク:ウェブサイト「電波届いた?」の2010年12月19日付記事及び2010年8月22日付記事。上記の演出は「遅延変更(delayrun)」と呼ばれている。プログラム上の概念的理解を表すうえでは的確な呼称であろう。素人の直感的理解の助けとなるように、プレイヤーの前に現れる状況それ自体の記述的な呼称を試みるなら、「音声同期立ち絵切り替え」と――あるいは、必ずしも音声との同期に限定されないので、「タイミング制御立ち絵切り替え」と――でも呼んでみることができるだろうか?/以前の私のtw上でのメモ:2011年4月8日でも少しばかり述べた。
どなたか、バトルシーン演出のブランド間比較論を一席ぶってくれないものか。基本線としては、動画使用(アニメーション)、カットイン多用、既存素材のスクリプトワーク、効果音活用、画面分割(構図レベル)、テキスト主導の運動描写、といったいろいろな方向性の違いが見出せそうで、興味深くはあるのだが。
本文ではバトルシーンの立ち絵演出の代表例として『オルタ』を挙げているが、バトルシーンを含む運動表現一般に関して立ち絵中心の――エフェクトやカットインをほとんど用いない立ち絵のみでの――スクリプト表現で最も素晴らしいのは、私見ではやはり『恋色』(第7話)の騎馬戦シーン。ただひたすら立ち絵だけで騎乗状態の不安定な運動性を表現しつつ、さらにそれら複数の騎馬どうしの間の息詰まる攻防を立体的に活写して、最後の決着のカタルシスまで一気に引っ張っていった。立ち絵演出の精華というべき名シーン。
まったく個人的な話だが、本節のアプローチと書きぶりは自分でも気に入っている。この「演出論」全体の中で一番好みかもしれない。技術のみの話に終始するのではなく、本当はこういう話をこそ――つまり一般化された知識を手掛かりにして個別的な特性へと踏み込んでいく話を――もっとしていきたい。
動的演出の諸相だけでなく、立ち絵嵌め込み(背景とのすり合わせ)などの静的活用手法にも言及されるべきだが、後者については別のところで詳しく述べているのでここでは割愛。
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